漕手のやんごとなき日常

~立教大学体育会ボート部の日常を漕手目線で~

立教大学ボート部に入って後悔したこと 4年藤原拓也

2023-08-25 21:59:00 | 感動大作
こんばんは、4年藤原です。
最近はオッ盾に向けて、トレーナーとして日々1年生陸トレ組と練習に励んでます。
にしてもエイトめちゃくちゃ重い!!
ですが、1年生の成長スピードには毎日驚き、楽しんで生活してます。


今日は長いので本題に入ります。
タイトルを見てびっくりした人がほとんどかと思いますが、自分の正直な気持ちを書きました。

まずここまで支えてくれた同期、後輩、マネージャー、監督コーチ、OBOGの皆さん、保護者に感謝の気持ちを伝えたいです。
今までありがとうございます。

正直に、
辞めようとしたことは幾度かあります。

ですが、
「立教大学ボート部に入らなければ良かった」と後悔したことはありません

これが正直な気持ちです。


他部活から転部した大学2年の6月から2年と3ヶ月間、色々ありましたが、かけがえのない日々を送ることができました。


今回はボート部に入って後悔しなかった理由を書いてみようと思います。


まず、周りの仲間に恵まれたこと。チームで動いている以上、なにをやるにしても誰とやるかがすごく重要なことを高校で学びました。
立教ボート部は、全員が一生懸命練習に向き合ってます。高みを目指すには当たり前かもしれませんが、高校ではこれを感じることができなかったのでよりそう感じます。

そして、なんか趣味が合う人が多い。昭和の曲を聴く人も多ければ、クラシックを聴く人もいる。あと合唱曲も。
マイナーなので少し恥ずかしいと思っていたこともありますが、ボート部入ってからはそう思わなくなったし、むしろガンガン流してる人がいてそれで良いんだなーって思うことができました。
今までで1番素をさらけ出すことができたのが、ここだと思います。



そして次に挫折を経験できたこと。挫折したことがあるか聞かれても、今まではありませんの一択でした。いやな経験はまあたくさんありますが、基本的に楽観的なんで挫折と思ったことがないのかなーなんて考えてました。

ナポレオン風に言えば、

挫折なんて言葉は俺の辞書にない

ということですね。
でも違いました。

なにが違かったのでしょうか??


ここで高校時代の話をします。
陸上部では800/1500/5000mをやっていたのでかなり走り込みましたし、かなり一生懸命練習に向き合いました。陸上部の朝練は任意でしたがやる人がいなくて。サッカー部や野球部も休みだった時は誰もいない校庭で朝練をしたこともありました笑

でも今までやってきたスポーツでついた筋肉がなかなか落ちなくて、長距離選手みたいに細くて速い人にはなれませんでした。


時は流れて大学2年で出会ったボート。陸上の800mと近いと言われて持久力が必要。それに加えて瞬発的な力も必要。そしてなによりもハードなスポーツ。

「もしかしたらこのスポーツはめっちゃ適してるかもしれない。」そもそもボート部の雰囲気に惹かれていたので、転部してまでの入部を決意しました。

2年から入ったこともありかなりの練習量をこなしましたが、その甲斐あって6/1の入寮から10/10で6分48秒を出せました。
めっちゃ速いかって言われるとそうではないですが、165センチ64キロの体格からしたらそこそこいいタイムを出せたと思います。

今までサッカー、バスケ、少林寺拳法、水泳、陸上、ラクロスとスポーツをやってきましたが、自分に1番合ってるのがボートだと確信しました。


転部してからこんなに順調で良いのかと思っていたくらいです。


時は流れて新しい年の2月のある日。寒かったのでベンチコートを着て太陽に当たりながらベランダで昼寝しました。ぽかぽかしてあたたかいなと思いながら。

起きてみると、なんか肋骨あたりに違和感。息を深く吸ってなんか治りそうだけど自分の思ってるような感じにはならなくて。
まあでも大した痛みでは無かったのでその日は60分エルゴをやりました。
数日経っても痛みがおさまらないので、病院へ行きましたが、折れてるわけではないと診断され、動けるのであれば運動していいと言われたので様子を見ながら生活。

ですが、それでも一向に治りませんでした。怪我を長引かせたくなかったので勇気をもって楽しみにしていた月末の2000m測定は諦めました。

1ヶ月経っても治らず、大きい病院へ行ってみると、実は折れていたんですね。

いや、最初の病院の診断違うじゃん。と思いつつ、痛みがおさまるまで待っていたのですか、それがなかなか治らず。

3ヶ月くらい経ちましたが状況は変わらず、、
2年に入ったということ、漕手でやるからには全日本優勝を目標に掲げていましたが、これでは間に合わないとそう思ったこと、医者の診断では胸郭周りの筋肉が硬いため他の人に比べて肋骨が折れやすいから治っても折れる可能性があるということを踏まえて、ここで一つ決心しました。

当時男子でいなかったCOXになる。こと。
日立明では誰かしらCOXになる必要があったことも理由の一つです。
これは二つ上の代の勇作さん、一つ上の千晴さん、一つ下の健太と相談して決めました。

意を決して決断したことではありましたが、この決意には責任が伴いました。

それは「漕手には戻れない」ということ。

こんなにも自分と合ったスポーツを漕手として続けてることができないことがすごく悔しくなってしまいました。
これが自分にとっての挫折です。


一時期はやっぱり漕手をやりたいと熊木監督に相談した時期もありますが、敢えなく却下されました。
その当時は色々意見を交わしましたが、それも今になっては良い思い出です。ありがとうございます。


これだけは言いたいのはCOXというポジションを妥協と思ったことはないし、軽んじてなんていません。
でも自分にはとても辛いポジションでした。
・漕ぎたいけど漕げない。
・漕いでキツい思いをしたいけどそれができず、漕手のキツいところをただ感じる。
・漕ぎたい気持ちを理解してくれない漕手がいる。
・減量中の隣ではお腹いっぱいで食べれない人もいる。
・そして減量は55キロに持っていくことはできませんでした。ごめんなさい。


書けばキリはないですが、自分にとっては今までで一番キツかったし、辛かったし、そんな思いでいっぱいでした。
COXをやる人にはリスペクトしかありません。

辛かったことは上記の通り沢山ありましたが、COXへ転向してから見えてきたものは明らかに違いました。

それは裏方で支えるサポートメンバーたちの存在。

それはマネージャー、トレーナー、監督コーチ、OBOGの先輩方という見えないけど大きな存在。

そしてそれを知ることで、大会で運営してくれる人がいるということや、日常のすべてにおいて裏方の存在があることを感じました。


そして、サポートには漕手のように1日の練習の終わりがないことも実感しました。


もちろん漕手だってタイムは無限に伸ばすことができるし、そのための練習は限りありません。ただ、組まれた練習を成すという点においては達成感を味わうことはできます。

それに対してサポートは、決まりきった仕事があるわけではないので、毎日がなんか満たされない。やり切った!と思えることがなかなかない。そんな感情でずっといました。



朝目が覚めるとやらないといけないことがふっと頭に浮かび上がって胸が押しつぶされそうな時期もありました。



でもそれのおかげで一段と強くなれましたね。


自分が好きなアニメの主人公はめっちゃポジティブです。
でも最近になって、前から強かったわけではないことを知りました。

要は、苦しみを味わうことでより強くなるということです。

自分の経験とアニメを照らし合わせても、挫折することは別にダメなことじゃないし、むしろその経験をしたからこそ強くなれることがわかりました。


だから、大学で「体育会」という道、そしてそれを「ボート部」という選択をした自分に後悔は全くありません。


サークルに入っても楽しかったとは思います。ただ、入っていても多分楽な道しか選ばなかった。なんなら、楽しむことが目的のところではそんな道しか残されていないのではないでしょうか。

でも、立教大学体育会ボート部にいたからこそ、自分が納得できなくても、押しつぶされそうでもやり切る。
それができることで自分の強さを知ることができる、そう思えたと思います。

ただ忘れてはいけないのは嫌で続けていたわけではありません。嫌なこともあるけど信じていてくれる仲間がいるから続けられました。
COXとトレーナーを兼任で一緒にやってくれた後輩、
なにがあっても、いつも必ずタクヤさんなら大丈夫ですと言ってくれた後輩、
いつも大変そうですねと話を聞いてくれる後輩たち、
辛い思いも理解して一緒になってサポートしていただける監督コーチ、
そして必ずありがとうと言って一緒に手伝ってくれる同期、
がいてくれたからここまでやってこれました。



続けることが必ずしも正義とは思いません。
ですが、ここでは続けてきて、続けることができて、心から良かったと思います。
ここまでありがとうございます。


最後なのですごく長くなりましたが、後輩が最後だからありのまま書いて良いと言ってくれたのでその言葉に甘えて書きました。
ここでも支えられてますね笑


インカレまであと13日、やり切ったと胸を張れるよう尽力します。


次は23シーズン主将の和気です。
最後なのできっと真面目なことを書くんじゃないですかね??