![]() | 登山道に入ると直ぐ左側に石像2体が立っており、“行者道、安永六年”と書かれていた。 西暦1777年、第10代徳川家治の時代だ。 やはり猫山は修験道の修行の山だったらしい。 さては相当にキツイ山か? と心配がよぎる。 |
![]() | 登山道の左右は、最初は雑木林だがやがて桧の植林に変わる。 左にはスキー場のゲレンデ、右には小さな沢があり、緩やかに登って行くと一帯には多くの山野草が見受けられた。 登山道は終始北側の斜面にあるので、適当な湿気がある為に山野草には格好の環境らしい。 春~夏にかけて訪れると面白そうだ。 |
![]() | このリフトからは、中央やや左遠方の山裾に道後山クロスカントリーが見えるが、ここではクロスカントリー競技だけでなく、陸上選手の合宿も行われるらしい。 右手には画像には写っていないが、岩樋山と道後山も見える。 このリフトを最後にゲレンデと別れ、少し急になった斜面を登る。 |
![]() | 案内標識に従い右に折れて沢を渡り、 少し登るとトラバース道になった。 ヤレヤレだ! |
![]() | トラバース道を進むと、左手にトタン葺きの小屋があった。 昔は、修験者の“こもり堂”だったらしく、脇の岩穴には役の行者と不動明王の石像3体(マウスオン)があり、“山上(さんじょう)さん”と呼ばれている。 しかし、今は利用する人も無くスッカリ朽ち果てていた。 |
![]() | このトラバース道の樹間からは、北に岩樋山と道後山が見える。画面中央の山の頂上で、少し禿げて見えるのは道後山スキー場。 その裏側が道後山の駐車場になるわけで、道理で楽な訳だ。 それに引き換え、この猫山は麓から登らなくてはならず横着者には相当キツイ! |
![]() | やがて尾根のかなり急な斜面が続く。 休みながら登って行くと、ようやく猫山頂上の2等3角点に到着するが、周囲は雑木林で全く視界不良だ!。 |
![]() | 頂上から南に100m位なだらかな尾根を進むと僅かな草原があり、そこからの眺望は良好であった。 倉敷からの先客は既に昼食も済ませて居られたが、話して見ると「植物には興味が無く山に登る事が趣味で、主に岡山県の山へ登っている」との事で、早速南に見えるのが多飯が辻山(1040m)と教わった。 |
![]() | 猫山南峰の遠方、南南西に見えるのは白滝山(1053m)、?山(1173m)、飯山(1009mの頂上部)だそうだ。 残念ながら化け猫に出会う事は出来なかったが新たな出会いを楽しむ事が出来て幸いだった。 この頂上付近にはイブキジャコウソウも咲くそうなので、その頃もう一度訪ねる事にして下山したが、帰りは多少足が笑ったが楽勝だった! |
修験道
日本古来の山岳宗教と、神道・密教(仏教)・道教(中国古来の民間信仰)などが
結びついて平安末期に成立した宗教で、霊験を得る為の山中の修行と加持・祈祷、
呪術儀礼を主とする。
※加持祈祷:病気・災難などを払うために行う祈祷又は儀式。
※呪 術 :神や精霊などの超自然的な力や神秘的な力に働きかけ、種々の願望
を叶えようとする行為及び信念。
※開 祖 :役小角(神変大菩薩)。 生没年は不詳。
奈良時代に大和国葛城山で修行し吉野の金峰山や大峰山などに霊場
を開いたが、文武天皇(697~707年)の時に讒言によって一時伊豆
に流された。
明治政府の“神仏分離令”で廃止されたが、その後仏教系と神道系に分かれ、現在
でも信仰されている。