萩原朔太郎の詩、『竹』の話をして
竹、竹、竹が生え。
などと云っていると思い出しました。
風呂場の隅に忘れられた竹踏みがあったのを。
写真で見ていただいて分かるように、これは
本物の竹です。
もう20年以上前になるでしょうか、母方の祖父が
自分の山から切ってきた竹を竹踏みにこしらえてくれたのです。
手作りなので、裏返すと少々ささくれだっています(^^)
でもこれが踏むと足裏に強烈なインパクトが与えられて
「おぉ~っ、イテテテテ」などと云いながら
イタ気持ちいいマッサージ効果抜群なのですよ。
隅に忘れ去られているわりには、引っ越しのたびに持ってきて
今でも思い出したように、たまぁに踏んでいます。
足を当てると、つるっとした竹の表面が冷たくて気持ちいい。
きっと人工の足踏みグッズとは違うでしょう。
ところで、この竹踏みを作ってくれた母方のおじいちゃん、
1911年(明治44年)生まれの96歳。
加えておばあちゃんも健在で
1912年(大正元年)生まれの95歳。
ふたりとも元教師で、おじいちゃんは校長先生も務めました。
杖を使いながらですが今でも歩くし、よくしゃべります(笑)。
おばあちゃんには逸話があって、10年ほど前、母も加えて
女3人で田舎のスーパーに出かけた際、ある洋品コーナーで
おばあちゃん用の洋服を物色。
私がある地味めのゆったりとしたワンピースを差し出して
「おばあちゃん、これどお?」
というと、おばあちゃんは
「そんなオバアみたいなのはイカンわい」
と一瞥して拒否したのです。
母も私も大爆笑。
「あんたがオバアでなくで誰がオバアなん?」
そのとき80代のおばあちゃんでしたが、自分が婆という
意識が無かったのでしょう。
私も年をとってもこうありたいです(^^)
祖父も祖母も私の自慢。
田舎に帰って顔が見たくなりました。
竹、竹、竹が生え。
などと云っていると思い出しました。
風呂場の隅に忘れられた竹踏みがあったのを。
写真で見ていただいて分かるように、これは
本物の竹です。
もう20年以上前になるでしょうか、母方の祖父が
自分の山から切ってきた竹を竹踏みにこしらえてくれたのです。
手作りなので、裏返すと少々ささくれだっています(^^)
でもこれが踏むと足裏に強烈なインパクトが与えられて
「おぉ~っ、イテテテテ」などと云いながら
イタ気持ちいいマッサージ効果抜群なのですよ。
隅に忘れ去られているわりには、引っ越しのたびに持ってきて
今でも思い出したように、たまぁに踏んでいます。
足を当てると、つるっとした竹の表面が冷たくて気持ちいい。
きっと人工の足踏みグッズとは違うでしょう。
ところで、この竹踏みを作ってくれた母方のおじいちゃん、
1911年(明治44年)生まれの96歳。
加えておばあちゃんも健在で
1912年(大正元年)生まれの95歳。
ふたりとも元教師で、おじいちゃんは校長先生も務めました。
杖を使いながらですが今でも歩くし、よくしゃべります(笑)。
おばあちゃんには逸話があって、10年ほど前、母も加えて
女3人で田舎のスーパーに出かけた際、ある洋品コーナーで
おばあちゃん用の洋服を物色。
私がある地味めのゆったりとしたワンピースを差し出して
「おばあちゃん、これどお?」
というと、おばあちゃんは
「そんなオバアみたいなのはイカンわい」
と一瞥して拒否したのです。
母も私も大爆笑。
「あんたがオバアでなくで誰がオバアなん?」
そのとき80代のおばあちゃんでしたが、自分が婆という
意識が無かったのでしょう。
私も年をとってもこうありたいです(^^)
祖父も祖母も私の自慢。
田舎に帰って顔が見たくなりました。