本当はたくさん仕事がたまっているのだけど、
昨日より、まったく手をつけていない。
私は1月と2月は毎年「空亡」なので、という言い訳で、もう少しダラダラする。
このままだとやらないだろう。
もしくは30分ぐらいで、ぎゅっとやって、ごまかすパターンだ。
さて、最近よく中国人の部下から言われることで「なるほど」と思うことがある。
それは「(日本人)社長の話には、外来のカタカナ語が多くて、
何を言っているのかわかりません」というもの。
例えば「アジェンダ」や「バジェット」など。
あと「ジョインしてください」も笑止千万とのことだ。
日本語が少しでもわかる中国人には、ちゃんとした日本語で話したほうが伝わる。
中国人は、とにかく外国語の発音が上手だ。
英語なんて、ネイティブ並みの発音で返ってくる。
だから、日本人が話すカタカナ英語の発音は、最大の難関なのだとか。
そして日本人は、意味の上でも、なんとなくカタカナ英語を使う。
だから何を言いたいのかよくわからないと。
どうやら、日本人が「何だよこいつ」と思う同じポイントで、
中国人も「何言ってんのか、わかんない」と思うらしいことが、ちょっと嬉しい。
ということで、最近私の部で人気なのが、朝礼で社長が言った言葉を、
私が補足を加えながら中国語で解説する「補習」だ。
朝礼後「聞き取れなかった人~、10分間補習しま~す。自由参加~」と言うと、
「は~い!」と手を挙げて、着いてくる。
まあ、ノリで言うと、小学校の感じだ。
でも、日本と中国の会社組織に対する考え方の違いや、
資本主義と共産主義における、法人発展の過程に伴う感覚のズレを
「あるもの」として解説すると、
「なるほど~。日本人はそう考えるのか~。私たちとは違うけど、
でも社長が日本人だから、ある程度は合わせないとね」となってくる。
日本語がわかる中国人も、日本に住んだことがなければ、
文化の素地は中国だけだから、勘違いしていることも多いので、
「でも、たぶんそれだけじゃないんだよ」と社会背景を含めて解説すると、
頭のいい人ほど、長い時間をかけて自分の頭で考えてくれる。
自分に置き換えてみたらわかる。
もし日本に住んでいて、外資で働くことになり、上司が外国人になったら、
たとえその国の言葉が話せて、住んでいるのが自分の国でも、大きな不安を感じるだろう。
それを払拭するのは、お給料のよさと、組織の風通しのよさ、
そして、なんとなくカッコいいイメージだ。
でも中国では、外国に搾取される歴史が長かったから、ちょっと日本とは事情が違う。
そして、中国人の若者は、驚くほど西洋思想に触れていない。
大学で専攻でもしない限り、学校で体系的に学ぶこともないんだろう。
革命と言えば、中国でここ100年以内に起きたことくらいしか、ろくすっぽ知らない。
中国は歴史が長いので、学がある人なら、
「それは、何とか時代の何とかさんがやろうとした政策に近くて云々」と話が続く。
これこそが中国の持つ深みと強さなのだと思う。
自分たちの先人と、もう一度会話が出来ること。
そして、その先人たちは、当時、間違いなく世界で最高峰の文化と繁栄を誇った
中国王朝のトップたちなのだから。
でも、そうした文化も、ここ100年の間に失われて来た。
それは、中国人自らが否定して来た部分も多い。
だから、倭人である日本人から言われて気づくこともある。
尖閣諸島の問題は、中国が失われた歴史を取り戻そうとする試みであるとともに、
日本が明治維新後の日本と世界を、いかにとらえなおすかという接点にある。
日本の戦前の思想における大原則は、パリ講和会議にのぞむ態度にあった。
有色人種だからという理由だけで、不当に差別される世界を変えようとした。
しかし日中関係では、
通州事件や南京事件等を経て、中国に対する憎悪が高まった。
そして、東アジアの歴史の転換点は西安事件にあった。
これは、中国だけが主役なのではなく、その後ろ盾として資金を提供した
コミンテルンや武器商人たる西洋の影響も大きかった。
だから、いま象徴化されている尖閣問題は、日中間だけの問題じゃないんだと思う。
恥ずかしながら、私は半年くらい前まで、中国人の同僚とくっついて座るのがイヤだった。
中国人は他人との距離が近く、少し仲がよくなると女同士で腕を組むし、
座るときにぺったりとくっつく。
いまは、すごく頑張った新人の中国人を抱きしめたいと思うことすらある(女子に限るが)。
上海だけを見ていてはダメだ。
西安に行ってから、私の中国観は、また少し変わった。
昨日より、まったく手をつけていない。
私は1月と2月は毎年「空亡」なので、という言い訳で、もう少しダラダラする。
このままだとやらないだろう。
もしくは30分ぐらいで、ぎゅっとやって、ごまかすパターンだ。
さて、最近よく中国人の部下から言われることで「なるほど」と思うことがある。
それは「(日本人)社長の話には、外来のカタカナ語が多くて、
何を言っているのかわかりません」というもの。
例えば「アジェンダ」や「バジェット」など。
あと「ジョインしてください」も笑止千万とのことだ。
日本語が少しでもわかる中国人には、ちゃんとした日本語で話したほうが伝わる。
中国人は、とにかく外国語の発音が上手だ。
英語なんて、ネイティブ並みの発音で返ってくる。
だから、日本人が話すカタカナ英語の発音は、最大の難関なのだとか。
そして日本人は、意味の上でも、なんとなくカタカナ英語を使う。
だから何を言いたいのかよくわからないと。
どうやら、日本人が「何だよこいつ」と思う同じポイントで、
中国人も「何言ってんのか、わかんない」と思うらしいことが、ちょっと嬉しい。
ということで、最近私の部で人気なのが、朝礼で社長が言った言葉を、
私が補足を加えながら中国語で解説する「補習」だ。
朝礼後「聞き取れなかった人~、10分間補習しま~す。自由参加~」と言うと、
「は~い!」と手を挙げて、着いてくる。
まあ、ノリで言うと、小学校の感じだ。
でも、日本と中国の会社組織に対する考え方の違いや、
資本主義と共産主義における、法人発展の過程に伴う感覚のズレを
「あるもの」として解説すると、
「なるほど~。日本人はそう考えるのか~。私たちとは違うけど、
でも社長が日本人だから、ある程度は合わせないとね」となってくる。
日本語がわかる中国人も、日本に住んだことがなければ、
文化の素地は中国だけだから、勘違いしていることも多いので、
「でも、たぶんそれだけじゃないんだよ」と社会背景を含めて解説すると、
頭のいい人ほど、長い時間をかけて自分の頭で考えてくれる。
自分に置き換えてみたらわかる。
もし日本に住んでいて、外資で働くことになり、上司が外国人になったら、
たとえその国の言葉が話せて、住んでいるのが自分の国でも、大きな不安を感じるだろう。
それを払拭するのは、お給料のよさと、組織の風通しのよさ、
そして、なんとなくカッコいいイメージだ。
でも中国では、外国に搾取される歴史が長かったから、ちょっと日本とは事情が違う。
そして、中国人の若者は、驚くほど西洋思想に触れていない。
大学で専攻でもしない限り、学校で体系的に学ぶこともないんだろう。
革命と言えば、中国でここ100年以内に起きたことくらいしか、ろくすっぽ知らない。
中国は歴史が長いので、学がある人なら、
「それは、何とか時代の何とかさんがやろうとした政策に近くて云々」と話が続く。
これこそが中国の持つ深みと強さなのだと思う。
自分たちの先人と、もう一度会話が出来ること。
そして、その先人たちは、当時、間違いなく世界で最高峰の文化と繁栄を誇った
中国王朝のトップたちなのだから。
でも、そうした文化も、ここ100年の間に失われて来た。
それは、中国人自らが否定して来た部分も多い。
だから、倭人である日本人から言われて気づくこともある。
尖閣諸島の問題は、中国が失われた歴史を取り戻そうとする試みであるとともに、
日本が明治維新後の日本と世界を、いかにとらえなおすかという接点にある。
日本の戦前の思想における大原則は、パリ講和会議にのぞむ態度にあった。
有色人種だからという理由だけで、不当に差別される世界を変えようとした。
しかし日中関係では、
通州事件や南京事件等を経て、中国に対する憎悪が高まった。
そして、東アジアの歴史の転換点は西安事件にあった。
これは、中国だけが主役なのではなく、その後ろ盾として資金を提供した
コミンテルンや武器商人たる西洋の影響も大きかった。
だから、いま象徴化されている尖閣問題は、日中間だけの問題じゃないんだと思う。
恥ずかしながら、私は半年くらい前まで、中国人の同僚とくっついて座るのがイヤだった。
中国人は他人との距離が近く、少し仲がよくなると女同士で腕を組むし、
座るときにぺったりとくっつく。
いまは、すごく頑張った新人の中国人を抱きしめたいと思うことすらある(女子に限るが)。
上海だけを見ていてはダメだ。
西安に行ってから、私の中国観は、また少し変わった。