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奈良で巨大古墳跡を発見 全長200メートル、前方後円墳 (日経2025.3.1)

2025-03-02 05:11:29 | 日本・天皇・神道・文化・思想・地理・歴史・伝承


佐紀古墳群のレーザー測量の解析画像。手前が佐紀池ノ尻古墳(奈良市教委提供)=共同

 

 

全長約200メートルの巨大前方後円墳の痕跡が見つかり、1日、奈良市が発表した。佐紀池ノ尻古墳と名付けた。市によると、平城京内では約30カ所で古墳が壊されているという。

市によると、200メートル以上の古墳は全国で約40基あるが担当の村瀬陸学芸員は「完全に消滅した全長200メートルもの古墳が見つかるのは全国初。古墳の規模から王権中枢を担った人物だろう」と話した。

 

佐紀古墳群は4〜5世紀にかけて奈良市北部に築かれており、成務天皇陵や神功皇后陵がある。巨大古墳の集中地域が奈良から大阪へ移る過渡期の大王クラスらの墓とみられている。

 


佐紀池ノ尻古墳跡で出土した埴輪片(奈良市教委提供)=共同

 

陵墓参考地・コナベ古墳(前方後円墳)のすぐ南側で発見。平城京の区域内に当たるため造営時に破壊されたらしい。

2023年の発掘で、古墳周濠とみられる溝を発見、4世紀末のひれ付き盾形埴輪(はにわ)の破片が出土した。

 

これまでに奈良文化財研究所(同市)による発掘でも古墳の存在が指摘されていた。今回は、レーザー測量による微高地も確認、全長約200メートルの前方後円墳で、幅約30メートルの周濠もあったと推定した。

平城京建設を巡っては、平城宮に接する市庭古墳(平城天皇陵)は全長約250メートルの前方後円墳だったが前方部が破壊され、後円部だけが残っている。

 

平城宮の真下からも100メートルを超える規模の前方後円墳・神明野古墳が完全に破壊された状態で見つかっている。

続日本紀には、平城京建設中の709年に「工事中に古墳を発見したら埋め戻して放置するな。酒をそそいで死者の魂を慰めよ」との命令が出されたと記しており、古墳が壊されていたことが分かるという。

 

佐紀古墳群は東群と西群に大別される。池ノ尻古墳は東群では最古だが、同時期の古墳が西群にもあるため、古墳の築造場所が西群から東群へ徐々に移り変わっていくことも分かった。

出土した埴輪などは3〜31日に奈良市埋蔵文化財調査センターで展示する。〔共同〕

 

 

 
 
 
 
日経記事2025.3.1より引用
 
 


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