政権を追われたアサド大統領(2019年)=AP
【イスタンブール=時事】
旧反体制派の進攻で政権を追われたシリアのアサド大統領が、慌てて国外へ脱出するまでの経緯が欧米メディアの報道で明らかになってきた。
軍や治安当局の高官には出国直前まで「ロシアの軍事支援が来る」とうそをつき、側近や親族にも告げないまま逃亡したという。
ロイター通信は13日、10人以上の関係者の証言を伝えた。それによると、アサド氏は脱出直前の7日も国防省で軍関係者らと会合を開き、政権軍の地上部隊に抵抗を促した。
アサド氏は旧反体制派が攻勢を始めた翌日にロシアを訪問。攻勢を阻むためロシアに軍事介入を要請したが、聞き入れられなかった。
アサド氏はロシアと同じく後ろ盾となっていたイランには支援を求めなかった。イランが介入すれば、イスラエルがシリアやイラン国内へ攻撃を強める口実になると懸念したとされる。
戦況は不利と判断し、出国を決断したアサド氏はアラブ首長国連邦(UAE)に受け入れを求めたが、UAE側は国際的な反発を恐れて拒否。
米ブルームバーグ通信によれば、アサド氏はロシアから身の安全を保証され、シリア北西部にあるロシア空軍基地を経由しモスクワへ向かった。ロシアではアスマ夫人と子供たちが待機していたという。
ロイターによると、アサド氏は軍高官を務めていた弟マーヘル氏や母方のいとこにも出国意思を伏せた。マーヘル氏はイラクへ逃れた後にロシア入り。いとこ2人は陸路レバノンへ脱出を試みたものの、旧反体制派戦闘員に襲われ、1人は殺害されたとの情報がある。
日経記事2024.12.14より引用