Eos5D写真三昧 格安の海外旅行記と国内旅行のすすめ

海外旅行の情報を旅行記として綴った記録。EOS5Dとiphoneで撮った写真をあげております。

24:バザールでござーる

2010年11月15日 22時44分50秒 | 中国旅行記2010年8月

翌日は朝からバザールに出かける。バザールという言葉はもともと古代ペルシア語から来ているらしい。正確にはサーサーン朝の公用語であるパフラヴィー語らしい。パフラヴィー語はアラム語から派生した言葉である。アラム語はアケメネス朝ペルシアの公用語であり、中東全体の国際語として使われていたセム語派に属する。だがセム語派という区分けも実際のところよく分からない区分法である。1970年代生まれの人は、学校などで「インドヨーロッパ語族」「ウラル・アルタイ語族」「セム・ハム語族」といったように「世界3大語族」が存在する、と教えられてきた。だが、この区分はかなり大雑把で穴が多いものであるらしく、セム語派とインドヨーロッパ語派の親近性などが指摘されたりしたり、楔形文字やヒエログリフがアルファベットと親近性が高いことから、フェニキア文字は象形文字の派生だと近年私的されていたりして、研究が進んでいる。とにかく○○語族というのは、一度忘れたほうが良い。さてアラム文字について考えよう。まずエジプトの象形文字であるヒエログリフ。まずはここから始まる。ヒエログリフから原シナイ文字が派生し、原シナイ文字から原カナン文字が派生。原カナン文字からフェニキア文字が派生し、フェニキア文字から古ヘブライ文字、アラム文字、ギリシア文字などが派生した。ギリシア文字からその後はキリル文字やラテン文字などに派生して、これらはアルファベットの類型にほぼ統一される。古ヘブライ文字だが、これはアラム文字と親近性が強く、この後の派生はよく分からない。さてアラム後である。フェニキア文字から派生したアラム文字は、その後ソグド文字、アラビア文字、シリア文字などに派生していった。この中で重要なのは「ソグド文字」である。ソグド文字は、ソグド人が使用していた言葉。ソグド人はペルシアを拠点として商業活動を行っていた者たちである。遠く唐の長安まで足を運んでいたコーカソイド(白人)である。ソグド文字はその後ウイグル文字を産み、そしてウイグル文字は契丹文字、モンゴル文字、満州文字を生んだ。ウイグル、契丹、モンゴル、満州はともに遊牧民族帝国を生んだ集団である。遊牧集団の使う文字は、さかのぼればこのアラム語に到達する。契丹文字は漢字を借用して作られた文字なので、視覚的にウイグル文字やアラム文字には似ても似つかないが、モンゴル文字や満州文字はウイグル文字に似ている。この辺りは不勉強なのでよく分からないが、とにかくアラム語はユーラシア一帯に多大な影響を及ぼした国際文字であり、現在の英語にも匹敵するような地域的な広がりをもった国際語であった。それから派生したウイグル文字で、横書きから縦書きに変わって、最終的には満州文字となるのである。中国旅行記の最初に紹介した北京の故宮に満州文字を見ることができるが、あの文字はアラム語から派生した言葉なのである。それが遠く北京まできているというのはすごいことである。(実はタイの言葉なども、アラム語から派生したものなので、その勢いは東南アジアにまで及ぶ。そう考えるとインドネシアまでがイスラム教圏であることは理解しやすいワケだ)

さて、ここはウイグル自治区。現在のウイグル人は、残念ながら4世紀~13世紀に中央ユーラシアで活動したテュルク系集団の末裔でもなんでもない。現在のウイグル人は、20世紀の民族主義的世界観の中で国民国家として独立する過程の中で生み出された(作られた)民族である。例えるならば、近年ユーゴから独立したマケドニアと同じである。近代国家ギリシアとも同じである。現在のマケドニア人は、アレクサンドロス大王がいた時代のマケドニア人の末裔でもなんでもない。現ギリシア人も、古代ギリシア人の末裔でもなんでもない。現ルーマニア人も、ローマ人の末裔でもなんでもない。ウイグルも同じことである。さて、現代ウイグル人が使っている新ウイグル語は、アラビア文字を改良したものであって、前述してきたウイグル語とは断絶している。夢も希望もない話をすれば、現代のウイグル人は、言語的に民族的にもかつての「ウイグル」ではない。だが、仮に断絶していたとしても、風習や文化はかつての名残を残していると思いたい。バザールの中にかつてのウイグルの片鱗・カケラを見つけたい・・・と思っている私の希望である。この写真の肉売りの光景などは、おそらく近年の中東や中央ユーラシアの文化の影響がほとんどであろうが、その中のどこかにかつてのウイグルらしさが見え隠れしているのはないか?そういう幻想というか期待の目をもって眺めてみたくなるのである。

バザール入り口。エキゾチックの雰囲気満点だ。

彼らウイグル人にとってはタダの日常の風景の一角にすぎないが、私から見ると興奮冷めやらぬ光景がつづく。これは面白いぞ。

気分は完全に大航海時代である。ヨーロッパから香辛料を求めて長い航海をしてきて、異国の市場にたどり着いた貿易商人の気分である。彼らにすれば、我が国の八百屋かスーパーみたいな感覚なのだろうが、私からすれば見るもの見るもの珍しい光景である。この香辛料が満載の袋を一つ丸ごと日本に持って帰りたい・・・・と思うのは私だけではないだろう。

見よ、この香辛料の種類を!

バザールで商売をする人達の息子・娘達。見ればモンゴロイドの形質の人やコーカソイドの形質の人とバラバラである。左から二番目の女の子などは、かなり白人的である。