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身近にある武田家の歴史遺産を巡ろう!【第一弾】

2024-08-19 10:29:02 | 山梨県立大学のレポート

歴史と信仰に触れる、武田氏館跡の歩き方


みなさんこんにちは! 山梨県立大学4年の岩田輝です!今回からテーマを変え、甲府駅北部にある、武田家の歴史遺産の散策方法について3回のレポートで紹介していきます!新潟県出身の私は、大学進学を機に山梨県に住み始めて4年になります。大学のゼミ活動では、武田氏館跡で市民向けの歴史文化遺産の散策ツアーなどを行ってきました。

 

7月末に1年生への紹介も兼ねて、ゼミの友人たちと再度、夏の武田氏館跡を歩いてきました!今回は、神社にお参りするだけではもったいない、武田氏館跡の歩き方をご紹介します!

まずは基本情報です。散策場所は、武田信玄公を祀った神社「武田神社」とその周辺部です。実は、神社自体は1919年(大正時代)に新しく建てられました。しかし元々は、1519年(戦国時代)に信玄公のお父さんの信虎公が建設したお屋敷とその城下町が始まりです。つまり、武田家三代の信虎、信玄、勝頼の居館があった場所でした。今回は信玄ミュージアムから散策をスタートします。

 散策のスタート

今回の散策のスタート地点は、通常参拝のお客さんが使用する武田通りの突き当りの橋ではありません。お堀の手前を左に曲がり、少し歩いたところにある西曲輪の南入口から入ります!

この小さな入り口は、しめ縄がかかっています。お祭りなどで見かけるしめ縄は、人間界と神様の世界の境目、「結界」を意味しています。つまり、私たちは、神様の住む神聖な世界の入り口に立っています。

 

 西曲輪

ここは、かつて西曲輪と呼ばれた場所です。みなさんは曲輪(くるわ)とはなにか、ご存じですか?曲輪とは、城の中で高い塀や土塁などで守られた区画を指します。武田氏館跡の西側にある曲輪、西曲輪には武田信玄の嫡男である義信が住んでいたと言われています。

草木が生い茂る西曲輪では、「イノシシ出没注意」の張り紙とともに、動物の足跡が見かけられます。私たちの大学の先生は、ここで何度か大きな鹿を見かけています。写真はどうも鹿の足跡のようですね!

 主郭と御神木

新緑の空気を存分に吸い込んだら、西曲輪の土橋を右に曲がります。武田神社の本殿がある、主郭に入っていきます。

ここに来たら、ご参拝はしてくださいね!特に主郭で注目してほしいスポットは、拝殿に向かって左斜め後方にあるこの御神木です。武田氏館跡にも、御神木があります。

この御神木は、榎(えのき)です。この木にもしめ縄がかかっています。昔の人々は、真っすぐに天に伸びる木や、くねくねと曲がった形をした木が目印になると考え、「神様が降り立つ神聖な場所」として祀りました。ここは榎天神(えのきてんじん)。学問の神様、菅原道真公を祀っており、御神木の後ろには、鉛筆形の絵馬が沢山書かれています。受験生には、オススメのスポットです。

 

御神木にもお参りをしましょう。深呼吸をして、二礼二拍手一礼、願い事を頭に浮かべながら、一周。(私の場合は、前期の英語のテストがうまくいきますように(笑))

 北側桝形虎口

さあ今度は、西曲輪に戻り、北側の土橋を目指します。日本を代表する甲斐国の信玄公が住んでいたお屋敷となると、あらゆるところに防衛上の工夫が見られます。

 

例えば、西曲輪を北に抜けた後に残る、正方形の空間。桝形虎口(ますがたこぐち)と呼ばれる場所です。桝形虎口の入口と出口は細い通路と土橋のみで、周りは高い土塁で囲まれています。狭い通路から、やっとの思いで侵入してきた敵はここで逃げ場を失い停滞します。そこを土塁の上から弓矢で攻撃します。実際土塁の上に立ってみると、今でも3メートル以上あり、当時の迫力と緊張感を感じます。

 味噌曲輪

桝形虎口から、狭い土橋を抜けると、開けた場所に出ました。ここは、味噌曲輪と呼ばれた場所です。名前の通り戦国時代には、食糧を貯蔵する施設があったと言われています。現在は、ビニールシートで覆われており、甲府市の歴史文化財課の職員さんたちが発掘調査を進めています。発掘後、どんな様子になるのかとても楽しみです。

さて、発掘現場の奥には山が広がっています。実は、右奥にある要害山という山は、山城(やましろ)と言い、武田家の要人が戦いから非難する際に使用する、山自体を利用したお城でした。あの信玄公が生まれた積翠寺も、実は要害山の麓にあります。

 

 竜ヶ池展望台

次に、味噌曲輪を右に曲がります。5分ほどまっすぐ進むと、竜ヶ池(りゅうがいけ)という、ため池の石壁が見えてきます。南側の高い階段を上っていくと、甲府市街地を一望できる展望台にたどり着きます。ここから見ると、武田氏館跡から南に向かって道が伸びています。地図上には5本の道が真っすぐ伸びています。約500年前は、この街が京都と同じ条里制で作られた城下街であったことがわかります。ちなみにこの場所、夕暮れ時には夕日と夜景を同時に楽しめる絶景スポットでもあります!

長い階段を下り、信玄ミュージアムへ戻る途中、友人が蓮の花を見つけました。この日の気温は37度。酷暑を歩き続けた私たちに、蓮の花が清らかな安らぎを与えてくれました。しかし帽子は必需品。夏はとにかく暑いです(笑)

歩き始めてから約40分程度で、信玄ミュージアムに戻って来られます。今回の散策はここでおわりです。県外出身で初めて武田氏館跡を訪れた1年生の友人は、御神木に興味津々でした。「この場所が多くの人で賑わう理由が分かった」と笑っていました。

 

何気ない身近な場所でも、新しい学びやご利益が得られるものです。

残る2回は、武田二十四将の屋敷跡めぐり信玄ミュージアム探訪レポートを紹介します。ぜひそちらもご覧ください。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 


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