西安2日目は、陜西歴史博物館へ。
兵馬俑のエリートイケメンとか、唐三彩などがある。

ただし、唐三彩のエリートたちは、国民党と一緒に台湾へ行っているので、ここにはない。
その点、兵馬俑は新中国になってから発見されたので、エリートがちゃんと中国国内にある。
次に、空海が学んだ青龍寺の跡へ。

恵果空海記念堂に行ったら、中国人のお坊さんに「空海は、帰国したよ」と言われた。
知ってます。日本史の教科書に出てますから。
こういうところが、中国人って面白いんだよなあ。

で、昼食に肉まんを食べ、西安事件の資料館へ。

当時、張学良が住んでいたところ。
周恩来も蒋介石も、そして張学良も、何も語らずに亡くなった。
あのとき、ここで、張学良と周恩来はどんな話をしたのだろう。
張学良が寝ていたベットらしいんだけど、布団カバーは当時のじゃない。
でもきっと、真ん中の湯たんぽは、当時のだ。

その後、城壁大好きな私としては、とりあえず長安を守った東門へ。

相変わらず、でかい。

そして、東大街は、かすむ。

曇っていたせいだけじゃなくて、いま再開発でそこらじゅうを掘り返し、
地下鉄やらマンションやらを作っているから、きっとこうなる。
20年前に訪れた時、西安は西の玄関口と思った。
西安に来て、はじめて、シルクロードに行ってみたいと思った。
でもいまは、単なる一地方都市。
確かに、秦、漢、唐の都があったところで、いろいろと当時を再現しようとしているけど、
20年前のようなエキゾチックな感じは、だいぶ薄れたと思う。
兵馬俑のエリートイケメンとか、唐三彩などがある。

ただし、唐三彩のエリートたちは、国民党と一緒に台湾へ行っているので、ここにはない。
その点、兵馬俑は新中国になってから発見されたので、エリートがちゃんと中国国内にある。
次に、空海が学んだ青龍寺の跡へ。

恵果空海記念堂に行ったら、中国人のお坊さんに「空海は、帰国したよ」と言われた。
知ってます。日本史の教科書に出てますから。
こういうところが、中国人って面白いんだよなあ。

で、昼食に肉まんを食べ、西安事件の資料館へ。

当時、張学良が住んでいたところ。
周恩来も蒋介石も、そして張学良も、何も語らずに亡くなった。
あのとき、ここで、張学良と周恩来はどんな話をしたのだろう。
張学良が寝ていたベットらしいんだけど、布団カバーは当時のじゃない。
でもきっと、真ん中の湯たんぽは、当時のだ。

その後、城壁大好きな私としては、とりあえず長安を守った東門へ。

相変わらず、でかい。

そして、東大街は、かすむ。

曇っていたせいだけじゃなくて、いま再開発でそこらじゅうを掘り返し、
地下鉄やらマンションやらを作っているから、きっとこうなる。
20年前に訪れた時、西安は西の玄関口と思った。
西安に来て、はじめて、シルクロードに行ってみたいと思った。
でもいまは、単なる一地方都市。
確かに、秦、漢、唐の都があったところで、いろいろと当時を再現しようとしているけど、
20年前のようなエキゾチックな感じは、だいぶ薄れたと思う。