結論から先に言うと、ギリシャ行き計画は一言でいうと「もったない事をした」である。ギリシャにはメテオラ修道院がある、それは知っている。ギリシャにはミコノス島がある、それも知っている。パルテノン神殿以外のギリシャ神殿も数多くあるだろう。しかし、我々はそれらを全て吹っ飛ばした。ギリシャで観光したのはなんとこの神殿だけだったのである。すぐさま北へ進路をとり、車を走らせたのだった。向かう先はクロアチアである。いくらアテネのパルテノン神殿が目的でギリシャに行ったとはいえ、それではあまりに勿体無い。・・・と思う人は多いだろう。
しかしである。誰が当初からギリシャに行くと予定していただろうか?ギリシャ行きが決まったのは、この旅行の最中であり、従ってまともな計画など何一つない。下調べもほとんど無いのである。さらに日付は既に8月29日であり、しかも前日の28日から走りっぱなしの徹夜状態なのだ。9月3日はザグレブにいなければならない。パルテノン神殿を観光して、すでに午後になろうとしている。ここで一泊すると、ギリシャ出発は30日になる。30、31、1、2の4日間でザグレブまでの約2000数百キロを走破せねばならない。アクシデントが起こったらその旅程を完走することは無理になる。
それにである。考えても見て欲しい。この旅行はどこまで行っても「クロアチア旅行記」であり、「バルカン半島一周旅行」ではないのだ。既にクロアチアとは六日目にして離れている。流石に調子に乗りすぎた。少しでもザグレブとの距離を縮めておく必要がある。従って、我々はほぼ必然的にギリシャではココ以外の観光は諦め、進路を北に向ける必要があった。
ただ、まったく同じ道を引き返すのは勿体ないので、我々が選んだ道は以下の様なコースとなった。
白線のコースである。即ち、アテネから西に向い、コリントスを通ってペロポネソス半島に入り、海岸線を走ってパトレーの都市の手前にある海峡大橋を渡って北進する。都市イオアニナを通過して、アルバニア国境を越えるというものである。
さて、昼にアテネを出発したが、疲労のせいもあってイオアニナの町でダウン。ここで長々長い8月28日~8月29日の二日は終わる。この二日間で走行した距離は実に1600キロ。そのうち1300キロは私が運転した計算になる。
しかしである。誰が当初からギリシャに行くと予定していただろうか?ギリシャ行きが決まったのは、この旅行の最中であり、従ってまともな計画など何一つない。下調べもほとんど無いのである。さらに日付は既に8月29日であり、しかも前日の28日から走りっぱなしの徹夜状態なのだ。9月3日はザグレブにいなければならない。パルテノン神殿を観光して、すでに午後になろうとしている。ここで一泊すると、ギリシャ出発は30日になる。30、31、1、2の4日間でザグレブまでの約2000数百キロを走破せねばならない。アクシデントが起こったらその旅程を完走することは無理になる。
それにである。考えても見て欲しい。この旅行はどこまで行っても「クロアチア旅行記」であり、「バルカン半島一周旅行」ではないのだ。既にクロアチアとは六日目にして離れている。流石に調子に乗りすぎた。少しでもザグレブとの距離を縮めておく必要がある。従って、我々はほぼ必然的にギリシャではココ以外の観光は諦め、進路を北に向ける必要があった。
ただ、まったく同じ道を引き返すのは勿体ないので、我々が選んだ道は以下の様なコースとなった。
白線のコースである。即ち、アテネから西に向い、コリントスを通ってペロポネソス半島に入り、海岸線を走ってパトレーの都市の手前にある海峡大橋を渡って北進する。都市イオアニナを通過して、アルバニア国境を越えるというものである。
さて、昼にアテネを出発したが、疲労のせいもあってイオアニナの町でダウン。ここで長々長い8月28日~8月29日の二日は終わる。この二日間で走行した距離は実に1600キロ。そのうち1300キロは私が運転した計算になる。