きょうは62年前にアメリカによって広島に原爆が投下された日。
3日後、長崎にも原爆が投下され、
日本は戦争による唯一の被爆国になりました。
それから10年も経たない1954年3月1日、
アメリカは太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行い、
(当時は米ソ冷戦下で、水爆実験競争が繰り広げられていた)
たまたまその近海で操業していた日本のマグロ延縄漁船
「第五福竜丸」が実験に遭遇、
船も乗組員もマグロも放射能を浴びてしまったのです。
「ビキニ事件」です。
ビキニ事件は、広島、長崎につづいて
日本にとって第三の被爆とも云われています。
第五福竜丸の乗組員のひとり、大石又七さんは
あの日、第五福竜丸に起こったことについて、そして
その後自分たちを襲った恐ろしい病気や精神的苦痛について
勇気をもって証言しています。
公の集会での講演、また子どもたちとの勉強会にも応じています。
私は、東京・新木場にある第五福竜丸展示館で
若者たちに事件を説明している大石さんに出会いました。
それまで経験したことのない病状、世間からの差別、絶望、
そして少しづつ明らかになる真実・・・
大石さんの口から語られることばは静かですが
怒りと悲しみに満ちていました。
何の罪も無い人が突然放射能の攻撃を受ける!
このあり得なさは広島長崎と同じでしょう。
大石さんが「命ある限り戦いつづけてゆく」というのは、
ビキニ事件を決して忘れて欲しくない、
核兵器の恐ろしさを知らなくてはならない、
ただただそれだけのようにきこえます。
大石さんがビキニ事件について語った3冊目の本が
出版されました。
『これだけは伝えておきたい ビキニ事件の表と裏』(かもがわ出版)
決して過去の話ではありません。
今そこにある危機です。
3日後、長崎にも原爆が投下され、
日本は戦争による唯一の被爆国になりました。
それから10年も経たない1954年3月1日、
アメリカは太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行い、
(当時は米ソ冷戦下で、水爆実験競争が繰り広げられていた)
たまたまその近海で操業していた日本のマグロ延縄漁船
「第五福竜丸」が実験に遭遇、
船も乗組員もマグロも放射能を浴びてしまったのです。
「ビキニ事件」です。
ビキニ事件は、広島、長崎につづいて
日本にとって第三の被爆とも云われています。
第五福竜丸の乗組員のひとり、大石又七さんは
あの日、第五福竜丸に起こったことについて、そして
その後自分たちを襲った恐ろしい病気や精神的苦痛について
勇気をもって証言しています。
公の集会での講演、また子どもたちとの勉強会にも応じています。
私は、東京・新木場にある第五福竜丸展示館で
若者たちに事件を説明している大石さんに出会いました。
それまで経験したことのない病状、世間からの差別、絶望、
そして少しづつ明らかになる真実・・・
大石さんの口から語られることばは静かですが
怒りと悲しみに満ちていました。
何の罪も無い人が突然放射能の攻撃を受ける!
このあり得なさは広島長崎と同じでしょう。
大石さんが「命ある限り戦いつづけてゆく」というのは、
ビキニ事件を決して忘れて欲しくない、
核兵器の恐ろしさを知らなくてはならない、
ただただそれだけのようにきこえます。
大石さんがビキニ事件について語った3冊目の本が
出版されました。
『これだけは伝えておきたい ビキニ事件の表と裏』(かもがわ出版)
決して過去の話ではありません。
今そこにある危機です。