3月も終わりに近づき、三寒四温を実感する日々です。戸田の朝はまだまだ寒いですが、寒さのピークは過ぎたように感じます。先日、高校の友人と1年ぶりに再会しました。彼は半年間、オーストラリアに留学していました。彼は高校生の時から留学に行きたいと言っており、念願叶っての留学でした。彼はきっとたくさんのことを学んだのでしょう。雰囲気が少し大人になっていました。(気のせいかもしれませんが。)
私は高校時代、学校主催で1ヶ月ほどアメリカのカレッジに行きました。1ヶ月では明確に得るものはあまり実感できませんでした。ただ、明確に私が感じたものがあります。それは日常と非日常の融合する感覚と言ったものでしょうか。非常に不思議な感覚に思えました。日本ではあまり味わえない感覚だと思います。非常に短期間の滞在なので何も意味をなさないものかもしれませんが、「ずっとここにいたい」「日本に戻りたくない」「帰国しないほうが幸せなのではないか」などと感じました。その感情はいろいろな現実に目を背けた上で成り立っているということは気づかない、いや気づきたくないのです。現実が麻痺するという言い方は誤解を生むかもしれませんが、そのぐらいのインパクトのある体験だと思います。身振り手振りでコミュニケーションがとれた、少し英語を使うことができた、知らない人と話して仲良くなれた、など自国では目的が伴わないとしないことを海外では出来てしまうのです。また、中・長期の留学から帰ってきた人の話に耳を傾けると、留学は人に大きな影響を与えると感じました。ものの見え方が変わったり、感じ方が変化したりするそうです。
グローバル化が叫ばれ、大学も留学を推進する風潮になっています。もし近い将来、大学生のほとんどが留学をするようになったとしたら、日本の大学ひいては社会はどのように変化するのでしょうか。
留学にはたくさんの魅力があると思います。その反面、日本で生活することが矮小に見えるという恐ろしさもあると私は思います。今まで生きてきた人生が急にちっぽけなものに感じてしまうことがあるのです。書きはじめたら止まらなくなってしまいました。長文駄文失礼致しました。
私は高校時代、学校主催で1ヶ月ほどアメリカのカレッジに行きました。1ヶ月では明確に得るものはあまり実感できませんでした。ただ、明確に私が感じたものがあります。それは日常と非日常の融合する感覚と言ったものでしょうか。非常に不思議な感覚に思えました。日本ではあまり味わえない感覚だと思います。非常に短期間の滞在なので何も意味をなさないものかもしれませんが、「ずっとここにいたい」「日本に戻りたくない」「帰国しないほうが幸せなのではないか」などと感じました。その感情はいろいろな現実に目を背けた上で成り立っているということは気づかない、いや気づきたくないのです。現実が麻痺するという言い方は誤解を生むかもしれませんが、そのぐらいのインパクトのある体験だと思います。身振り手振りでコミュニケーションがとれた、少し英語を使うことができた、知らない人と話して仲良くなれた、など自国では目的が伴わないとしないことを海外では出来てしまうのです。また、中・長期の留学から帰ってきた人の話に耳を傾けると、留学は人に大きな影響を与えると感じました。ものの見え方が変わったり、感じ方が変化したりするそうです。
グローバル化が叫ばれ、大学も留学を推進する風潮になっています。もし近い将来、大学生のほとんどが留学をするようになったとしたら、日本の大学ひいては社会はどのように変化するのでしょうか。
留学にはたくさんの魅力があると思います。その反面、日本で生活することが矮小に見えるという恐ろしさもあると私は思います。今まで生きてきた人生が急にちっぽけなものに感じてしまうことがあるのです。書きはじめたら止まらなくなってしまいました。長文駄文失礼致しました。