西安出発の日。向かう先は西域「嘉峪関」である。嘉峪関は北京から2000キロ以上離れている所だが、そこにも万里の長城は続いている。万里の長城の最果てをかねてから見たい。それが今回の旅行の目的の一つでもあった。
さて、写真は西安駅での一コマである。中国人の娘と父親である。どこの国に行っても子供はカワイイ。子供はめずらしいモノには興味津々で、異邦人たる私と私が持っているカメラをマジマジ見ていた。娘はスレていなかったので、まあ可愛かった。そこで親子でバチリとカメラを撮る。
この写真、よくよく見てみると、父親の顔がだれかに似ているのが分かる。チュートリアルの福田にソックリな顔である。現地にいた時には気づかなかったが、こうやって撮った写真を改めてみてみるとよく似ている。
多少恥ずかしがっているのか、それともポーズを取っているのか、なかなか良い表情の写真が撮れた。
さて、本日は西安発~嘉峪関着の列車に乗る。所要時間は18時間。長い。しかし寝台車の切符は買えなかったので、硬座で18時間を耐えるしかない。出発時刻は10時のハズだったが、列車到着が遅れている。写真の中の電光掲示板に書いてある「晩至」というのは、遅れているという表示であるが、どの列車も次々と「晩至」に変わっていく。この国では始発でない限り、まず長距離列車は定刻どおりに出発できない。「晩至」の表記の後に時間が書いてあるが、私の乗る列車は、もともと10時27分の発車であった。それが11時に変更され、11時半に伸び、最終的には12時半となるのである。ムカつくのは、その遅れの時間を小出しにして知らせることである。11時に変更するときに、すでに11時なんかには着きっこないことは鉄道員は知っているハズである。だが小出しに11時と掲示板上に表記される。そして10時50分頃に、11時30分とまた小出しに変更される。そして11時15分くらいになると、12時30分と「元々から分かっていた遅れ」をここで初めて公表するのである。
この待合室では、およそ10本の列車の時刻は表示されていたが、その10本の中の実に6本くらいは「晩至」に次々と変更されていった。私の乗る列車は最終的には2時間遅れで到着する。
以上の内容から分かる通り、この国では列車移動による予定は立たない。乗り換えなんて怖くて出来ないのである。この国で私が感じたのは時間の流れがゆっくりであるという事である。この国を旅行するときは、かなり時間に余裕をもったスケジュールを立てることをお薦めする。この列車の遅れについてカリカリしてはいけない。これにカリカリするようでは、中国でのほぼ全ての事にカリカリすることになるからだ。高品質、高サービス、時は金なり、これらは先進国日本などの高度経済国では常識的な感覚だが、時間における貴重さの概念が我が国と中国では異なる。これは東南アジアの発展途上国でも同じことだが、なにをするにしても時間がかかるというのは、効率において極めて問題があるわけで、よって経済発展に対しても大きな支障がでるということであって、後進国の後進国たる所以であるので仕方が無い。
旅行にもし「高インフラ的な快適さ」を求めるのであれば、中国の内陸部には行かない方が良いかもしれない。上海あたりでは、おそらくこういうトラブルはないであろう。内陸・西域の旅行は「優雅」でも「インフラ的快適」でもないが、異文化や西洋化されていない風土を味わうことにおいては「快適」である。
この待ち時間中に、日本語のできる中国人と知り合った。彼は中国人の中では金持ちのようである。しかも年も若く20代だ。アイフォーンの3GSを持っているくらいである。日本にも行った事があるようで、日常会話程度の日本語ならば理解できる。彼も硬座席らしいのだが、行き先は私よりも遠いウルムチである。所要時間はおよそ28時間。28時間もよく硬座に座って行こうと考えたものである。彼とは乗車してからも会話が続き、後日ウルムチで合流しようと約束をした。彼についての話については、また次回の記事で機会があったら書こうと思う。
これが天下の西安駅のホームである。うーん古い。西欧の田舎の駅とちょっと似ている。今日の西安という都市は、意外と田舎なのか?しかし西安市区人口は420万人ほどいるので、大都市だと思うのだが…。
いよいよ18時間の乗車の旅が始まる。
とにかく、中国の列車には一人旅の外国人は殆どいないので、必然的に中国人の注目の的になってしまう。まぁ話しかけられるわ話かけられるわ。彼らは中国語しか出来ないが、まぁ話しかけてくる。私も筆談で応酬する。そんな事が2~3時間は続く。
さて、写真は西安駅での一コマである。中国人の娘と父親である。どこの国に行っても子供はカワイイ。子供はめずらしいモノには興味津々で、異邦人たる私と私が持っているカメラをマジマジ見ていた。娘はスレていなかったので、まあ可愛かった。そこで親子でバチリとカメラを撮る。
この写真、よくよく見てみると、父親の顔がだれかに似ているのが分かる。チュートリアルの福田にソックリな顔である。現地にいた時には気づかなかったが、こうやって撮った写真を改めてみてみるとよく似ている。
多少恥ずかしがっているのか、それともポーズを取っているのか、なかなか良い表情の写真が撮れた。
さて、本日は西安発~嘉峪関着の列車に乗る。所要時間は18時間。長い。しかし寝台車の切符は買えなかったので、硬座で18時間を耐えるしかない。出発時刻は10時のハズだったが、列車到着が遅れている。写真の中の電光掲示板に書いてある「晩至」というのは、遅れているという表示であるが、どの列車も次々と「晩至」に変わっていく。この国では始発でない限り、まず長距離列車は定刻どおりに出発できない。「晩至」の表記の後に時間が書いてあるが、私の乗る列車は、もともと10時27分の発車であった。それが11時に変更され、11時半に伸び、最終的には12時半となるのである。ムカつくのは、その遅れの時間を小出しにして知らせることである。11時に変更するときに、すでに11時なんかには着きっこないことは鉄道員は知っているハズである。だが小出しに11時と掲示板上に表記される。そして10時50分頃に、11時30分とまた小出しに変更される。そして11時15分くらいになると、12時30分と「元々から分かっていた遅れ」をここで初めて公表するのである。
この待合室では、およそ10本の列車の時刻は表示されていたが、その10本の中の実に6本くらいは「晩至」に次々と変更されていった。私の乗る列車は最終的には2時間遅れで到着する。
以上の内容から分かる通り、この国では列車移動による予定は立たない。乗り換えなんて怖くて出来ないのである。この国で私が感じたのは時間の流れがゆっくりであるという事である。この国を旅行するときは、かなり時間に余裕をもったスケジュールを立てることをお薦めする。この列車の遅れについてカリカリしてはいけない。これにカリカリするようでは、中国でのほぼ全ての事にカリカリすることになるからだ。高品質、高サービス、時は金なり、これらは先進国日本などの高度経済国では常識的な感覚だが、時間における貴重さの概念が我が国と中国では異なる。これは東南アジアの発展途上国でも同じことだが、なにをするにしても時間がかかるというのは、効率において極めて問題があるわけで、よって経済発展に対しても大きな支障がでるということであって、後進国の後進国たる所以であるので仕方が無い。
旅行にもし「高インフラ的な快適さ」を求めるのであれば、中国の内陸部には行かない方が良いかもしれない。上海あたりでは、おそらくこういうトラブルはないであろう。内陸・西域の旅行は「優雅」でも「インフラ的快適」でもないが、異文化や西洋化されていない風土を味わうことにおいては「快適」である。
この待ち時間中に、日本語のできる中国人と知り合った。彼は中国人の中では金持ちのようである。しかも年も若く20代だ。アイフォーンの3GSを持っているくらいである。日本にも行った事があるようで、日常会話程度の日本語ならば理解できる。彼も硬座席らしいのだが、行き先は私よりも遠いウルムチである。所要時間はおよそ28時間。28時間もよく硬座に座って行こうと考えたものである。彼とは乗車してからも会話が続き、後日ウルムチで合流しようと約束をした。彼についての話については、また次回の記事で機会があったら書こうと思う。
これが天下の西安駅のホームである。うーん古い。西欧の田舎の駅とちょっと似ている。今日の西安という都市は、意外と田舎なのか?しかし西安市区人口は420万人ほどいるので、大都市だと思うのだが…。
いよいよ18時間の乗車の旅が始まる。
とにかく、中国の列車には一人旅の外国人は殆どいないので、必然的に中国人の注目の的になってしまう。まぁ話しかけられるわ話かけられるわ。彼らは中国語しか出来ないが、まぁ話しかけてくる。私も筆談で応酬する。そんな事が2~3時間は続く。