旅が好き・そして日々の時間で気の付く事を。

旅では人々の生きた来た跡を訪ねてみたい。
時間が出来たので、今までにしなかった事に手を出してみようと思う。

梅てのむ茶屋も有へし死出の山 大高(源吾)子葉 辞世 

2022-11-19 12:29:39 | 
俳都と言われる松山市、ここにも俳句。




 大高源吾は、芭蕉門下の宝井其角の弟子、俳号は子葉。討ち入り前に両国橋で其角と出会い、「年の瀬や水の流れと人の身は」と掛けられ「あした待たるるその宝船」と付けた言うエピソードは忠臣蔵の名場面。

 興聖寺、松山城主だった蒲生氏(祖先は俵の藤太、滋賀県三上山のムカデ退治で有名)の菩提寺、それよりも「義士の寺」として有名。
宮原久太夫頼安は、江戸の松山藩邸では吉良邸に討ち入った浪士十名を預かり、宮原は木村・大高の介錯役をつとめた。その後武士を捨て松山へ帰り親しかった木村岡右衛門と大高源五二人の遺髪を弔う墓を建てた。





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