徳川家康が書いたとされる言葉
家来はな 惚れさせねばならぬものよ
大将というものは
敬われているようで その実家来に
絶えず落ち度を探られているものだ
恐れられているようで侮られ
親しまれているようで疎んじられ
大将というものは
絶えず勉強せねばならぬし
礼儀もわきまえねばならぬ
よい家来を持とうと思うなら
わが食を減らしても
家来にひもじい思いをさせてはならぬ
自分一人では何もできぬ
これが三十年間つくづく
思い知らされた家康が経験ぞ
家来というものは
禄でつないではならず 機嫌をとってはならず
遠ざけてはならず 近づけてはならず
怒らせてはならず 油断させてはならぬものだ
敬われているようで その実家来に
絶えず落ち度を探られているものだ
恐れられているようで侮られ
親しまれているようで疎んじられ
大将というものは
絶えず勉強せねばならぬし
礼儀もわきまえねばならぬ
よい家来を持とうと思うなら
わが食を減らしても
家来にひもじい思いをさせてはならぬ
自分一人では何もできぬ
これが三十年間つくづく
思い知らされた家康が経験ぞ
家来というものは
禄でつないではならず 機嫌をとってはならず
遠ざけてはならず 近づけてはならず
怒らせてはならず 油断させてはならぬものだ
「では どうすればよいので」
家来はな 惚れさせねばならぬものよ
最後の一言に尽きますね
かなり深いです
世の中の殆どの会社や人間関係の構築でそんな風に言われた事が人生に一回でもあるでしょうか?
そんな人間って何だろうと深く考えさせられた時期がありました
惚れた漢のためならなんて任侠でも今日日言わないかもしれないですが
この人といると安心する
この人となら大丈夫だ
この人なら守ってくれる
だからこそ
この人ために命を尽くす事が
自分のためになると考えられる人
なんだけど
殆どの裸の王様達は
一目散にケツ捲って逃げ出す人ばかり
そう思われている事に気付いていないくせに、そう思われないように躍起になっている
そうはなりたくないから
意地を通す
それが漢気なんだと思う今日この頃
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