この波は
ところがそれは間違いやった。平気で生きておることが悟りやったと。
平気で生きておることは難しい。
死ぬときが来たら死んだらいいんやし、平気で生きておれるときは、平気で生きておったらいいのや。
そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。
おそらく、フィジーかハワイのノース
バックサイドのとんでもなく分厚い波を
潜り抜けるのは選ばれた者だけだ
この波にトライできるか?
何十トンもの水圧と浅いリーフ
猛者達とのポジションの取り合い
その向こう側の景色を見るために
世界中から腕自慢が集まる
『平気で生きていく』
宮崎和尚
生きることは
逆らわない事です
人間は何時死んでもいいと思うのが悟りかと思っておった。
ところがそれは間違いやった。平気で生きておることが悟りやったと。
平気で生きておることは難しい。
死ぬときが来たら死んだらいいんやし、平気で生きておれるときは、平気で生きておったらいいのや。
真理を黙って実行するということが大自然だ。
誰に褒められるということも思わんし、これだけのことをしたら、これだけの報酬がもらえるということもない。
誰に褒められるということも思わんし、これだけのことをしたら、これだけの報酬がもらえるということもない。
時が来たならば、ちゃんと花が咲き、そして黙って、褒められても褒められんでも、すべてのことをして黙って去っていく。
そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。
「人間は名誉とか地位か見栄とかわがままとかそんなもんで一杯だ やっぱり欲は克服するすべを覚えんといかん それが座禅だ 息と一つになる 欲のおこるすきがない 座禅ということはまっすぐということや まっすぐというのは背骨をまっすぐ 首筋をまっすぐ 右にも傾かない左にも傾かない まっすぐということは正直ということや 身心は一如(ひとつ)やから体をまっすぐにしたら心もまっすぐになっとる」
「何も考えない 妄想せんことや いわゆる前後裁断や そのときその時一息一息しかないんや何か考えたらもうそれは余分や」
どんなときも、ふりまわされない自分を持って、 誰もが 俺は俺、 私は私、 僕は僕、 でいいのですよ。
いろいろと、差別のある世の中で、 だからなんだ、自分は自分だという信念。誰がなにを言おうと知ったことか、 というぐらいず太くの。
平気で生きる
とても深いなと思って
また一つ勉強になった