義父の発言には時々困ることがある。
「ドイツにいるのだからドイツの食事にしなくてはならない」
「20歳の頃食べていたものは年をとったら変えなければならない」
特に、食べることに関してのテーマは私には腹立たしく感じてしまうものだ。
ドイツはすでに多民族国家である。
頭巾姿のイスラム教徒の女性たちをそこいらじゅうで見ているはずの義父。
私がイスラムの知識がないと思ったのか、彼らの宗教で定められている食習慣をよく説明する。
ドイツの食事をしていない人々が大勢いるのは義父も当然知っているわけだ。
私がしぶしぶ義母の料理を食べていること、最近では私だけの和食メニューを一人で食べているのを快く思っていないのだろう。
義両親たちも、以前はたんぱく質信仰があったらしく、現在より多量の肉を摂取していたらしい。
朝食にハムやソーセージを添えていたとか。今はたっぷりの生野菜と果物を食べている。
私が比較的質素に米飯と質素なご飯のお供で済ませているのをこれまた快く思っていないのか。
私にも同じようなものを食べて欲しいのだろうなぁ。
先日、早朝に米を買いに行って帰ってきたら、また絡んできた。
「米に違いがあるのか?それは・・・」
彼が話し始めるとだらだらとしつこく長い。
義母はそうした自分の配偶者の性質をよく理解していて、私が面倒がっているのを一目で見抜いて、
私に用事を言いつけてその場から逃してくれた。
義父は私の行動が気に入らないのではなく、私に構って欲しいのだ。
ここに来た当初から「ドイツ語上達のためには学校などより私たちと話すのが一番だ」としつこく言われ続けている。
が、いざその気になって話しをしようとしても、義父は一人で演説するだけで私に発言する機会をほとんど与えない。
挙句の果てには「りすは全然話さない、もっと話しなさい」と言うのだからどうしようもない。
高齢者だけに限らないのだが、一般的に言うと高齢になるほど人の話を聴かずに自分だけしゃべり続ける人が多いように感じる。
だが、義父に「ドイツにはすでにたくさんの外国人が住んでいてそれぞれの食文化で毎日食べている」とか「和食は高齢になるほど日本人の身体にあっている」とか「日本人は米の微妙な味の差がわかる」とか「あなたは私に話せ、と言うがあなたばかり話し続けてちっとも私のことを聴かない」などと反論するのは義父に反省を促すどころか傷つけることにもなるだろう。
「そうですか、はいはい」
と受け流してその場をやり過ごすのがいい様子だ。
義母も何気にそうしている私を観察してほっとしているようだ。
右は故障した脱水機。左はいよいよ出番が来たと思われた予備の脱水機。
ところが・・・・
義父は何度も故障している脱水機を修理して復活させてしまった。
左の予備は再びどこかへしまわれてしまった。
ここで私が義父を盛大に褒め称えれば、私に絡んでくることは無くなるかもしれない。なんとなく彼は私にないがしろにされていると感じているのかもしれない。
人の存在価値を認める言動は大事である。
日頃あまり義父を構わない自分を反省。(ってやっぱり面倒なんだけどだって、話題が合わないし、昔話を何回も聞くのも退屈だし)
「ドイツにいるのだからドイツの食事にしなくてはならない」
「20歳の頃食べていたものは年をとったら変えなければならない」
特に、食べることに関してのテーマは私には腹立たしく感じてしまうものだ。
ドイツはすでに多民族国家である。
頭巾姿のイスラム教徒の女性たちをそこいらじゅうで見ているはずの義父。
私がイスラムの知識がないと思ったのか、彼らの宗教で定められている食習慣をよく説明する。
ドイツの食事をしていない人々が大勢いるのは義父も当然知っているわけだ。
私がしぶしぶ義母の料理を食べていること、最近では私だけの和食メニューを一人で食べているのを快く思っていないのだろう。
義両親たちも、以前はたんぱく質信仰があったらしく、現在より多量の肉を摂取していたらしい。
朝食にハムやソーセージを添えていたとか。今はたっぷりの生野菜と果物を食べている。
私が比較的質素に米飯と質素なご飯のお供で済ませているのをこれまた快く思っていないのか。
私にも同じようなものを食べて欲しいのだろうなぁ。
先日、早朝に米を買いに行って帰ってきたら、また絡んできた。
「米に違いがあるのか?それは・・・」
彼が話し始めるとだらだらとしつこく長い。
義母はそうした自分の配偶者の性質をよく理解していて、私が面倒がっているのを一目で見抜いて、
私に用事を言いつけてその場から逃してくれた。
義父は私の行動が気に入らないのではなく、私に構って欲しいのだ。
ここに来た当初から「ドイツ語上達のためには学校などより私たちと話すのが一番だ」としつこく言われ続けている。
が、いざその気になって話しをしようとしても、義父は一人で演説するだけで私に発言する機会をほとんど与えない。
挙句の果てには「りすは全然話さない、もっと話しなさい」と言うのだからどうしようもない。
高齢者だけに限らないのだが、一般的に言うと高齢になるほど人の話を聴かずに自分だけしゃべり続ける人が多いように感じる。
だが、義父に「ドイツにはすでにたくさんの外国人が住んでいてそれぞれの食文化で毎日食べている」とか「和食は高齢になるほど日本人の身体にあっている」とか「日本人は米の微妙な味の差がわかる」とか「あなたは私に話せ、と言うがあなたばかり話し続けてちっとも私のことを聴かない」などと反論するのは義父に反省を促すどころか傷つけることにもなるだろう。
「そうですか、はいはい」
と受け流してその場をやり過ごすのがいい様子だ。
義母も何気にそうしている私を観察してほっとしているようだ。
右は故障した脱水機。左はいよいよ出番が来たと思われた予備の脱水機。
ところが・・・・
義父は何度も故障している脱水機を修理して復活させてしまった。
左の予備は再びどこかへしまわれてしまった。
ここで私が義父を盛大に褒め称えれば、私に絡んでくることは無くなるかもしれない。なんとなく彼は私にないがしろにされていると感じているのかもしれない。
人の存在価値を認める言動は大事である。
日頃あまり義父を構わない自分を反省。(ってやっぱり面倒なんだけどだって、話題が合わないし、昔話を何回も聞くのも退屈だし)