旅が好き・そして日々の時間で気の付く事を。

旅では人々の生きた来た跡を訪ねてみたい。
時間が出来たので、今までにしなかった事に手を出してみようと思う。

奈良の旅 暑いアツイ

2024-09-15 17:43:13 | 
 父の写真集に京都の染め物工場に丁稚で入った頃に猿沢池で撮ったものがありました。

20代の頃には何度か来たことが有りましたが、高齢になると奈良がこんなに坂だったのかと感じました。ヤレヤレ

興福寺の塔は工事中でした。さすがに暑くて鹿さんもあまり見かけませんでした。




 20代の始め京都に転勤になりました。法隆寺に行きました。あの頃は田舎道を歩いたような記憶があります。
中学校の美術の先生が二神司朗さんでした。飛鳥時代の建築の特徴を教えてもらいました。
二重基壇・エンタシス・卍型手すり?・裳階・雲形?など60年たっても覚えていた。







 梅田の空中庭園で淀川河口の西日を見ました。
四天王寺の西門からも大阪湾がこの様にきれいに見えてたのでしょう。
おぐり・俊徳丸・厨子王・・・面白い。




「ハニー句会」 2024年  九月例会

2024-09-07 19:46:57 | お仲間たちと


新井文子
鍾乳洞しばし住みたい残暑かな
秋暑しマイナスイオン浴びる滝
赤蜻蛉視力検査の保健室

玉乃井永
草の花スマホアプリに名前聞く
濁流の吠える台風沈下橋
糸瓜忌に坂雲の街ぶらぶらり

吉川正紀子
植木鉢さらった憎き台風奴
退院の窓積乱雲は元気雲
コスモスが好きかくれんぼすることも

門屋定
無花果や妻の気に入りジャム作り
雑草よ花が咲いても名は知らず
台風の事無し過ぎるかお城山

二神重則
赤とんぼ入日に末と煌めけり
暫くは法師ゼミ聞く風の道
島かすむ波間に蝉の声が降る

八木健
長き夜が明易となるYoutube
どこが違うか秋高し天高し
焼くのが惜しいさんまの流線形

長井知則
桔梗咲く実家の家紋と亡母(はは)が云ふ
夏休み終えてジジババ骨休み
老い夫婦会話少なく秋簾



「ハニー句会」 2024年  八月例会

2024-08-10 15:34:56 | お仲間たちと
暑い中の例会、今回はお休みが多く三人で開催。
一句一句検討(作者が居ないことをいい事に笑いながら)添削しました。
気に入って頂けると良いのですが。


吉川正紀子
焼き鳥の煙が誘惑夏のれん
炎天下夏大根の死んだ振り
風止んで風鈴どれも黙りこむ

長井知則
刀豆を振って踊ってチャンバラに
煙草の葉干して数えて束になり
蝉しぐれ影で指揮するボスが居る

門屋定
卓の上蟻を見ながら朝餉かな       
朝と昼ピアノ聞こえる夏休み
トマトにも名前あります桃太郎

新井文子
二人居の影ゆらゆらと青簾
暑気払い唐揚げ追加する幹事
サングラス写る息子は異邦人

二神重則
五月晴れ囀る鳥の能天気 
イライラと軒の風鈴フライング
シュレッダー憂き世の汗は音と消え

玉乃井永
蝉時雨気温二度上げ生き急ぐ
万座の湯浸る銀河に手を伸ばし
秋の蝶翅(はね)に旅券のマーキング

八木健
飾るにも花瓶がなくて大向日葵
からりとしてる落?の死に方は
香水の残り香エレベーター穢す




炎暑の中の島めぐり 二神島・津和地島

2024-08-04 10:41:20 | 
 二神さんやその他のメンバー24名でのツアー
島の人の住まいするところ辺りを記録しようと思いましたが、過日参った折と変わりがあまり見られませんでしたので、今回は夏の海霧にうっすら浮かぶ島々景色を撮りました。
 望遠レンズは砲金のキャノン85mmF1.9、重たい
終活を迎え使うのが最後かと持参しました。

終着駅・・・伊予鉄高浜駅・木造の歴史を感じる駅舎



父が務めていた旧丸善石油松山製油所


三津浜港の入り口、古い港らしく袋のような趣があります。全国の古い湊には室津とかの名前が残っている所以かも。


二神港


使われなくなったタバコ自販機、「おばちゃんがタバコを売っていた」と昔を知る人が。

島の家は、長屋門を入ると中庭園があり母屋や離れがあったとか。


これは何の船?


家の形をした石造りの墳墓

出番を待つタコつぼ


津和地港から見た二神島。


津和地島の浜通り


霞の仲の島々


 由利島
本日ニュースでは、由利島近くで爆発物らしきもの発見とか。何が見つかったんだろう?


 二神島 やはり津和地から見た島や上灘から見た島が二神島らしい。


 釣島と興居島


 島はゴミもなく人声もなく昔の風情そのものを残し整えられていました。
津和地は港の側には人口の一人一台以上有るかと思う沢山の軽トラが置いていました。忽那諸島の中心忽那島以外近くの島では最早宿泊や食事が出来る場所はなく、スーパーもありません。秋にもう一度計画していただけるとか、今度は少し今の小道を訪ねてみたいと思っています。



「ハニー句会」 2024年  七月例会

2024-07-06 17:12:22 | お仲間たちと
八木健
握る手に汗なのに手に汗握るとは
蚊帳吊つて仰向けに寝る一家族
レイコーは名前にあらずアイスコーヒー

新井文子
父の日や墓石に煙る缶ピース
夕虹や鍋吹きこぼれ夫が呼ぶ
青梅や頬張るアメは酸っぱ味

玉乃井永
鎖場を駆ける信徒や山開き
砂風呂の圧にミイラ化汗にじむ
砂日傘空き巣の如く波迫る

二神重則
軒の護符揺らすマジ風もう三月
夕空にそれかとぞ見る時鳥
ゆらゆらと小さき庭に夏来たり

長井知則
点滴の義母目細める梅雨晴れ間
ひ孫泣く義母の葬儀の梅雨寒し
初七日の祭壇に射す梅雨薄日

門屋定
木を蹴って何処に落ちるか天牛よ(カミキリ)
青紫蘇も野菜ジュースに色も良く
桑の実を知らない孫も歌で知る

吉川正紀子
梅雨の空降らせることに飽きもせず
田蛙は忍者のごとく現れる
口を開け金魚も欠伸することも





夫ット連句会 3度目の歌仙

2024-06-28 21:53:22 | 連句でコミュ力 UP
夫ット連句会 3度目の歌仙です。
まだまだ、付け句の離れ具合がもう一つの感じがします。
仕切っている人間の修業が至らぬばかりで他の人に申し訳なく思っています。

5年ばかり本格的な連句のお仲間に教えてもらいながら続けています。
30数年前に、連句をかじりました。式目などあまり重視しない会でしたが、あの楽しさが忘れられません。
一方私自身、式目重視で芸術性求める連句は、ほとんどものになっていない。これ以上見込みのない修行を続けるかどうか迷っているところです。

人はそれぞれ自分の世界を持っています。自分の世界の限界がある意味限界ですがそれは認識できません。
言い換えれば、他の人の句の良し悪しを特に良いを判断するのには無理があります。難しい事です。

止める人が多いのもそのあたりに原因があるのでしょうか
ま、ここでは気楽にやります。


---------歌仙「春の苑」-------------------------------
発句 三春  春の苑あのと指さす連れ連れて  二神重則
脇  晩春   池の鴨去りツツジ満開     山路健
第三 晩春  惜春の高欄櫓友待ちて      白石八朗 
四  雑    グリルの風にお腹の虫も    重
五  中秋月 名月に程よい燗と蒼き山     健
六  晩秋   木の実の落ちて弾く車庫屋根  八
一  三秋  治ったと馴染の癖字雁の文    重
二  雑    旅に出るのを楽しみとして   健
三  雑恋  初恋に酒つぐ喜寿の同期会    八
四  雑恋   酒池肉林と話す世之介     重
五  雑   円安の悪銭を手に馬券買う    健
六  雑    五パーセントのマイナ保険証  八
七  三夏月 笛吹けど踊らぬ蛸と月の下    重  
八  三夏   病葉見ればあの歌手の声    健
九  雑   琉球に増えゆく基地とジェット音 八
十  雑    友よ風には答え有るらし    重
十一 晩春花 花開き幼稚園児の靴洗う     健
十二 晩春   杜の膨らみ夏隣る街      八
ナオ一 三春  椿持ち北の港へ弁財船      重
二  雑    手がかかるほど増す可愛さよ  健
三  雑   追悼のフジコヘミングへ短調   八
四  雑    4Kにしたモノクロ映画    重
五  三冬  冬の海伊予と安芸とは指呼の間  健  
六  三冬恋  炬燵の中の熱き手と手と    八
七  雑恋  こっそりと夜の塹壕写真出す   重  
八  雑    明日をも知れぬ命あるなら   健
九  雑   アトムなるAIロボット古希迎へ  八
十  雑    二重写しの夢幻に       重
十一 三秋月 意を決し弓張り月に願い事    健
十二 三秋   火焔の土器と灯火親しむ    八
一  晩秋  どんぐりで寡黙な人のコマづくり 重
二  雑    回れば遠い地球は青く     健
三  雑   復興と万博工事せめぎ合い    八
四  初春   ファインダ越しにはだれ雪山  重
五  晩春  トド眠る岬の先は花盛り     健
挙句 三春   山嫋やかに里の麗らか     八


満尾 20240628 文韻





こんな車が出来ないかなア~

2024-06-19 15:55:20 | 日記
こんな車が出来ないかなア
 電動の老人車は重心が高くて見るからに不安定。そして、重い。こけたら・・・考えただけでも乗るのは躊躇する。

 一昔前の軽自動車の幅で、言えば二人乗りの車いすで自転車を2台平行に並べた様な感じて電池交換式のEV。時速は20~30kmくらいまで。軽くて一人で持ち上げられる程度。人にぶつかっても大丈夫。
一般車両とは住み分けが必要だな、人口密度とか過疎地指定とかで分けたらどうだろうか。それとも特区で、田舎には車が無いと生活が難しい。
誰か開発してくれないかなあ~

 散歩をしていると狭い道まで車が通る。子供たちも一列で歩いている。車が去ると途端に列が崩れる。
歩道のない道は車優先でなく人優先で。1.5m以内でも徐行しない車は多い。
産業優先の社会から人優先の社会へ、道を人に返せと 言いたい。
車にセンサー付けて、道には制御用の発信機を設置して人間優先の世界が来ないかなあ~



「ハニー句会」 2024年  六月例会

2024-06-12 19:50:52 | お仲間たちと

玉乃井永
顔見知り目深に被る夏帽子
紫陽花や手足踏ん張るモノレール*
夏木立光突き抜く摩天楼

門屋定
脚立揺れ枇杷の摘果と袋掛け
ひっやとし八十八夜の朝と夕
大判焼きと芳醇(ほうじゅん)な新茶かな

二神重則
目を閉じて遠い山路の藤訪ね
ジャズコンや春の雨夜にネオン揺れ
母の日や淡くモノクロ微笑んで

新井文子
さざ波が光と遊ぶ初夏の海
鎖樋(くさりとい)流れ楽しむ緑雨かな
母の日や漬け物石の良き重さ

長井知則
頭冴え夢も見ぬ間の短夜や
鉢植えのトマトは幾つ実のらすや
新玉のスライス攻めで病み払い

八木健
燕らに巣づくりの軒見当たらず
メタボ懲り懲り金魚の餌は控えめに
走り梅雨消して日記に暴れ梅雨

吉川正紀子
大夕立花壇の花に深情け
雨降りて歓喜の蝸牛のそり
水槽の金魚大きくなり過ぎて

愛媛新聞、
 例会が終わり添削をされた句もあります。










木曽路の旅(2) 奈良井宿

2024-05-29 11:00:48 | 
 奈良井の町は中仙道の街道でまさに観光地だ。駅の待合室は世界各地の人達でいっぱい、東南アジアの人が多いかな。




案内所で軒の深いわけを尋ねた、お客の雨除けで街道沿いのそれぞれが家がアーケードにしたのかな。それと、税金逃れで二階部分を広くしたからとか、ドイツの民家も二階がせり出したのがあった。何時の時代もお国はあれこれ考えて召し上げるのだ。
また、昔大火があり近辺の大工さんが来て町を立て直した。その折に各地の立て方をしたから大工の出身地により特徴ある建物の立て方が残っているとか。たしかに、袖壁も全部にはなく、庇も揃ったり様々。ただ軒の深いのはこの地の特徴でガラパゴス化特異的に進化したんだろう。山陰・中部の街道の家は棟の短い平入のお家が続く。




用水があちこちに在り水の豊富な事がうかがえる、また火事に備えたのかも。


二階屋根をせり出した出桁


一階部分の庇(他であまり見られない)


駅の横に大きな和風の橋があった岩国の橋につくり方が似ている。
木曽の大橋




木曽路の旅(1) 木曽平沢

2024-05-29 10:01:19 | 
 木曽平沢は中仙道の街道の小さな漆器の町だ。建物の立て方や佇まいは越前や越中高岡の街に似ている。漆器のお店を兼ねた民家が並ぶが販売している土産屋さんは少ない。街路の入り口と出口は神さんとお寺が守っているようだ。1時間ほどで回った。あとはJRの時間待ち。




棟の短い住宅


三階建てもある


色ガラスかな洋館もある


大谷石の蔵や門構えがあった。


駅は町のサイズに似合わない位長い。


給食の食器は漆器。


街の入り口にあるお宮



道後湯築城

2024-05-15 11:04:08 | 
 数年ぶりにゆっくりと「道後湯築城跡公園」を散歩しました。
散歩している人あり城跡好きと思われる人あり、しっとりとした良い公園になっていました。



この城は中世も終わりに近い戦国末期、武器も弓から火縄銃に移る時期で、その様な目で見ると面白いと思います。近くには近世城郭の松山城もあり比較すると、兵士の数や武器の違いなどを想像すると興味深い。
また、秀吉子飼いの武将たちの作った城の一つ松山城も朝鮮の役で培ったノウハウを生かした松山城の縄張りもまた面白い。お城は奥が深い。
  外堀


 思えば20世紀の末、同地にあった動物園の移転が決まり跡地をめぐって、中世城郭として文化財として残すべきとの運動がおこりました。
あれから40年近い時が流れ「道後湯築城跡を守る県民の会」の運動をしていた人たちを思い出します。川岡さんはいまも中世史でご活躍されています。島津さんは「いいね」とお空から眺めておられるのでしょうか。

 この時期は丁度ICTがJカーブで拡大、インターネット幕開けと重なりました。私が作ったホームページで運動の範囲が県から全国のお城を愛する人たちに広がりました。インタ―ネット恐るべしでした。

   当時のホームページに使っていた写真やロゴなど


その後は、退職後の新しい仕事や病気の入院などで運動から遠ざかり、土居さんにはご迷惑を掛けました。今もご健在だとか。

 内堀







同世代だと思える案内ボランティアの人から声を掛けられました。「一緒にやりませんか」と優しい物腰の方でした。







良い公園になっていました。皆さんのお力によるものです。


「ハニー句会」 2024年  五月例会

2024-05-11 22:50:46 | お仲間たちと


新井文子
青き穂を抜いて麦笛畦の道
夏に入る柔軟剤の香り変え
饅頭に誘われ茶屋へ遍路道

二神重則
鴨立ちて池は小さな波ばかり
東でも西の社もホーホケキョ
はずのない声聞く時ぞ春夕べ

門屋定
見上げれば立夏の空の気持ち良さ
此(こ)の家(うち)も三本立ての松の芯
花過ぎて別れを風に促(うなが)され

長井知則
母の日は肩叩き券倍増し
点滴の文字摺草や老いる義母
家族鯉夏霞の空たなびく

八木健
夏帽子鍔の広さにこそ秘密 鍔(つぱ)
薄暑てふ季語に暑さの厚み知る
発音もかたちも似てる枇杷と琵琶 

吉川正紀子
さざ波を立てて嬉しき水田かな
跳び跳ねる首に紫雲英の首飾り
草笛名人若葉じゃ音だせぬ



「ハニー句会」 2024年  四月例会

2024-04-13 14:06:11 | お仲間たちと


新井文子
亡き人の浮かんで消えてシクラメン
赴任して一人暮らしに春うらら
落椿浮かべて花の手水鉢

玉乃井永
四月馬鹿真顔崩れるネタばらし
進学の吾子より母の晴れ姿
磯遊び一発波の洗礼を

吉川正紀子
菜花梅雨泣いて喜ぶ石手ダム
囀ずりて夜明けを急かす小鳥たち
咲かねばとモジモジとする蕾たち

八木健
試着とは頭に載せること春帽子
ゴンドラの唄ぶらんこに腰かけて
散るさくらいずれ掃かれる花屑に

二神重則
春浅し日当たり探す交差点
春の苑あのと指さす連れ連れて
空を背に花びら集う水溜まり

門屋定
待ちました開花宣言に笑いあり
薔薇の芽や今スクスクと出番待ち
桜咲くお寺にお宮満開に

長井知則
妻入院代役熟し春うらら
催花雨や咲けば咲いたと再会す
春ですねパソコン将棋でまた待った



「春風」その曲は中学校で習った。

2024-03-20 17:08:43 | 日記
 元歌はフォスターの「主人は冷たい土の下 Massa's in De Cold Ground。」

 60年前の同級生に母親が日本人で父親が半島人の在日二世の友人が居ました。その家は貧しくつつましい生活をしていました。小中と同級生の彼はその歌が好きだと言っていました。一人で「オールドブラックジョー」を口ずさんずいるのを聞いたことが有る。差別はそこにありました。
後年、成年になった友人と巡り合い、数人の親しい人達と一緒しました。元気そうな母上にもお会い出来ました。現在の消息は分かりません。
 もう一人の在日二世の同級生は、北朝鮮の帰国事業であちらの国に行ったとか聞きました。悲惨な状況を想像しますが現状は分かりません。
かの国とは微妙な関係が続いています。嘆かわしい事です。

 この曲はペリーが浦賀へ来た時の鼓笛隊が演奏したと記録されているとか。
鼓笛隊で一度聞いてみたい。
讃美歌になったり、日本語の歌詞は色々あるらしい。

 懐かしい曲なった。年を重ねると様々な思い出がよみがえる。



「ハニー句会」 2024年三月例会

2024-03-09 16:45:24 | お仲間たちと

吉川正紀子
広げたる枝に咲かせて梅の花
芽吹きして山々笑う支度すみ
横着の手が届かない蕗の薹

高尾田山人
春椎茸を擬人化で呼び春子さん
いつの日か別れる運命春炬燵
振るときのリズムはチャチャチャ種袋

門屋定
立春や一番搾りグィと呑み 
つる薔薇のてんてんてんの赤芽かな
菜種梅雨貯水が増えて有難う

新井文子
垣根越し甘き泣き声通い猫
空高く音符を描く小灰蝶(しじみちょう)
脳トレも三日続かず山笑ふ

二神重則
襟立てて土の匂いや春少し
蝋梅の香りの壁に足止め
黒雲の帯を留める栗の毬(いが)

長井知則
堀江小弥生の似合うおさげ髪
初雷や我家のルンバ俺の番
大谷ロスの年休は春の雪


玉乃井永
技術書の行間遠く目借時
花遍路人生最高の家出
一、二と孫と石段木の芽時