旅が好き・そして日々の時間で気の付く事を。

旅では人々の生きた来た跡を訪ねてみたい。
時間が出来たので、今までにしなかった事に手を出してみようと思う。

「虹の会」なかよし村(松山市久米)

2025-02-02 10:26:04 | 日記
 この施設は、二年間の愛媛県肢体不自由児者父母の会連合会の会報編集取材の為2回訪問しました。また遠く東北の方からの障がい者施設設立の相談を受けてアドバイスを頂きに参ったことが有ります。今回は会報の取材ではなく皆様に知ってほしい情報として参りました。
 なかよし村の事業内容、生活介護事業(12名) 就労継続支援B型事業(10名)    施設の写真は、グーグルMAPより


 虹の会は重度障害者の「静的弛緩誘導?リハビリ訓練」
痛くないリハビリの訓練として拘縮した身体をマッサージなどを行い呼吸などを楽にする訓練で、講師の仕草を見ていると魔法の様に首の向きが変わり顔に血の気が戻る。 講師は中島先生(71)で、これからネットを継続するためにと参加者の皆さんに相談をされていました。
 親たちの集まる場としてもまた周りに自分と似た子がいると言う障がい児の安心感と言うか感じる雰囲気が違う場は貴重だと感じました。
 参加した障がい児は7名で遠く大洲からの参加がありました。

 施設長の加藤さんお子さんは40歳代になられるとか、現在2か所の施設運営をされていて、後継者の事をお聞きすると世代間と言うか運営者と従業員や障がい者を持つ親との気持ちや意識の差があることを話しされました。
高齢になった重度障がい者の受け入れ先が無い事など悩みを話しされました。
また見知らぬところでユニークな活動をされているのを耳にするとき、そこに希望を見出したいとも。
 この施設だけでなく昭和の時代の始めた同様の事業は、多くが同じ悩みを抱えている。

 参加は何で母親だけ?



加藤さん親子
中島先生







旅の思い出 今回は福島県の歌枕(2007~2008年)

2025-01-28 20:42:23 | 
奥羽の三関、白河・勿来(なこそ)・念珠(ねず)の三つの関所。


勿来関跡 「来るなかれ」の歌枕の地、
駅前の銅像


 地図を見て、駅から近いと思って歩いて行くと目的地は山の上だった。翌日、私と同じ様に上ってきた旅人に「先はどのくらいあるのか」とたずねられた、元気な人には体力保持の散歩に良いと思った。
下りは楽だった、道の両側に山桜があった咲く季節はどの様な景色かな。

宿舎の横に歴史館がありました。高いところから北「いわき市」の方の海岸線が良く見えます。
赤白の煙突は、2020年11月16日、常磐共同火力株式会社が勿来発電所10号機の廃止を発表 今はどうなっているのでしょう。


源義家「吹く風を勿来の関と思へども 道も狭に散る山桜かな」
道一杯に散る花弁がトウセンボをしているように見えたのかも。
 陸奥の勿来の関の松風に 秋よ来るなと蝉の声聞く


白河の関


 何といっても能因の「都をば霞と共に立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関」ホテルを出て朝一で着きました。入り口はお宮の様な狛犬と手水


誰も居ない、中世の山城の様な掘割や土塁らしきものがありました。




「奥の細道」には 古人冠を正し衣装を改し事など と書かれている。
曽良の発句 「卯の花をかざしに関の晴着かな」に倣って
 夏草の露を集めて手を清め、(季語が重なっているって)


白河の関を出て少し行くと「アウシュヴィッツ平和博物館」がありました。

20世紀末頃に松山でも展示会があったと記憶しています。
発足間もなくだったのか、館内は工事中でした。表には貨車(ワム?)が置いてありました、収容所へ移送するシーンなどの映画などでよく見るイメージかな。
早速会員になりました。中学生の時代からあのゲーテやベートーヴェンのドイツ人が何でと思いました。「スペシャリスト」と言う映画がありました、真面目で能力があるがナチスに加担する怖さがありました。「個人はどうあるべきか」を「君は見ていた」と問いかけます。
 NPO法人アウシュヴィッツ平和博物館 
なお、2025年1月27日はアウシュビッツ強制収容所の解放から80年です。


その後2020に庄内の酒田・鶴岡へ行く機会がありましたが念珠関所跡は近世に作られたとのことを聞き行く機会がありませんでした。。


「室町は今日もハードボイルド」 後半続き

2025-01-25 12:59:18 | 
「補陀落渡海」補陀落山寺のパンフレットより
 那智の浜から三十日分の燈明油と食糧をたずさえて、外へ出られないように釘付けをして沖に流し、観音の浄土すなわち補陀洛山に往生しようとする宗教儀礼で、この地から多くの渡海者が船出しました。熊野年代記によるとこの補陀洛渡海は貞観十年 (八六八)の慶龍上人にはじまり、平安時代に三回 室町時代に十回 江戸時代に六回が記録されているだけでも出船しています。
渡海僧出発の様子は「那智参詣曼陀羅」に画かれているが渡海は十一月、北風の吹く日を選んで夕刻に行なわれました。当日渡海者は補陀洛山寺御本尊前で秘密の修法をし、続いて三所権現を拝しました。見送りの人々のどよめきの中を一ノ鳥居をくぐって浜に出て、白帆をあげ、屋形の周囲に四門及び忌垣をめぐらした渡海船に乗り伴船にひかれて沖の綱切島まで行き、ここで白綱を切って観音浄土をめざし、南海の彼方へ船出して行きました。
 日夜、法華経を誦し、生きながら極楽浄土に旅立つ決死の行でありましたが、近世になると金光坊が渡海を拒んで島に上がりましたが無理矢理に入水させられたという伝説もあり、生きながら渡海をするという習慣はなくなり、当寺の住職が死亡した場合、かつての補陀洛渡海の方法で水葬をするという儀式に変って行きました。
 現在当寺の裏山には渡海上人の墓があります。

「補陀落渡海記」 井上靖著の短編集本があります。

お寺に残る渡海舟の実物大。


遠く太平洋を航行する船の上部。地球は丸いのだ。

 補陀落渡海は南紀のここからだけでなく高知県の足摺岬や室戸岬だけでなく、日本海側からもと。
足摺岬には、残された人が足摺をして残念がったのが岬の名前として残ったとか。補陀落渡海の言い伝えからか自殺の名所となり「ちょっと待て、もう少し考えよ」という自殺防止用の看板があったとか。

足摺岬



さて、元の本に戻り
 鎌倉の御家人が不名誉な自身を恥じて補陀落渡海をした話。
熱心な研究者が全国の資料を調べ合計57件あったとか。最後は1909年・明治だとか。統計的な分析では16世紀前半4件なのに16世紀後半11件17世紀前半に15件と増えその後途絶える。きっと何かあった?
この頃が宗教にすがる最後の時代かと思うが何があったのか面白い。
あちらではレコンキスタからルネッサンスの時代へと人々が論理的に考えるようになってきた。
流通が変わり人々の移動が変わりものの考えも変わり、「人権宣言」に向かうのかも。
「神様は何もしてくれない」、「ほなわしらの力で」と・・・・

 この本ではその後、事の正邪を決めるのに熱湯に腕をつけてその傷跡から正邪決める。まだまだ神様の出番があったお話。芸能の夢幻能のお話など。面白い。



「室町は今日もハードボイルド」清水克之著

2025-01-21 12:10:13 | 
面白い本に巡り合いました。
日本の中世を扱っています。
究極の自由主義の中で人々がどのように生きたかを面白おかしく。

 先ずは菅浦集落、案内書には
「菅浦は,琵琶湖最北部の急峻な沈降(ちんこう)地形に営まれた集落である。鎌倉時代から江戸時代にかけての集落の動向を記した『菅(すが)浦(うら)文書(もんじょ)』によると,永仁3年(1295),菅浦は集落北西に所在する日指(ひさし)・諸河(もろこ)の棚田(たなだ)を,隣接する集落である大浦(おおうら)と争い,以降150年余りにわたって係争が続いたことが知られる。」と書かれていて本ではその模様が「隠れ里の150年戦争」。
信じられるのは己と仲間。

 2015年ころ、その様な情報を知らず訪問した。風向きにより琵琶湖が高波になるのか石垣の奇麗なところだと思った。



その後は、向源寺の11面観音像を見に、この仏像は姉川の戦いの折に戦火を避けるため村人が地中に埋めたとか、腰をちょいとひねったお姿・・・宜しねえ。
写真撮影禁の為案内チラシで。
白洲正子さんの本、湖北の十一面観音だったかで紹介されていました。



11話「アイツだけは許さない」、2025年1月の兵庫の出来事と照らし合わせて。
伊達氏の「塵芥集」には、自害した理由を言い残していたら遺言の仇を伊達家が成敗するとか、残念ながら現代では加害者への制裁は出来ない。死を賭すほどの訴えを中世はくみ取るシステムがあった。本には武田や徳川での例も。
 そう言えば新渡戸稲造の「武士道」にも仇討ちの項があった。


敵討ちにはこんなのも「うわなり打ち」
先妻が仲間を集めて後妻の屋敷を襲う・・・オッソロシ~


まだ、本の中ほどだが面白い。





連句の碑

2024-12-14 09:24:56 | お仲間たちと
 伊予は古より俳諧それに次ぐ連句の里、今回はお仲間と碑を巡りました。
石手寺 ご存じ四国八十八箇所霊場の第五十一番札所・河野家と縁が深く様々な伝承が伝わっています。
 境内近くにはビルマ戦線や硫黄島の慰霊碑がありました。


両新田神社
 松山市郊外の河中、日浦の生徒さんたちが明日のマラソン大会の準備をしていました。

河中は川施餓鬼で有名ですが今はどのようになっているのでしょうか?
由来は両新田神社から南北朝時代の抗争・星岡の戦いかな。




「ハニー句会」 2024年  十二月例会

2024-12-05 22:56:30 | お仲間たちと
ハニー句会はピンチ
 師匠は病気で高齢でもあり、辞めたいと言われる人も続き。継続は難しいかも。
ひょっとして最終かい!!。

新井文子
黄金のトンネルつくる銀杏かな
ピザ釜にキノコの香りカフェテリア
落ち葉掃く箒馴染めぬ修行僧

八木健
かき入れ時の坊さんのこと師走の師
射幸心煽る年末ジャンボ籤
歳末にまとめて払う通い帳

長井知則
異常気象師には及ばぬ師走かな
いつからかサンタの居ない孫のツリー
孫と風呂何年振りの柚子湯かな

二神重則
見上げれば雲の端を染め遠い空
雲降りてサタン覗くか秋夕焼け
朝寒やちょいと気を張る明けの風

吉川正紀子
退院の我を祝って黄菊かな
焼き鳥の人が群がる冬始め
ガマ口の軽くなるなる師走かな




奈良の旅 暑いアツイ

2024-09-15 17:43:13 | 
 父の写真集に京都の染め物工場に丁稚で入った頃に猿沢池で撮ったものがありました。

20代の頃には何度か来たことが有りましたが、高齢になると奈良がこんなに坂だったのかと感じました。ヤレヤレ

興福寺の塔は工事中でした。さすがに暑くて鹿さんもあまり見かけませんでした。




 20代の始め京都に転勤になりました。法隆寺に行きました。あの頃は田舎道を歩いたような記憶があります。
中学校の美術の先生が二神司朗さんでした。飛鳥時代の建築の特徴を教えてもらいました。
二重基壇・エンタシス・卍型手すり?・裳階・雲形?など60年たっても覚えていた。







 梅田の空中庭園で淀川河口の西日を見ました。
四天王寺の西門からも大阪湾がこの様にきれいに見えてたのでしょう。
おぐり・俊徳丸・厨子王・・・面白い。




「ハニー句会」 2024年  九月例会

2024-09-07 19:46:57 | お仲間たちと


新井文子
鍾乳洞しばし住みたい残暑かな
秋暑しマイナスイオン浴びる滝
赤蜻蛉視力検査の保健室

玉乃井永
草の花スマホアプリに名前聞く
濁流の吠える台風沈下橋
糸瓜忌に坂雲の街ぶらぶらり

吉川正紀子
植木鉢さらった憎き台風奴
退院の窓積乱雲は元気雲
コスモスが好きかくれんぼすることも

門屋定
無花果や妻の気に入りジャム作り
雑草よ花が咲いても名は知らず
台風の事無し過ぎるかお城山

二神重則
赤とんぼ入日に末と煌めけり
暫くは法師ゼミ聞く風の道
島かすむ波間に蝉の声が降る

八木健
長き夜が明易となるYoutube
どこが違うか秋高し天高し
焼くのが惜しいさんまの流線形

長井知則
桔梗咲く実家の家紋と亡母(はは)が云ふ
夏休み終えてジジババ骨休み
老い夫婦会話少なく秋簾



「ハニー句会」 2024年  八月例会

2024-08-10 15:34:56 | お仲間たちと
暑い中の例会、今回はお休みが多く三人で開催。
一句一句検討(作者が居ないことをいい事に笑いながら)添削しました。
気に入って頂けると良いのですが。


吉川正紀子
焼き鳥の煙が誘惑夏のれん
炎天下夏大根の死んだ振り
風止んで風鈴どれも黙りこむ

長井知則
刀豆を振って踊ってチャンバラに
煙草の葉干して数えて束になり
蝉しぐれ影で指揮するボスが居る

門屋定
卓の上蟻を見ながら朝餉かな       
朝と昼ピアノ聞こえる夏休み
トマトにも名前あります桃太郎

新井文子
二人居の影ゆらゆらと青簾
暑気払い唐揚げ追加する幹事
サングラス写る息子は異邦人

二神重則
五月晴れ囀る鳥の能天気 
イライラと軒の風鈴フライング
シュレッダー憂き世の汗は音と消え

玉乃井永
蝉時雨気温二度上げ生き急ぐ
万座の湯浸る銀河に手を伸ばし
秋の蝶翅(はね)に旅券のマーキング

八木健
飾るにも花瓶がなくて大向日葵
からりとしてる落?の死に方は
香水の残り香エレベーター穢す




炎暑の中の島めぐり 二神島・津和地島

2024-08-04 10:41:20 | 
 二神さんやその他のメンバー24名でのツアー
島の人の住まいするところ辺りを記録しようと思いましたが、過日参った折と変わりがあまり見られませんでしたので、今回は夏の海霧にうっすら浮かぶ島々景色を撮りました。
 望遠レンズは砲金のキャノン85mmF1.9、重たい
終活を迎え使うのが最後かと持参しました。

終着駅・・・伊予鉄高浜駅・木造の歴史を感じる駅舎



父が務めていた旧丸善石油松山製油所


三津浜港の入り口、古い港らしく袋のような趣があります。全国の古い湊には室津とかの名前が残っている所以かも。


二神港


使われなくなったタバコ自販機、「おばちゃんがタバコを売っていた」と昔を知る人が。

島の家は、長屋門を入ると中庭園があり母屋や離れがあったとか。


これは何の船?


家の形をした石造りの墳墓

出番を待つタコつぼ


津和地港から見た二神島。


津和地島の浜通り


霞の仲の島々


 由利島
本日ニュースでは、由利島近くで爆発物らしきもの発見とか。何が見つかったんだろう?


 二神島 やはり津和地から見た島や上灘から見た島が二神島らしい。


 釣島と興居島


 島はゴミもなく人声もなく昔の風情そのものを残し整えられていました。
津和地は港の側には人口の一人一台以上有るかと思う沢山の軽トラが置いていました。忽那諸島の中心忽那島以外近くの島では最早宿泊や食事が出来る場所はなく、スーパーもありません。秋にもう一度計画していただけるとか、今度は少し今の小道を訪ねてみたいと思っています。



「ハニー句会」 2024年  七月例会

2024-07-06 17:12:22 | お仲間たちと
八木健
握る手に汗なのに手に汗握るとは
蚊帳吊つて仰向けに寝る一家族
レイコーは名前にあらずアイスコーヒー

新井文子
父の日や墓石に煙る缶ピース
夕虹や鍋吹きこぼれ夫が呼ぶ
青梅や頬張るアメは酸っぱ味

玉乃井永
鎖場を駆ける信徒や山開き
砂風呂の圧にミイラ化汗にじむ
砂日傘空き巣の如く波迫る

二神重則
軒の護符揺らすマジ風もう三月
夕空にそれかとぞ見る時鳥
ゆらゆらと小さき庭に夏来たり

長井知則
点滴の義母目細める梅雨晴れ間
ひ孫泣く義母の葬儀の梅雨寒し
初七日の祭壇に射す梅雨薄日

門屋定
木を蹴って何処に落ちるか天牛よ(カミキリ)
青紫蘇も野菜ジュースに色も良く
桑の実を知らない孫も歌で知る

吉川正紀子
梅雨の空降らせることに飽きもせず
田蛙は忍者のごとく現れる
口を開け金魚も欠伸することも





夫ット連句会 3度目の歌仙

2024-06-28 21:53:22 | 連句でコミュ力 UP
夫ット連句会 3度目の歌仙です。
まだまだ、付け句の離れ具合がもう一つの感じがします。
仕切っている人間の修業が至らぬばかりで他の人に申し訳なく思っています。

5年ばかり本格的な連句のお仲間に教えてもらいながら続けています。
30数年前に、連句をかじりました。式目などあまり重視しない会でしたが、あの楽しさが忘れられません。
一方私自身、式目重視で芸術性求める連句は、ほとんどものになっていない。これ以上見込みのない修行を続けるかどうか迷っているところです。

人はそれぞれ自分の世界を持っています。自分の世界の限界がある意味限界ですがそれは認識できません。
言い換えれば、他の人の句の良し悪しを特に良いを判断するのには無理があります。難しい事です。

止める人が多いのもそのあたりに原因があるのでしょうか
ま、ここでは気楽にやります。


---------歌仙「春の苑」-------------------------------
発句 三春  春の苑あのと指さす連れ連れて  二神重則
脇  晩春   池の鴨去りツツジ満開     山路健
第三 晩春  惜春の高欄櫓友待ちて      白石八朗 
四  雑    グリルの風にお腹の虫も    重
五  中秋月 名月に程よい燗と蒼き山     健
六  晩秋   木の実の落ちて弾く車庫屋根  八
一  三秋  治ったと馴染の癖字雁の文    重
二  雑    旅に出るのを楽しみとして   健
三  雑恋  初恋に酒つぐ喜寿の同期会    八
四  雑恋   酒池肉林と話す世之介     重
五  雑   円安の悪銭を手に馬券買う    健
六  雑    五パーセントのマイナ保険証  八
七  三夏月 笛吹けど踊らぬ蛸と月の下    重  
八  三夏   病葉見ればあの歌手の声    健
九  雑   琉球に増えゆく基地とジェット音 八
十  雑    友よ風には答え有るらし    重
十一 晩春花 花開き幼稚園児の靴洗う     健
十二 晩春   杜の膨らみ夏隣る街      八
ナオ一 三春  椿持ち北の港へ弁財船      重
二  雑    手がかかるほど増す可愛さよ  健
三  雑   追悼のフジコヘミングへ短調   八
四  雑    4Kにしたモノクロ映画    重
五  三冬  冬の海伊予と安芸とは指呼の間  健  
六  三冬恋  炬燵の中の熱き手と手と    八
七  雑恋  こっそりと夜の塹壕写真出す   重  
八  雑    明日をも知れぬ命あるなら   健
九  雑   アトムなるAIロボット古希迎へ  八
十  雑    二重写しの夢幻に       重
十一 三秋月 意を決し弓張り月に願い事    健
十二 三秋   火焔の土器と灯火親しむ    八
一  晩秋  どんぐりで寡黙な人のコマづくり 重
二  雑    回れば遠い地球は青く     健
三  雑   復興と万博工事せめぎ合い    八
四  初春   ファインダ越しにはだれ雪山  重
五  晩春  トド眠る岬の先は花盛り     健
挙句 三春   山嫋やかに里の麗らか     八


満尾 20240628 文韻





こんな車が出来ないかなア~

2024-06-19 15:55:20 | 日記
こんな車が出来ないかなア
 電動の老人車は重心が高くて見るからに不安定。そして、重い。こけたら・・・考えただけでも乗るのは躊躇する。

 一昔前の軽自動車の幅で、言えば二人乗りの車いすで自転車を2台平行に並べた様な感じて電池交換式のEV。時速は20~30kmくらいまで。軽くて一人で持ち上げられる程度。人にぶつかっても大丈夫。
一般車両とは住み分けが必要だな、人口密度とか過疎地指定とかで分けたらどうだろうか。それとも特区で、田舎には車が無いと生活が難しい。
誰か開発してくれないかなあ~

 散歩をしていると狭い道まで車が通る。子供たちも一列で歩いている。車が去ると途端に列が崩れる。
歩道のない道は車優先でなく人優先で。1.5m以内でも徐行しない車は多い。
産業優先の社会から人優先の社会へ、道を人に返せと 言いたい。
車にセンサー付けて、道には制御用の発信機を設置して人間優先の世界が来ないかなあ~



「ハニー句会」 2024年  六月例会

2024-06-12 19:50:52 | お仲間たちと

玉乃井永
顔見知り目深に被る夏帽子
紫陽花や手足踏ん張るモノレール*
夏木立光突き抜く摩天楼

門屋定
脚立揺れ枇杷の摘果と袋掛け
ひっやとし八十八夜の朝と夕
大判焼きと芳醇(ほうじゅん)な新茶かな

二神重則
目を閉じて遠い山路の藤訪ね
ジャズコンや春の雨夜にネオン揺れ
母の日や淡くモノクロ微笑んで

新井文子
さざ波が光と遊ぶ初夏の海
鎖樋(くさりとい)流れ楽しむ緑雨かな
母の日や漬け物石の良き重さ

長井知則
頭冴え夢も見ぬ間の短夜や
鉢植えのトマトは幾つ実のらすや
新玉のスライス攻めで病み払い

八木健
燕らに巣づくりの軒見当たらず
メタボ懲り懲り金魚の餌は控えめに
走り梅雨消して日記に暴れ梅雨

吉川正紀子
大夕立花壇の花に深情け
雨降りて歓喜の蝸牛のそり
水槽の金魚大きくなり過ぎて

愛媛新聞、
 例会が終わり添削をされた句もあります。










木曽路の旅(2) 奈良井宿

2024-05-29 11:00:48 | 
 奈良井の町は中仙道の街道でまさに観光地だ。駅の待合室は世界各地の人達でいっぱい、東南アジアの人が多いかな。




案内所で軒の深いわけを尋ねた、お客の雨除けで街道沿いのそれぞれが家がアーケードにしたのかな。それと、税金逃れで二階部分を広くしたからとか、ドイツの民家も二階がせり出したのがあった。何時の時代もお国はあれこれ考えて召し上げるのだ。
また、昔大火があり近辺の大工さんが来て町を立て直した。その折に各地の立て方をしたから大工の出身地により特徴ある建物の立て方が残っているとか。たしかに、袖壁も全部にはなく、庇も揃ったり様々。ただ軒の深いのはこの地の特徴でガラパゴス化特異的に進化したんだろう。山陰・中部の街道の家は棟の短い平入のお家が続く。




用水があちこちに在り水の豊富な事がうかがえる、また火事に備えたのかも。


二階屋根をせり出した出桁


一階部分の庇(他であまり見られない)


駅の横に大きな和風の橋があった岩国の橋につくり方が似ている。
木曽の大橋