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2019-08-22 13:51:51 | 日記
余は今まで…いわゆる悟りということを誤解していた


悟りということは、いかなる場合にも、平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りということは、いかなる場合にも、平気で生きていることであった










人間というのは、どうしてこんなに勘違いをするのだろう。


何故、間違った捉え方をするのだろう。


何故か、誤解が多い。


誤解をするのは、理解力が足りないからではない。

理解しようとしていない、自身の願望によって妨げられている、ということがよくわかる。


ようするに、自分が解釈したいように認識してしまうから、見誤り、間違え、そして馬鹿な考えへと行き着いてしまうのだ。







イヴがアダムにリンゴをあげて以来、男女間では贈り物をめぐって誤解が続いている









この現実世界についての大きな誤解。


そのひとつが、この社会、この地上に棲むすべての人間は、多少の違いはあるものの、おおよそ自分と同じ「今」という、現実をみているに違いないという思いこみだ。


だが、それは大きな勘違いだ。


この現実では、一人ひとりが見ている世界には、無限のバリエーションがある。


もっと言えば、一人ひとりがみている世界はかなり違う、というか、まったく違う。










言葉にしないと、伝わらないことがある。




言葉にすると、誤解されることがある。









限られた時間の中で出会える人の数は、出会えない人の数よりずっと少ない。


だから、出会った人をどれだけ大事にするかですね








いくら伝えても



いくら想いをぶつけても



応えてくれない人はいる



そのたびにイライラして


自分が傷ついていく



それでも信じようとして頑張ったとしても



ほんのすこしの期待が怒りとなり



失望へと変わっていく



今までの自分に間違いはないけれど



もう諦めよう



もう離れよう








過去と他人は変えられない




自分が変わるしかない




これに尽きる








どこかの森に迷い込んだ旅人たちは、あちらへ向かったり、こちらへ向かったりして迷い歩くべきではなく、いわんやまた一つの場所にとどまっているべきでもなく、つねに同じ方向に、できる限りまっすぐに歩むべきである。



その方向を彼らに選ばせたものが初めは単なる偶然にすぎなかったかもしれぬにしても、少々の理由ではその方向を変えるべきではない。



というのは、旅人たちは彼らの望むちょうどその場所に行けなくても、少なくとも最後にはどこかにたどりつき、それはおそらく森の真ん中よりはよい場所であろうからである。



デカルト




















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