11/12
野毛大道芸を観る。
春も観ているが、秋もつい行ってしまった。
好きなんだな、大道芸が。「路上の視野」が。
日本で「ストリート文化」といってみても、借り物のような気がする。
全然ストリート発なんかじゃなくて、消費文化が路上にまで浸透しているだけじゃないのか。
野毛は大道芸の歴史が古い。
飲み屋や大衆娯楽で発展した古いタイプの町だ。
野毛本通りがメイン会場だが、細い柳通りの街角でも行われている。
街角の人だかりの中でジャグリングする芸人。神出鬼没。日常の中の非日常…。
ある種いかがわしい、迷宮のような町の、「ストリート文化」がここに、ある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/9d/1fd73977796b13bcc14b656bdf50b19e.jpg)
アコーディオン・アレンジで民謡・端唄を歌う「とうみねとおこ」。
「野毛の山からノーエ♪」の「野毛山節」もしっかり歌っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/05/13e26a9a2abb4256c695b703b3806656.jpg)
暗黒舞踏なパフォーマー「天空揺籃」。
テラヤマ的な光景。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/d7/721fd5c01aa6ac487c3466d365deb0df.jpg)
アクロバティックなBMX芸で魅せたイケメン大道芸人「MR.アパッチ」。
子供たちの声援が凄かった。
野毛大道芸を観る。
春も観ているが、秋もつい行ってしまった。
好きなんだな、大道芸が。「路上の視野」が。
日本で「ストリート文化」といってみても、借り物のような気がする。
全然ストリート発なんかじゃなくて、消費文化が路上にまで浸透しているだけじゃないのか。
野毛は大道芸の歴史が古い。
飲み屋や大衆娯楽で発展した古いタイプの町だ。
野毛本通りがメイン会場だが、細い柳通りの街角でも行われている。
街角の人だかりの中でジャグリングする芸人。神出鬼没。日常の中の非日常…。
ある種いかがわしい、迷宮のような町の、「ストリート文化」がここに、ある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/9d/1fd73977796b13bcc14b656bdf50b19e.jpg)
アコーディオン・アレンジで民謡・端唄を歌う「とうみねとおこ」。
「野毛の山からノーエ♪」の「野毛山節」もしっかり歌っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/05/13e26a9a2abb4256c695b703b3806656.jpg)
暗黒舞踏なパフォーマー「天空揺籃」。
テラヤマ的な光景。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/d7/721fd5c01aa6ac487c3466d365deb0df.jpg)
アクロバティックなBMX芸で魅せたイケメン大道芸人「MR.アパッチ」。
子供たちの声援が凄かった。
11/11
仕事帰り、中学時代の美術の先生と会う。
卒業以来、なんだかんだでお世話になっている。
仕事観や美術などについてシリアスに話した。
なかなかこういう話題を話せる先輩や上司はいないものだ。
許容範囲の広い先生に僕は感謝している。
その話のなかで、大事だと再認識したのは、「手の仕事」ということ。
毎日のなかで、「頭の仕事」に追われて観念的になりがちだ。
手触りのある、リアルな実感を大切にしなきゃと思う。
たとえば絵を観て、筆跡にリアリティを感じること。
映画『七人の侍』の、こぼれた米粒の米のリアルさ。(これは先生が言ってました。見返さなきゃな)。
「手の仕事」を感じること、発見することを怠ってはいけない。自戒を込めてそう思う。
仕事帰り、中学時代の美術の先生と会う。
卒業以来、なんだかんだでお世話になっている。
仕事観や美術などについてシリアスに話した。
なかなかこういう話題を話せる先輩や上司はいないものだ。
許容範囲の広い先生に僕は感謝している。
その話のなかで、大事だと再認識したのは、「手の仕事」ということ。
毎日のなかで、「頭の仕事」に追われて観念的になりがちだ。
手触りのある、リアルな実感を大切にしなきゃと思う。
たとえば絵を観て、筆跡にリアリティを感じること。
映画『七人の侍』の、こぼれた米粒の米のリアルさ。(これは先生が言ってました。見返さなきゃな)。
「手の仕事」を感じること、発見することを怠ってはいけない。自戒を込めてそう思う。