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映画『BOBBY』

2007-08-16 16:28:45 | 朗読あれこれ
1968年6月5日。
アメリカ35代大統領ジョン・F・ケネディの弟、
ロバート・F・ケネディが銃撃されたその日、
事件現場のアンバサダーホテルに泊まっていた
あるいは働いていた人々を描いた映画
『BOBBY』を観ました。

1968年はベトナム戦争が泥沼化、
4月にはキング牧師が暗殺されるなど
アメリカはその後の舵をどうきるか
試されている時期でした。

ベトナムからの即時撤退、差別の撤廃、
人種間の融和などを掲げて大統領選に立候補した
ロバート・F・ケネディ、愛称ボビー。
彼が歩んできた道、そして敵も多かったことなど
ここでは詳しく触れません。

ただ映画の中で、カリフォルニア州の予備選挙で勝利し
勝利宣言をした直後、支持者に紛れた男の銃弾に倒れ
混乱と悲鳴の渦巻く映像のうしろに流れたのは、
遺言のような死の2ヶ月前のボビーのスピーチでした。
その内容に40年の時を越えて引っかかるところ
多々あったのでここに記します。
(映画の字幕のまま記すことをお許し下さい)


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今日は政治を語ることはしません。
この機会にぜひ伝えたいことを簡単にお話します。
アメリカでの心ない暴力について。

暴力は国の名誉を汚し、人の命を奪います。
それは人種に関係ありません。
暴力の犠牲者は、黒人、白人、富者、貧者、若者、老人、
有名、無名・・・
何よりもまず彼らは人間だということ
誰かに愛され必要とされた人間なのです。
誰であろうと、どこで暮らそうと、どんな職業であろうと
犠牲者となりえます。
無分別な残虐行為に苦しむのです。

それなのに今もなお暴力は私たちのこの国で続いています。
なぜでしょう?
暴力は何を成し遂げたでしょう?
何を創り出したでしょう?

アメリカ人の命が、別のアメリカ人により不必要に奪われる。
それが法の名の下であろうと法に背くものであろうと
一人または集団によって冷酷に計画して、または激情にかられて
暴力的攻撃によって、または応酬によって
一人の人間が苦労して自分や子供のために織り上げた生活や人生を
暴力で引き裂く。

暴力はすなわち国家の品位を貶めることです。
それなのに私たちは暴力の増長を容認する。
暴力は私たちの人間性や文明社会を無視しているのに
私たちは、力を誇る者や力を行使する者を安易に賛美する。
自分の人生を築くためなら、他者の夢さえ打ち砕く者を
私たちはあまりにも安易に許してしまう。

でもこれだけは確かです。
暴力は暴力を生み、抑圧は報復を生みます。
社会全体を浄化することによってしか
私たちの心から病巣を取り除けません。

あなたが、誰かに、人を憎み恐れろと教えたり
その肌の色や信仰や考え方や行動によって劣っていると教えたり
あなたと異なる者があなたの自由を侵害し仕事を奪い
家族を脅かすと教えれば、
あなたもまた他者に対して、同胞ではなく敵として映るのです。
協調ではなく、力によって征服し従属させ支配すべき相手として
やがて私たちは、同胞をよそ者として見るようになる。

同じ街にいながら共同体を分かち合わぬ者、
同じ場所に暮らしながら同じ目標を持たぬ者として共通するものは、
恐れと、お互いから遠ざかりたいという願望、
考え方の違いを武力で解決しようという衝動だけ。

地上での私たちの人生はあまりに短く
なすべき仕事はあまりに多いのです。
これ以上暴力を私たちの国ではびこらせないために
暴力は政策や決議では追放できません、
私たちが一瞬でも思い出すことが大切なのです、
共に暮らす人々は皆同胞であることを。
彼らも私たちも同じように短い人生を生き
与えられた命を私たちと同じように最後まで生き抜きたいと
願っているのです。
目的を持ち、幸せに満ち足りた達成感ある人生を送ろうと。

共通の運命を生きる絆は必ずや
共通の目的を持つ絆は必ずや
私たちに何かを教えてくれるはずです。
必ずや私たちは学ぶでしょう。
周りの人々を仲間として見るようになるはずです。
そして努力し始めるでしょう。
お互いへの敵意をなくし、
お互いの心の中で
再び同胞となるために。


  1968年4月、ロバート・F・ケネディのスピーチより

           映画『BOBBY』(字幕訳;松浦美奈)

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