漕手のやんごとなき日常

~立教大学体育会ボート部の日常を漕手目線で~

ラクロス部からボート部へ

2021-08-08 21:30:00 | 長すぎ

栗山くんから紹介があったようにラクロス部からきた藤原です。初のブログですので、今回はボート部に転部した経緯を書こうと思います。長くなりますが読んでいただけたら幸いです。

初めてボート部を知ったのは、昨年の6月ごろにあった体育会対抗オンライン筋トレバトルでした。このとき、ラクロス部とボート部は対戦したので少しボート部の雰囲気を知るきっかけになったと思います。

(このときに、まさか1年後ボート部に入るなんて夢にも思っていませんでしたが笑笑)


時は経って今年の4月、私はラクロス部の友達とゼミの友達合わせて4人で新座キャンパスで新歓に回っていました。このときの目的は、ラクロス部は兼サーできるということでどこか良さそうなサークルがないかなあって探すことでした。

1号館のキャンパスの中でサークルの話を聞いた後、「もういっかー」って感じで外に出ると「ちょっと君たちぃぃ!」と陽気な人たちに話しかけられました。

それが、実は3年生の千晴さんと兼三さんなんですね。

「うわー体育会に話しかけられちゃった」

って思いで、新歓されました。

ラクロス部に所属してることはボート部の人たちには言わず、なににも入ってないと思われていたので、その新歓の熱さが尋常ではありませんでした。

2年生からでも全然間に合うから!」とか

「寮だから毎日がお泊まりみたいで楽しいよ!!」とか色々言われました。

でもその話し方はすごく楽しそうだったし、正直胸が熱くなりました。

自分だけじゃなくて、ラクロス部の他の友達も「去年この新歓されてたらボート部入ってたかも」など言ってたんで、やっぱそれだけいい話が聞けたってことなんですよね。


ちなみにそのときの話をもう少し話すと、

試乗会の連絡とかもしたいから「LINE交換しよ」って言われたので、ノリで交換しました。でもすぐに「やっベー」ってなりました。実は、プロフィール画像をラクロスの写真にしてたので、速攻で替えました。


話は戻すと、

ボート部も楽しそうとは思いましたが、自分はラクロス部の身、他の体育会に転部するなど、考えたこともありませんでした。

ただ、転部することは考えたことがありませんでしたが、実は、ラクロス部を4年間続けることの想像もできていませんでした。

というのも、かなり前からいつか辞めちゃうかもって思っていたんですね。

自主練の壁当ては楽しかったので誰よりも練習して(壁当ての時間に関しては日本一やったくらいの自信があります笑)、その分上手くもなりました。壁当ては今も好きでよくやるんですが、ラクロスに未練があるわけではないのでご理解いただけると嬉しいです笑ラクロスにはクロスワークというものが存在します。簡単にいうと、スティックとボールの親密性という意味ですかね。(自分なりの解釈)ちょっとわかりづらいかもしれませんが、このクロスワークが高ければ高いほどプレーの幅も広がるってことになります。

このクロスワークはすごく磨いたし、周りも認めてくれてました。それでも、ラクロスの競技自体を楽しいと思えたことがあんまりありませんでした。

要は、私は、ただボールをスティックで扱うっていう単純なことが好きだったんですよね。これに気づいたのは、大体去年の1011月頃。ラクロス部の1番仲良いやつにも「今すぐとかじゃないけど俺いつか辞めるかも」って話してました。

今年の3月くらいには新人戦もあり、関東大会優勝もしました。

でもコロナの緊急事態宣言の関係で練習に行けていなかった自分は、ポジションがゴーリー(キーパー)って事もあってもちろん試合には出れませんでした。

出れないのは悔しいと思いはしましたが、1人で技を磨くことが好きだった自分は、自分が出なくても勝てるんだし、「試合に出たい!」って強く思うこともありませんでした。負け惜しみなのかもしれませんが、悔しい気持ちより、試合に出てないのに関東一になったことを親とか友達とかに言っていいのかなって思いの方が強かったです。

その変な感情をなくすために、インスタでは優勝の投稿をしていつか納得いくことをしたいって思っていました。

最初はベンチだったけど、最後はスタメンで頑張った!めでたしめでたし。としたかったところではありますが、新人戦のあと練習や練習試合をやってもやっぱりラクロスの面白さは自分にはわかりかねました。

そのときは、ラクロスをやめると同時に休学して海外を放浪するなども考えたことはありましたが、それはさすがに厳しい、、


長々と書いてしまいましたが、こんな風に考えてるときのボート部の新歓だったのでそれもあって新歓の言葉はかなり胸に刺さりました。


それでも、新歓を受けて数日は転部などあり得ないって思っていました。でも、新歓のときに交換したLINEでとても熱い言葉が送られてくるんですよね。

こんなときに、母と姉と外食をしに行きました。そしてボート部に新歓された話をしました。親に話してなんと言われるかなって思ったら、意外にも「いいじゃん」と前向きでした。というより、私より「寮生活楽しそう!」とか言われました。


そこから私も真剣にボート部に入るのもありなのかなって思うようになりました。


ちょっとしてから、新歓してくれた千晴さんに「実はラクロス部だったんですけど、ラクロス部辞めてボート部に入ろうかなって思います。今度体験に行ってもいいですか?」とLINEで伝えました。嘘をついてたのでめちゃくちゃ謝罪もしました、笑

でも、そんな私に千晴さんは「是非!」というように快く受け入れてくださいました。

日立明三大学レガッタの関係で体験会に行くと決まってから2週間の時間がありました。

このとき私は、地元でずっとラクロスを練習してきた友達に相談することになります。


自分:「俺さボート部の体験会行くことにした。ほんとにラクロス辞めちゃうかもしれねーわ」

T君:「まじか。結構寂しいな。でもボートの感じ拓也に向いてそうだわ。」

この友達は去年知り合ったばかりですが、ずっと練習をしているうちに唯一無二の存在になった人です。この友達の「向いてそう」って言葉で体験会に行く前から90%くらいでボート部に入ろうって決めることになります。


そして、体験会当日。


千晴さんはとても快く受け入れてくださいましたが、ラクロス部と偽っていたのはとても罪深かったので、駅から艇庫までの道中、オレンジジュースを謝罪の意味で渡しましたが、とても笑われました笑笑


艇庫に着いてから、エイトに試乗させていただきました。水上のスピード感がたまらなかったです。「ほんとにボート部きちゃった」ってそのときに実感しました。

試乗会の後は、船の説明や、エルゴの説明をしていただきました。その時教えていただいたのが、野間さんです。野間さんがひくエルゴはとても楽しそうに見えました。


帰り際には、ボート部の真面目な様子を聞いたりしました。

この日の体験会でもう入部は確定することになります。


その後、ラクロス部を辞める旨を監督を始め幹部に話すことになりますが、応援していただいた人がとても多かったです。しかし、もう少し考えてほしいとも言われました。

その結果、一時期ラクロス部とボート部を兼部する期間がありました。

とてもハードではありましたが、誰もやってないことをするのが好きな自分にとって貴重な経験になったと思います。


ボート部の練習は、初日大回り一周でしたが、それはたまたま超楽な日で、兼部の最終日は新歓サーキットという人生で1番きついメニューと感じましたね笑


きついメニューをひたすら頑張る1年生には心を打たれましたし、自分も頑張ろうって強く思いました。

また、練習後のご飯はとても美味しく、このご飯が毎日食べれることがいいなって思いました。

そして、兼部の期間が終わり、いよいよ正式にラクロス部を辞め、ボート部に入部するようになります。

ラクロス部の主将には、

「拓也は退部じゃなくて引退だとみんな思ってるよ」って言ってくれました。

ラクロス部の皆さんにも応援していただいてることを実感した言葉でした。

ラクロス部の応援と、ボート部が快く受け入れていただいたおかげで今の生活ができていることをとても感謝しています。


親やラクロス部、地元の友達が背中を押してくれたこと、そしてボートの競技性(ひたすら同じことを繰り返す究極なところは私がやっていた壁当てに似ていました。)、またボート部の優しさに私は惹かれて入部しました。


最後にラクロス部で学び、ボート部に生かせることを書きたいと思います。

ラクロス部では学生コーチによって言語化を強く意識させられました。

今はそのおかげで、自分なりにフィードバックできるようになりましたし、それによってフォームもかなり改善されているように思います。もちろんアドバイスをいただいてわかることが多いですが、自分で考えるきっかけになったのは学生コーチのおかげですし、それをボートでもずっと続けていきます。


さまざまな人の応援があって今があることを忘れずに、ボートで結果を残せる漕手になります!


最後まで読んでいただきありがとうございました。

次は、陽気なように見えて実は繊細、最近の友達はウクレレの和気くんです。楽しみにしててください。