ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

外来語

2014-01-12 14:32:25 | Weblog
本当はたくさん仕事がたまっているのだけど、
昨日より、まったく手をつけていない。

私は1月と2月は毎年「空亡」なので、という言い訳で、もう少しダラダラする。
このままだとやらないだろう。
もしくは30分ぐらいで、ぎゅっとやって、ごまかすパターンだ。

さて、最近よく中国人の部下から言われることで「なるほど」と思うことがある。
それは「(日本人)社長の話には、外来のカタカナ語が多くて、
何を言っているのかわかりません」というもの。

例えば「アジェンダ」や「バジェット」など。
あと「ジョインしてください」も笑止千万とのことだ。

日本語が少しでもわかる中国人には、ちゃんとした日本語で話したほうが伝わる。
中国人は、とにかく外国語の発音が上手だ。
英語なんて、ネイティブ並みの発音で返ってくる。
だから、日本人が話すカタカナ英語の発音は、最大の難関なのだとか。
そして日本人は、意味の上でも、なんとなくカタカナ英語を使う。
だから何を言いたいのかよくわからないと。

どうやら、日本人が「何だよこいつ」と思う同じポイントで、
中国人も「何言ってんのか、わかんない」と思うらしいことが、ちょっと嬉しい。

ということで、最近私の部で人気なのが、朝礼で社長が言った言葉を、
私が補足を加えながら中国語で解説する「補習」だ。
朝礼後「聞き取れなかった人~、10分間補習しま~す。自由参加~」と言うと、
「は~い!」と手を挙げて、着いてくる。
まあ、ノリで言うと、小学校の感じだ。

でも、日本と中国の会社組織に対する考え方の違いや、
資本主義と共産主義における、法人発展の過程に伴う感覚のズレを
「あるもの」として解説すると、
「なるほど~。日本人はそう考えるのか~。私たちとは違うけど、
 でも社長が日本人だから、ある程度は合わせないとね」となってくる。

日本語がわかる中国人も、日本に住んだことがなければ、
文化の素地は中国だけだから、勘違いしていることも多いので、
「でも、たぶんそれだけじゃないんだよ」と社会背景を含めて解説すると、
頭のいい人ほど、長い時間をかけて自分の頭で考えてくれる。

自分に置き換えてみたらわかる。
もし日本に住んでいて、外資で働くことになり、上司が外国人になったら、
たとえその国の言葉が話せて、住んでいるのが自分の国でも、大きな不安を感じるだろう。
それを払拭するのは、お給料のよさと、組織の風通しのよさ、
そして、なんとなくカッコいいイメージだ。

でも中国では、外国に搾取される歴史が長かったから、ちょっと日本とは事情が違う。
そして、中国人の若者は、驚くほど西洋思想に触れていない。
大学で専攻でもしない限り、学校で体系的に学ぶこともないんだろう。
革命と言えば、中国でここ100年以内に起きたことくらいしか、ろくすっぽ知らない。

中国は歴史が長いので、学がある人なら、
「それは、何とか時代の何とかさんがやろうとした政策に近くて云々」と話が続く。
これこそが中国の持つ深みと強さなのだと思う。
自分たちの先人と、もう一度会話が出来ること。
そして、その先人たちは、当時、間違いなく世界で最高峰の文化と繁栄を誇った
中国王朝のトップたちなのだから。

でも、そうした文化も、ここ100年の間に失われて来た。
それは、中国人自らが否定して来た部分も多い。
だから、倭人である日本人から言われて気づくこともある。

尖閣諸島の問題は、中国が失われた歴史を取り戻そうとする試みであるとともに、
日本が明治維新後の日本と世界を、いかにとらえなおすかという接点にある。
日本の戦前の思想における大原則は、パリ講和会議にのぞむ態度にあった。
有色人種だからという理由だけで、不当に差別される世界を変えようとした。

しかし日中関係では、
通州事件や南京事件等を経て、中国に対する憎悪が高まった。
そして、東アジアの歴史の転換点は西安事件にあった。
これは、中国だけが主役なのではなく、その後ろ盾として資金を提供した
コミンテルンや武器商人たる西洋の影響も大きかった。
だから、いま象徴化されている尖閣問題は、日中間だけの問題じゃないんだと思う。

恥ずかしながら、私は半年くらい前まで、中国人の同僚とくっついて座るのがイヤだった。
中国人は他人との距離が近く、少し仲がよくなると女同士で腕を組むし、
座るときにぺったりとくっつく。
いまは、すごく頑張った新人の中国人を抱きしめたいと思うことすらある(女子に限るが)。

上海だけを見ていてはダメだ。
西安に行ってから、私の中国観は、また少し変わった。

ねたみ

2014-01-12 01:32:43 | Weblog
今年の初夢は最悪だった。
夢の内容から判断するに、過去が追いかけて来ているのだろう。

どうやら、当時「大人の判断」というヤツをしてしまい、
思い切りケンカしなかったことが、尾を引いているように思う。

人には能力の差があって、ある尺度では優劣もつく。これはしょうがない。
でも、自尊心は、みなが平等に持っている。

自分なりにあがきながら、
自尊心を守り、育てることこそが、人として生まれて来たことに対する誠意というものだ。

だから、価値観の方向性が、お金でも、名誉や地位でも、
そしてあるジャンルの突出した能力でも、根本は同じことだ。
自尊心に変わりはないのだから。

先日、ある人が「ねたみ」に対する話をしていた。
そしてある人は、日本は「ねたみ」で構成されている社会だと言っていた。

なぜ、ねたむ気持ちが起きるのか。
それは、自尊心が著しく傷つけられたと思うから、ねたむんだと思う。
だから、自尊心のよりどころがシンプルな人ほど、ねたみも少ないんだと思う。

私は、昨日ある人から「ねたまれないように注意して」と言われ、非常に腹が立った。
その根拠が、あまりにも、その人の自意識過剰による発言だったからだ。

同じようなことを、以前も、似たような人から言われたことがある。
そして、その人と思い切りケンカをしなかったことを、いまでも後悔している。
初夢にまでつながった。

こういうとき、スターウォーズを思い出す。
恐怖で解放されるダークサイドのパワーと、
ねたみによるしがらみで自壊していく秩序のおぞましさ。

誰かが、本当の悪は純粋だと言っていた。

シモーヌ・ヴェイユが、もしもう少し長く生きていたら、
いったいどんな文章を書いただろう。