先が全く見えない日々の中書いた前回の日記から早3ヶ月、2度目のインカレ優勝という結果をもって、完全に競技復帰することができました。
3年山田雄恒です。
まずは、インカレにて昨年以上に大きなご声援、ご支援をいただき本当にありがとうございました。
ここに戻ってくるまでに本当に色々な事がありました。私自身は、前回の日記執筆時点で1ヶ月弱、そしてその後もさらに丸1ヶ月以上ボートを漕ぐことができない日々が続いてました。
さらには7月下旬に1年岡山の膝の故障も悪化し、最終的にクルーを組み始めたのがチームとしての強化練習が始まってから、時期的にはインカレの4週間程前からでした。
そのためクルーとしてのユニフォーミティを高めるだけでなく、4人のうち2人は体力や筋力を戻すところからのスタートでした。
このような状況から日本一を勝ち取ることができたのは、明確な理由があります。
それは、自分達自身や他のクルーメンバーを、日本で1番「信頼していた」からです。
ここで私が1番言いたいことは、あの0.09秒差での優勝は偶然やラッキーで得られた勝利では決してなく、どんなに困難な状況下でもクルー全員が自分を信じ、仲間を信じ行動してきた結果であるということです。
フォアでの練習ができていない期間でいえば、
和気さんとノブは、試合当日までに私や岡山の怪我が治る保証がない中でも全日本後から実施していた2-での練習を2人で黙々と継続してくれました。
慎之介は、体調不良や怪我を抱えながらも、サイドチェンジやできる部位の筋トレなど私が課したオーダーを1つ1つ着実にこなしました。
また私自身も、このような他3人の熱意やそれに伴う行動を1番近くで見ていたからこそ、一度も全員一緒に漕いだことがないながらもこの3人に絶対的な信頼を置くことができました。おかげでリハビリにも集中でき、インカレ時には間違いなくフィジカル、技術共に過去最高の状態に持っていくことができていたと思います。
イメージする映像の共有や陸上でのコミュニケーションも徹底的に行い、個々で方法は違っても4人で同じ方向を向きながらその時できる準備を毎日ひたすら続けました。その甲斐もあり、初めて練習した際からバランス感覚やドライブ感の統一という面では中々の完成度を出せていました。
しかし陸でのアプローチのみでは限界があったのも事実であり、組み始めは一番肝心であるスピードを出すという点においてかなり苦戦しました。8月末に行われた東日本TTでは逆風ではあったものの7分を切ることすらできず、同じ組みの明大にも先着を許しました。
しかしレース後の切り替えは4人とも恐ろしく早く、結果に一喜一憂せずにその後の練習でもレースで出た課題を1つずつ確実に克服していきました。MAXスピード、コンスタントスピード共に10日かけて少しずつ向上させ続け、迎えたインカレ予選、ゴール前で腹を切るアクシデントがありながらも全体のトップタイムで通過しました。
準決勝も全体2番タイムで着実に通過し、最終日に最高のパフォーマンスを発揮する絶対的な自信を持って決勝に駒を進めました。
しかし、ここまで順調に準備を進めても舞台はインカレの決勝。
中盤で相手を圧倒的に引き離すプランを立ててはいましたが、楽な勝負はできないことは分かっていました。
ノブの日記に書かれていたように、決勝前夜のミーティングで「最終盤まで出られたとしても俺たちが1位でゴールする事実は揺るがないから、最後の最後死ぬほど上げても絶対についてきて。」と伝えました。
そして迎えた決勝レース、500mをトップ通過するもプランとは逆に中盤で詰められ早稲田、同志社と横並びのまま1500mを通過しました。すぐにスパートを入れましたが相手も一歩も引かず、ラスト200mではとうとう早稲田に出られました。しかし、自分でも意外でしたがこの時の心境としては「こいつらすげえな」というライバルへのリスペクト、そして「この4人で一体どこまでスピードを上げられるんだろう」という好奇心が大部分で、しんどさ、苦しさや負けるかもといった危機感はその時は全くと言っていいほど感じませんでした。今振り返って見れば苦しい展開でしたが、漕いでいる最中にここまで夢中になれてワクワクしたレースは9年の競技人生でも初めてで、本当に楽しかったです。
そのまま「行こう!」と叫びレートを瞬間値50まで上げ、無我夢中で漕ぎまくりました。
前日のミーティングでの誓い合い、また何よりもクルーを組んできた過程で築き上げた絶対的な信頼があったからこそできたことで、トレーニングは理論的に行なっていても、最後の最後で表れたのはそのような築き上げた信頼が裏付ける4人全員の気持ちの強さであり、その結果、心身ともに限界に近い中でも4人で艇を進め続けられたのだと思います。
ゴール直後は私しか勝利を認識していませんでしたが、桟橋で正式結果を知り監督コーチを含めて全員で抱き合って喜んだあの光景は生涯絶対に忘れません。
ここまで私が日本で1番信頼しているクルーメンバーのことばかり語らせていただきましたが、私たちがこれほどまでにお互いを信じ合い進むべき道を真っ直ぐ進むことができたのは、沢山の人々が多大なるご協力により、その真っ直ぐをぶれないように支えてくださっていたからです。ゴール前での絶大なるご声援はもちろんのこと、不自由なく競技に取り組める環境を整えてくださっている日頃のご支援、そして歴代の先輩方が遺してくださった対抗種目のプライドなど、何一つ欠けても得られなかった結果です。金メダルももちろん嬉しいですが、そのようなたくさんの人々の応援に恥じない最高のレースを、最高の仲間たちとできたことを何よりも誇りに思います。
ただの順位や記録だけには収まらない、自分にとってかけがえの無い大きな意味を持つインカレになりました。
長くなりましたが、改めまして、本当にありがとうございました。
立教大学ボート部、そして「立教大学のM4-」は、これからもっと強くなります。
私は、2016年に勝又さんたち高校未経験の先輩方4人がM4-で全日本選手権史上初優勝を成し遂げた姿に憧れ、M4-でどうしても日本一になりたくて立教ボート部に入りました。これは入部当初から「何で立教に入ったの?」と聞かれた際にずっと言っていることです。しかしその目標は別のもの変わりつつあります。それは「立教史上最速のM4-を作ること」です。決勝レース後に沢山の人に「エイトと無しフォアが1番盛り上がっていたね!」と声をかけていただき、何とも言えない感慨深い気持ちになりました。
ボートの花形はM8+と言われている中で、自分が大好きなM4-で会場を盛り上げられたことがとても嬉しかったのです。他大の選手からすればちっぽけな目標なのかもしれませんが、誰がなんと言おうと、私は怪我でお先真っ暗かのように思われた夏を最高のものにしてくれたこの艇に、心の底から感謝しています。
ゆくゆくは「立教といえば無しフォア」ではなく、「無しフォアといえば立教」となるように、4年目のシーズンで最高の恩返しをしたいと思います。
次は女子部新主将、女王きょうかです。
瑞稀から紹介ありました丹羽健太です。
ゼミの研究&論文執筆準備のためインカレオフの一週間を使ってホノルルで調査してきました。
文武両道目指して頑張っております、丹羽健太です😜
まずはO B・O Gの皆様、ご父兄の皆様、関係者の皆様、日頃よりご支援ご声援ありがとうございます。
毎年この大会期間になるとどれだけ支えられているのか実感します。
引き続き変わらぬご支援よろしくお願いいたします。
また引退された4年生の皆様、3年間ありがとうございました。
学年が1つ上で、共にいた時間が一番長かった先輩方には本当に毎日お世話になりました。
では本題に移ります。
私もインカレの振り返りをいていこうと思います。
インカレを通じて一人では決してここまで頑張ってこられなかったと思いました。
たくさんの人の支え、サポート、応援、刺激があり初めて自分の全力が出る事を実感しました。
決して一人では成り立たないし、応援やサポート、仲間の存在って本当に大切です。
ありがとうございます。
5日間のレース期間は出場したレースはもちろんですが、仲間のレースも見ているだけで自分にとって本当に刺激的で寝食共にしている仲間が全力で戦っている姿は自分のエネルギーの源になりました。
私が出場したクォドは午後のレースが多かったため、午前はレースを応援していました。見ているだけで本当にこれ以上ないパワーをもらえました。
全レースを振り返って、見ていて一番感動したレース、嬉しかったレースはやっぱり
土曜日に行われたオッ盾エイトの予選レースです。
夏の期間は自分の船に精一杯で、オッ盾エイトのみんなが漕いでいるのをちゃんと見たのはこのレースが初めてでした。
土曜日のオッ盾初レース、日大の次に2着目で第4Qに入ったのを見て色々なことを思いました。
乗艇後にいつもセンダイで技練をしていたことやR P3をたくさん触っていたこと、乗艇後に1時間半くらい艇庫でミーティングしていたことなど。
このような努力の積み重ねが日曜日の準決勝進出という結果に現れたのだと思います。
なぜこんなにオッ盾のことについて書いているのか、
それは新歓した時に目を輝かせながら試乗会をし、自分の目の前で入部宣言をしてくれた1年生が5人も乗っていたからです。
ボートという競技にであってこの一夏でここまで上達して、2000mを1日2本漕ぎ切って、スコアを1秒ずつ更新したことは本当にすごいと思います。
このオッ盾エイトの経験は本当にこれから活きる貴重な経験になったと思います。
クルーリーダーを務めた瑞稀の思いは前回の日記で書かれていました。
私も2年次の日立明は男子部で一人だけ出場することができず、本当に辛い思いをしました。
夜になると悔しい気持ちでいっぱいになることや、みんなが練習している時に一人男子部に取り残される孤独さ、練習終わりにみんなが艇庫に帰ってくる声でさえ聞きたくなかったことなど,いまだに覚えています。今振り返るとボート競技での初めての挫折でした。
だから全部ではないかもしれませんが少しは気持ちがわかります。
引っ張ってくれてありがとう。
予選を漕ぎ終えたみんなの様子です。
次に私が出場した種目について書いていきます。
私の出場した男子クォドは9位で終わりました。
入賞まであと2秒届かず、目標を達成することはできませんでした。
大学生活の全てをボートに捧げている私たちにとってインカレは1年間の集大成の大会。
だからこそ結果は出したかったし、自分達で立てた目標はクリアしたかったです。
インカレの最終日は艇庫では喜びに溢れていました。
男女で優勝、男子ペアも準優勝。
創部以来の歴史に残る日になったのだからそのはずです。
でもみんなと一緒に喜べないことが本当に悔しかったです。
4年生最後の日なのにインカレナイトもまともにみんなと話さずに自分の部屋にいる時間の方が多くなっちゃったのは本当に申し訳ないです。
来年はこんなインカレナイトを過ごしたくないので頑張ります。
ラストシーズンは同期みんな笑顔で終わりたいです。
だからラスト一年切磋琢磨して支えあって頑張りましょう。13年間のスポーツ人生の全てをかけて頑張ります。
最後に,共に戦ったクルーのみんなありがとうございました。
来年は必ず勝とう。引き続き切磋琢磨していこう。
見出しの写真は2秒差で負けた関西大学ボート部のクォドメンバーとです。
競技を通じての出会いもたくさんありますね。交換合宿した時は最後こんなに熱いレースになるとは思っていませんでした。
以上です。
次回は、現在埼玉県選抜として国体に出場している雄恒です。
たけからオッ盾エイト快挙の立役者、みずきですと紹介がありました。
奈良県出身3年の筒井瑞稀です!
インカレやオッ盾の応援に足を運んでくださったOBOG、ご父兄の皆さん本当に有難うございました!応援がとても心強かったです。
まず初めにたけからの紹介にありました、オックスフォード盾レガッタでは立教大学初(多分)の準決勝進出を成し得ることが出来ました!!!この準決勝進出までに何があったのかをこの日記を通して振り返ります。(長いです!笑)
では振り返っていきマース!
私はインカレの乗り比べでコンマ差の勝負の結果、落選しました。コンマ差ということで私自身、勝っても負けても実力不足だなということを痛いほど痛感しました。
そしてオックスフォード盾レガッタという大会の新人指導(未経験の1年生と2年生)をクルーリーダーとして任せられました。正直、複雑な気持ちが強く出場したくなかったです。ほんまに嫌でした。(笑)
そんな気持ちがあったことから、皆より早く来シーズンに向けて体をつくりあげるぞ!と、オッ盾には出るが、自分の練習をメインでやっていこうという気持ちが強いまま練習に取り組んでいました。が、乗艇中にまさかの人生2度目のぎっくり腰…。ご父兄の皆さんなら分かると思います、7/30の父母会の日にぎっくり腰になりました。
8/5はインカレの決起集会と4年振りの戸田橋花火大会がありました。
インカレの決起集会ではOBOGや監督コーチ陣が参加しました。言うまでもありませんが、インカレがメインでオッ盾はおまけです。言葉は悪いですが、私は惨めな思いを持ったまま1人でそう感じていました。
私はクルーリーダーとして皆の前で「7分切り」、「思い出に残るレース」が出来たらいいというようなことを言いました。
決起集会後すぐ、令和2年卒のOB渡部 雄一郎さんが自分のとこへ駆けつけて下さりました。
雄一郎さんとは日立明をきっかけにお話をする機会があり、私の好きなOBの1人です。雄一郎さんは私と同じような状況下だった事から、自分事のように沢山お話をして下さりました。
私は「思い出に残るレースを」と考えていましたが、雄一郎さんからは「思い出だけで終わらないレースを」という風に伝えて下さりました。1年生にとっては絶対に思い出に残るレースになるけど、それだけでは終わらせて欲しくないという熱い気持ちを話してくれました。その時、私はオッ盾エイトを作り上げようと決意し雄一郎さんと約束しました。
自分で言うのもなんですが、私は指導に関しては自信があります。野球、陸上、レスリングとこれまで色んなスポーツで全国大会に出場した経験から、体の使い方に関しては色んな角度から言語化で教えられる自信がありました。
私は新人のオッ盾エイトに向けて、「思い出だけで終わらないレースを」という目標を掲げ、その中で、言語化が出来て他人に対して客観的にアドバイスが出来る選手を育成したいと考えていました。実際に私が1年生の時に教えて貰えたら良かったなと思うことを全て伝えるようにしていました。
大会まで時間がない中のエイトだったので、指導には沢山の時間を費やしました。私だけの指導で一方通行にならないために、自分たちでも考え行動できるような環境作りを工夫しました。
2年伊東の肋痛の怪我と1年奥田のイスラエル発掘調査の関係から、
エイトには4年生のたくやくんと栗山さんが怪我がある中、エイトに乗って練習をしてくれました。また、私と2年吉田も腰痛の怪我がある中でのボロボロエイト。練習したいのに、オッ盾組はコロナ危険ということで実家隔離となり、思うような練習が出来ませんでした。約12日間の練習で初のトライアルに挑み7分44秒という結果に終わりました。栗山さんの怪我の悪化や伊東の肋痛の復帰の関係から1週間があき、ついに伊東が復帰することになりました。
私はエイトのバウサイ7番でしたが、色々なことを考え、サイドを変更し、慣れないストサイでストロークになりました。
もちろん、それまでエイトに乗れない期間でも指導は続けていました。私がストロークになり、大会まで10日間しか練習出来ませんでしたが、様々なアプローチをしエイトを作り上げました。
大会では目標としていた7分切りを3本レースがある中、全て達成し、毎レースベスト更新することが出来ました!10日間で約50秒もタイムを更新することが出来、とても嬉しかったです。1.2年生にとっても自信になったと思うし、レースが楽しい!と思ってくれたはずです。まだまだドがつくほどの下手くそ集団です。しかしエイトのメンバーと貪欲に練習してきたことを積み重ねていけば絶対に強くなると信じています。私は思い出だけで終わらないレースの第一歩を繋ぐことが出来たのではないかと満足しています。この答え合わせは1年後、2年後、3年後の楽しみにしています。
大会期間中、いつもなら笑顔で挨拶にいける保護者の皆さんの所にも顔を出すことすら複雑な気持ちが強く、なかなか足を運べませんでしたが会った時に応援してくれたことがほんまに嬉しかったし、頑張ろうという原動力へと変わりました。有難うございます!
また、出艇前や出艇の時にただただ純粋な気持ちで応援してくれたマネージャーや選手のみんなには感謝しています。
この1ヶ月間、夜になると悔しさや孤独な気持ちでいっぱいで苦しかったり、食堂でみんながインカレに向けて話してる声でさえ聞くのが辛かった。かと言って乗艇ではこのような私情を持ち込んではいけない。誰にも言えない自分にとっての初めての体験、これが挫折なんだなと感じました。
男子フォアや女子ダブルの優勝、男子ペアの準優勝や他の頑張っているクルーのレースを見て心が動きまくった期間でした。
オッ盾エイトのみんなありがとう!めちゃめちゃ形になってた!自信もてよーーーー!!と声を大にして伝えたいです。厳しいことも言ったけど、自分の想いが伝わっていて嬉しかったです。
ラスト1年は支えて下さった人への感謝の想いを胸に鍛え直して結果で恩返ししたいと強く思います。
病気や怪我には気をつけて濃い生活をしていきたいと思います。
読書感想文の文字数くらい書いてしまいましたが、最後まで読んでくださり有難うございました!
次はハワイから帰ってきて来月の請求に恐怖を覚えているにわけんです
1年佐々木とメダル獲得を目標に定め、ペアの練習が始まりましたが、とにかく難しい。
↑お相手の松本礼ちゃん