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懐古

2010-12-22 14:07:58 | 小説
テキサスに入ってしばらくすると、緑が目に入るようになった。

フリーウェイも木々の隙間を縫うように続いている。
アメリカの地図を広げながら、ある程度のめぼしをつける。

とりあえず、オースティンを目指し、そこでフロリダまで行くかどうかというところだ。

何はともあれ、食料と燃料の確保が先決だった。

フリーウェイに地名付きの案内が出ていたので、何かしらあるだろうということで、町というのか村に近いところでメインストリートを目指した。

しかし、何もない。

民家らしいものは存在するが、まるで長野の山間部の農村のようだ。

ただ、平地であるためどちらかというと、北海道の宗谷岬へ続く内陸からの高速に近いかもしれない。

ガソリンスタンドすらない。
しょうがないので別の町に行こうかというところで、マークトウェインの小説に出てくるような民家なのか商店なのか微妙だが、店らしき建物があった。

やっているのか外観からはわからないが、恐る恐る入ってみた。

カラーン

ドアにベルが付いているようで、中は一見雑貨店のように感じた。

「ハロー。」
物凄くローテンションで、かなり違和感を感じた。見た感じはアジア系の老婆のようだった。

俺達は愛想笑いで返した。
食糧は賞味期限を見ても信用できそうにないが、とりあえず助かった。

店内は40坪位はあっただろうか、かなり広く感じた。
奥には雑貨類に混じり、固形燃料やキャンプに使えそうな品々が無造作に陳列していた。

更に奥にいくと、

「アレ?リーのウエスターナじゃね?」

敏充は、あまり興味なさそうに天井からぶら下がるそれを見て

「高いの?25ドルだって」
「マジ?デッドストックで軽く十万超えるよ。」

「嘘?レプリカじゃね。」全く興味なさそうだった。
「ばか、店見ろよ仕入れなんてしてないだろ。」

「だよな…。」
敏充も察したらしく、指差しながら言った。
「ってことは、あれ全部?」
店の一番奥に衣類コーナーとでも言うのか、状況を推察するに作業服名目で仕入れたのか、デニムやシャツなどがごっそり積まれていた。
「マジかよ?お宝見つけちゃった?」

俺達は奥に積まれていた衣類をほじくり返した。
出てくる出てくる。

新しくは70年代、古くは下手したら50年代?さすがにリーバイスは見当たらなかったが、聞けばわかる古着好きにはたまらない品々。

「これやべぇな。敏充金ある?」
俺はトラベラーズチェック合わせても2000ドル位しかなく、今後の道程を考えるとかなり厳しかった。

それに、トラベラーズチェックだって使えるかどうかといった雰囲気もあった。

「ないことはないけど、ここで全部は使えないぞ。」
「だよな。」

そんな会話を繰り返してると
「…come from?」
婆さんが話しかけてきた。
「Japan」

婆さんは驚いた顔して食い付いてきた。

ニュアンスでしか聞き取れなかったが、日本はどこから来たといった感じだ。

俺達は長野出身だけど、面倒臭いのと、話が広がらないこともあって東京と答えるようにしていたので、婆さんにも例外なく言った。
「Tokyo」

婆さんはちょっと待ってろ的な身振りで、家の奥に消えた。

なんだか尋常じゃない様子で、古い地図のような紙を持ってきた。

「なんだこりゃ、随分古いな。」
俺と敏充は顔を見合せ



「I′m japanes」

俺達は更に顔合わせ



「日本語話せよな。」
なんて首傾げていたら

どうも日本人に会ったのは五十年ぶり位で、日本語すら忘れてしまったようだった。
地図の山口県を指して、ここから五十年前に嫁いで来たらしい。

戦前のことだったが、戦争がすぐに始まり、帰ることもできなくなり、日本人ということでかなり辛い思いもしたようだった。

婆さんは物凄く懐かしいのか、山口県の思い出をこんこんと話しているようだったが、俺達はあまり言葉が通じないし、それどころじゃなかった。

今後の旅の展開を大きく左右するかもしれない判断を強いられていたからだ。

俺は目が¥マークになっていただろう。

「大体、10~30ドルで、棚ごと買ってもせいぜい3000ドル、ってことは少なく見積っても、百万位にはなるだろ?」

敏充も
「そうだよな。棚が三つあるから三倍だぞ。」

「三百万か…。」
皮算用であるが、当時の為替レートで換算し、業者に売ってもおそらくその程度は見込めた。
まだバブルの余韻もあったことと、デッドストックはやはり珍しい。

「でもさ、それは日本に帰ってからの話だろ?俺は不法滞在してでももう帰らなくていいと思ってるんだわ。」
敏充は冷静に言った。

俺もフト我に返り、
「そうだよなぁ。別に金が欲しくて来たんじゃねぇしな。じゃあ、とりあえずフロリダかニューヨーク行ってからでいいか?」

「後の話だよ。」

敏充は気力がないように見えて、かなり冷静に状況を判断してくれる。
俺にとっては鎮静剤の役割をしてくれたし、逆に俺は彼にとってのカンフル剤みたいなもので、そういう意味では馬が合っていたのかもしれない。


しかし、その後ここに戻ることはなかった。ただ、この経験が数年後またアメリカに来るきっかけとなり、また違う目線でアメリカ大陸を旅することもできた。

俺たちは、賞味期限切れのマフィンと炭酸飲料とありったけの固形燃料と、日本では見たことのない缶切と缶詰少々を数十ドルで購入した。

婆さんは現金収入にさっきまでの話はどこへやら、
心なし喜んでいるようだった。

「・・・going?」

「I don`t know.」
とだけ答えておいた。
コメント
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