リンムーの眼 rinmu's eye

リンムーの眼、私の視点。

寝るひと 立つひと もたれるひと

2009-08-10 | art
《萬鉄五郎(よろず・てつごろう、1885-1927)作の重要文化財、《裸体美人》 は、不思議な作品です。草原に寝ているはずの裸婦が、視覚的なトリックにより、まるで立っているようにも見えるからです。》(展覧会概要より)


「寝るひと 立つひと もたれるひと」IN東京国立近代美術館を観る。

美術館に足繁く通うと常設展が面白くなってくる。
名画をチラ見で通り過ぎるなんて優雅なこともできるし、定期的に展示替えもしているのでオッと気を引く作品に出会ったりもする。
また、収蔵方針とか、キュレーターのディープな批評眼が徐々に感じられてくる。

国立近代美術館は、2Fで収蔵作品を基に小規模な企画展をやっている。
これがけっこう穴場で、独特の視点で作品を展示している。

「寝るひと 立つひと もたれるひと」は、いままでで一番のヒットかもしれない。

萬鉄五郎の「裸体美人」「もたれて立つ人」を中心に、“絵画”の枠組みを再考している。
「裸体美人」は、丘に寝そべる裸婦が描かれているわけだが、縦長の画面で絵の具もフラットに塗られているので寝ているように見えない。むしろ立ち上がって見える。
寝そべって見える下絵からだんだん立て位置に描き変えていっているので、意図的にそうしているのだ。
「もたれて立つ人」は、キュビズム的な構成の人体図だが、頭が上部につっかえ、右腕が窮屈そうに画面左のフレームにもたれている。

絵画の平面性ということ、フレームという枠組みの存在。自明に感じていたことを改めて考えさせられた。
無意識の内にあるパラダイムをズラしてみせるのが批評の効用というもので、そういう意味で、この企画展はかなりクリティックだ。

キュレーターの蔵屋美香は、美術批評家としてすぐれていると思う。
論考がここで読めるので、気になる方は読んでもらいたい。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

2009-08-10 | art
「ゴーギャン展」in東京国立近代美術館を観る。

日本初公開の大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が展示されており、宣伝などもバンバンやっているので、混むだろうと思い、開館すぐの時間に行った。

ゴーギャンは、画集で見ていたけど、実物をまとまった形で見るのは初めてだった。
フランス時代の第一章、タヒチ滞在期の第二章、帰国後タヒチに戻った晩年の第三章で構成されており、駆け足でゴーギャンの軌跡をたどることができる。

やはり、西洋的価値観からはみ出していくタヒチ滞在期の作品が充実している。
オリエンタリズムの視点で外側から南国の「楽園」を描いたのではなく、内的な必然性から神話的なモチーフや土着的な褐色の裸婦を描いたのだと思う。
その結実が「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」だろう。
ここでは、禁断の果実をもぎ取るエヴァが、東洋の石仏が、西洋画のモチーフである水浴する女が、タヒチの生活感あふれる犬や猫やアヒルたちが、パノラマの中に融け合っている。

この展覧会は、この大作を見せるためのものだと言っていい。前半はエントランスで、後半はクールダウンのためにある。

人の垣根から絵を観ることに必死で、キャプションをまともに読めなかったので、昔古本で買ったカタログを、今度実家で見返してみようと思う。