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赤いファーストレディ エレノア・ルーズベルト(第5列の女王)-2   NKVD(ソビエト連邦の秘密警察機関、KGBの前身)

2024-10-13 17:17:16 | 国際政治・財閥

・赤いファーストレディ エレノア・ルーズベルト(第5列の女王)-1  ロシア系移民 共産主義者との不倫
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/016beb00fafb64e4b6b92c0d4c696e4d
からの続き

 

 

 

エレノアとNKVD(ソビエト連邦の秘密警察機関、KGBの前身)


共産主義者『ラッシュ』と『エレノア』の情事の模様を伝える公式文書の報告書は既に紹介しました。 陸軍防諜部のラッシュの監視はその後も続いていました。
 
彼は、エレノアとの逢引の翌週の土曜日(1943年3月13日)、再び女と会っていました。 場所もエレノアと暑い夜を過ごしたアーバナ・リンカーンホテルでした。 女はゲルトレード・プラットという人妻で、1908年生まれだからラッシュの一年年長です。
二人の会話のすべてが盗聴されていました。
 
 
同ホテルにチェックインした二人の会話は、午後五時頃から始まった。
 
ラッシュ  : 少し滞在を延ばせない?
ゲルトレード: もちろんそうするわ。 ところでニ週間後に大統領夫人がシカゴにや
        ってくる予定だけど、会いに行くでしょ。 
ラッシュ  : 分からない。
ゲルトレード: 確かにここからシカゴは遠いけれど、何とかして会いに行きなさい
        よ。
 
 
二人の会話は続き、その全てとその後に続いた情事も記録されている。 ラッシュは二股をかけていたのだが、真の意味の二股ではない。 そのことは、この女(ゲルトレード)の素性を知れば分かります。
 
 
 
1908年、ゲルトレードはフライベルグ(ドイツ中央部東に位置する町)に生まれた。 フライベルグ大学に進み哲学を学び修士号を取得。 

その後、米国に移住し、ハンターカレッジ(ニューヨーク市立大学ハンター校)でドイツ文学を教えた後、コロンビア大学で再び哲学を学んだ。 短い期間だが帰国し、国家社会主義(ナチズム)に染まったこともあった。
 
再びニューヨークに戻ると慈善事業家のエリオット・プラットと結婚した。
 
 
ニューヨークでは、国際学生サービス(ISS: International Students Service)なる組織に参加し学生移民支援事業に関わった。 ルーズベルト政権が1933年11月にソビエトを国家承認したこともあって、スターリンは対米世論工作の一環として、こうした組織に工作員を潜り
込ませていた。 

当時のISS書記長がジョゼフ・ラッシュであり、彼が他の組織に移るとゲルトレードが後任となった。
 
 
二人がいつごろから男女の関係になったかは不明だが、ISS時代から性的な関係にあったと思われる。 
 
ラッシュは、彼女を友人の『エレノア』に紹介すると、二人は波長があったのか、すぐに気心の知れる親友となった。  上述のラッシュとの会話が盗聴された時期、ゲルトエードの結婚生活は破綻していた。 その悩みを聞いてアドバイスしていたのが『エレノア』だった。
 
 
この時期には、エレノアは彼女に離婚を勧めていたようであり、ラッシュとの関係も知っていたらしい。 エレノアは1884年生まれだからラッシュの二回りほど年長である。 従って親友のゲルトレードが同年代の若いツバメと再婚し幸福になってくれることを望んだとしても不思議ではない。
 
実際、ゲルトレードはエレノアのアドバイスに従って離婚し、ラッシュと1944年再婚した。
 
 
ラッシュが二人の女との逢引を楽しんだ二ケ月後の1943年5月26日、『ヴェノナ計画』はNKVDニューヨーク支局がモスクワに発した暗号電を傍受した。 
 
ヴェノナ(Venona)とは、1943年にアメリカが始めたソ連の暗号傍受・解読作戦の名称。
 
 
 
不明瞭な部分(未解読部分)があるが、ソビエトニューヨーク領事館のマキシム・ズビリン(本名 : Vassily Zarubin )が発信したものであった。
 

ズビリンは、1941年秋スターリン直々の命令を受けて赴任していた。 当時のスターリンは、米英両国がヒトラーと単独講和するのではないかと疑っていた。 
 
ズビリンはそれに関わる情報の収集を命じられていた。 『ヴェノナ文書』の公開(1995年)を控えて、米国家安全保障局(NSA: Ntional Security Agency)は、この暗号電を分析している(1995年10月10日)。 
 
 
そこには、ズビリンとその妻エリザベス(彼女もNKVD工作員)は、エレノアを情報源にする計画を立てていたこと、それには彼女の親友であるゲルトレードを利用すること、ゲルトレードはラッシュの愛人であることなどが記されていた。 このことから、NKVDは陸軍防諜部とほぼ同じレベルの情報を収集していたことが分かる。
 
 
 
 
NKVDのエレノア篭絡計画の顛末はよくわかっていない。 しかし、エレノアがラッシュとの会話で漏らすホワイトハウスの内部事情と親友ゲルトレードに語る情報は、NKVDに筒抜けであったと考えて間違いない。 ラッシュは1964年、愛人エレノアの評伝『ある友人のメモアール:エレノア・ルーズベルト(Elrnor Roosevelt :  A Friend's Memoir)』を書いた。
 
エレノアの死去の二年後のことである。 この書は1972年のピューリツアー賞を受けている。
 
ぁれはその中で、「自身はほとんど共産主義者であったが、ルーズベルト夫人には、ソビエト共産党が彼女を利用しようと狙っているので注意するよう警告した」と記している。
 
しかし、これを文字通りに信じるのはナイーブすぎる。
 
 
ソビエトは、ホワイトハウスの内部事情に精通していた。 それらの情報は政権の実質ナンバー3のハリー・デキスター・ホワイトによるものが多かったと思われるが、エレノアとラッシュ、または下トレードルートでも入っており、二つの情報を突き合わせることで、入手情報の確かさまでクロスチャックできたのである。
 
 
 
 

・赤いファーストレディ エレノア・ルーズベルト(第5列の女王)-3  ルーズベルト大統領とノルウェー王女の不倫
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に続く
 
 
 

 


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