ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

嬉しいはなし

2014-01-15 21:24:20 | Weblog
去年の7月に、日本語が話せない新卒の中国人女子を採用した。
日本語が話せないため、周囲の反対は少なからずあったけれど、
中国語の受け答えがしっかりしていたので、いけるだろうと思った。

入社後2ヶ月くらいは、彼女も学生気分のままで、
会社の上のほうからも「日本語ができなかったら、そもそもダメだろう」と
改めてツッコミが入っていた。

でも、今月の人事評価で私は彼女に最高点をつけ、上との面接の結果も上々。
結果、彼女は等級が上がり、給料も他の人よりずっと多く上がることになった。
昇給率で言ったら、社内随一だ。

昨年は、私の一言が、彼女を何度も泣かせた。
泣く理由は、できない自分に納得がいかないことによる涙だったから、
彼女の心がおさまるまで、私も23時過ぎまで残って話をすることがあった。

今日、久しぶりに2人で外出したとき、こんな話をしてくれた。

昨日、あまり仲が良くないお母さんが、めずらしく電話をかけてきた。
どうしたのかな、と思ったら、お父さんの話だった。

一昨日、お父さんが電話をくれたときに、人事評価はどうだった?と聞かれたから、
こう答えたの。
等級も給料もあがるんだよ。
こんなふうに認めてもらえたのは、社内で私だけなんだ、と言ったら、
お父さんが、たった半年でそんなわけないだろう。夢でも見てるんじゃないか、って。

だから私は、この半年でこんなことができるようになった。
そして、上司は私のことを2年目くらいの人と同じ実力がある。
もっと上を目指そうと言ってくれてる。

それで、上司と一緒にこの半年でやったことを書き出して、会社に提出した。
経営層には、口頭でもそれを報告した。
そしたら、社長たちも納得してくれたんだ、って話したの。

その日の夜、お父さんは、白酒を2杯も飲んだんだって。
普段、お酒が弱いからほとんど飲まないのに、2杯も。お祝いだって言いながら。
あんなお父さんを見たのは初めてだって、お母さんが私に電話をくれたの、と。

彼女の両親は、世界的に有名な中国国有企業の幹部で、
もちろんのことながら共産党員だ。中国のエリートに属する。
だから、きっと内心では、日本人の会社に入ること、上司が日本人であることに、
あまり賛成ではなかったろう。
しかも彼女の実家は北京のほうにあり、上海には血縁もコネもない。

それでもなお、ご両親は娘の決断を信じた。
そして、確実にたくましく歩んでいる娘に、きっと誇りを感じたんだろう。
彼女のご両親の気持ちを思ったら、私も嬉しくなって涙が出て来た。

日本人にとっては、北京も上海も同じような、中国の一都市に見える。
でも、中国人にとって北京と上海は、外国と同じくらいに遠い。
もし自分の一人娘が外国で、外国人の上司の下で働くとなったら、
普通の親はどう思うだろうか。

特に、中国には植民地時代の記憶がある。日本に対しては、特別な感情もある。

幸先のよいスタートを切ったが、日本には悪平等の伝統がある。
もう少し出世したら、彼女もその壁にぶちあたるだろう。

でもそのときには、
彼女は、身につけた実力をもって、もっと広い世界に飛び立ってほしい。
そしてもっと高い視点から、私たちが愛するそれぞれの祖国を眺めてほしいと思う。

先ず隗より始めよ

2014-01-14 21:28:56 | Weblog
うちの会社の定時は17時30分。

17時50分にふと顔を上げてみると、すでに残り3人。
うち2人は日本人。
もう1人は、納期管理できなかった中国人で、私にさんざん怒られた結果。
30名ほどいる会社なので、かなりガラーンとしている。

「能力がある人は評価します。頑張っている人にも報います。
 言ったもん勝ちという不公平感をなくすための人事評価制度です」

そう言って導入したものの、
交渉してなんぼというDNAをもった中国人には理解されず、
まったく機能しなかった。
そして、日本人にまで「やるだけ損」という雰囲気が広まった。

理念を語り、仕組みをつくろうとするのは、日本人のいいところだけど、
中国なんだから、中国のやり方にこちらが合わせるべきなんだと思う。
そして私も、日本人から「もう帰りましょうよ。いいですよ」と言われ、
今日は久しぶりに18時30分に会社を出た。

最近、西安がきっかけとなり、むかし読んだ漢文をよく思い出す。
今日は「先ず隗より始めよ」が浮かんだ。

戦国時代の燕の昭王が、どうしたら有能な人材を集めることができるか、と聞いて、
郭隗という人が「まず私のような凡人を優遇したら、
あいつでも重用されるんだから、おれさまならもっと上に行けるぜ!と思った有能な人が、
わらわらと集まりまっせ」と答えたあれだ。

私は、高校時代にこの故事を読んだとき、すごく不思議だった。
だって、王さまが意見を聞くくらいなんだから、きっと隗も賢いはず。
いくらなんでも、そのへんの飲んだくれおっちゃんに、意見を聞くまい。

ならなんで、隗より始めよなのだろうか、と。

今日、ようやく合点がいった。
戦国時代よりすでに約2200年が経ったが、中国は、ずっとこうなんだ。

賢い人というのは、相手を口でやりこめることができる人、という意味だ。
つまり「あんな交渉下手でも重用されるんだから、俺はもっと給料交渉ができるぞ!」という
意味だったんだ。

なんだ、中国って、変わってないんじゃん。
だから、お給料交渉が下手な日本人はバカ扱いされるんじゃん。
いや、実際、中国人の価値観によると、私はかなりバカな部類に入るんだけど。

久しぶりに『戦国策』でも読んでみるかなあ。

外来語

2014-01-12 14:32:25 | Weblog
本当はたくさん仕事がたまっているのだけど、
昨日より、まったく手をつけていない。

私は1月と2月は毎年「空亡」なので、という言い訳で、もう少しダラダラする。
このままだとやらないだろう。
もしくは30分ぐらいで、ぎゅっとやって、ごまかすパターンだ。

さて、最近よく中国人の部下から言われることで「なるほど」と思うことがある。
それは「(日本人)社長の話には、外来のカタカナ語が多くて、
何を言っているのかわかりません」というもの。

例えば「アジェンダ」や「バジェット」など。
あと「ジョインしてください」も笑止千万とのことだ。

日本語が少しでもわかる中国人には、ちゃんとした日本語で話したほうが伝わる。
中国人は、とにかく外国語の発音が上手だ。
英語なんて、ネイティブ並みの発音で返ってくる。
だから、日本人が話すカタカナ英語の発音は、最大の難関なのだとか。
そして日本人は、意味の上でも、なんとなくカタカナ英語を使う。
だから何を言いたいのかよくわからないと。

どうやら、日本人が「何だよこいつ」と思う同じポイントで、
中国人も「何言ってんのか、わかんない」と思うらしいことが、ちょっと嬉しい。

ということで、最近私の部で人気なのが、朝礼で社長が言った言葉を、
私が補足を加えながら中国語で解説する「補習」だ。
朝礼後「聞き取れなかった人~、10分間補習しま~す。自由参加~」と言うと、
「は~い!」と手を挙げて、着いてくる。
まあ、ノリで言うと、小学校の感じだ。

でも、日本と中国の会社組織に対する考え方の違いや、
資本主義と共産主義における、法人発展の過程に伴う感覚のズレを
「あるもの」として解説すると、
「なるほど~。日本人はそう考えるのか~。私たちとは違うけど、
 でも社長が日本人だから、ある程度は合わせないとね」となってくる。

日本語がわかる中国人も、日本に住んだことがなければ、
文化の素地は中国だけだから、勘違いしていることも多いので、
「でも、たぶんそれだけじゃないんだよ」と社会背景を含めて解説すると、
頭のいい人ほど、長い時間をかけて自分の頭で考えてくれる。

自分に置き換えてみたらわかる。
もし日本に住んでいて、外資で働くことになり、上司が外国人になったら、
たとえその国の言葉が話せて、住んでいるのが自分の国でも、大きな不安を感じるだろう。
それを払拭するのは、お給料のよさと、組織の風通しのよさ、
そして、なんとなくカッコいいイメージだ。

でも中国では、外国に搾取される歴史が長かったから、ちょっと日本とは事情が違う。
そして、中国人の若者は、驚くほど西洋思想に触れていない。
大学で専攻でもしない限り、学校で体系的に学ぶこともないんだろう。
革命と言えば、中国でここ100年以内に起きたことくらいしか、ろくすっぽ知らない。

中国は歴史が長いので、学がある人なら、
「それは、何とか時代の何とかさんがやろうとした政策に近くて云々」と話が続く。
これこそが中国の持つ深みと強さなのだと思う。
自分たちの先人と、もう一度会話が出来ること。
そして、その先人たちは、当時、間違いなく世界で最高峰の文化と繁栄を誇った
中国王朝のトップたちなのだから。

でも、そうした文化も、ここ100年の間に失われて来た。
それは、中国人自らが否定して来た部分も多い。
だから、倭人である日本人から言われて気づくこともある。

尖閣諸島の問題は、中国が失われた歴史を取り戻そうとする試みであるとともに、
日本が明治維新後の日本と世界を、いかにとらえなおすかという接点にある。
日本の戦前の思想における大原則は、パリ講和会議にのぞむ態度にあった。
有色人種だからという理由だけで、不当に差別される世界を変えようとした。

しかし日中関係では、
通州事件や南京事件等を経て、中国に対する憎悪が高まった。
そして、東アジアの歴史の転換点は西安事件にあった。
これは、中国だけが主役なのではなく、その後ろ盾として資金を提供した
コミンテルンや武器商人たる西洋の影響も大きかった。
だから、いま象徴化されている尖閣問題は、日中間だけの問題じゃないんだと思う。

恥ずかしながら、私は半年くらい前まで、中国人の同僚とくっついて座るのがイヤだった。
中国人は他人との距離が近く、少し仲がよくなると女同士で腕を組むし、
座るときにぺったりとくっつく。
いまは、すごく頑張った新人の中国人を抱きしめたいと思うことすらある(女子に限るが)。

上海だけを見ていてはダメだ。
西安に行ってから、私の中国観は、また少し変わった。

ねたみ

2014-01-12 01:32:43 | Weblog
今年の初夢は最悪だった。
夢の内容から判断するに、過去が追いかけて来ているのだろう。

どうやら、当時「大人の判断」というヤツをしてしまい、
思い切りケンカしなかったことが、尾を引いているように思う。

人には能力の差があって、ある尺度では優劣もつく。これはしょうがない。
でも、自尊心は、みなが平等に持っている。

自分なりにあがきながら、
自尊心を守り、育てることこそが、人として生まれて来たことに対する誠意というものだ。

だから、価値観の方向性が、お金でも、名誉や地位でも、
そしてあるジャンルの突出した能力でも、根本は同じことだ。
自尊心に変わりはないのだから。

先日、ある人が「ねたみ」に対する話をしていた。
そしてある人は、日本は「ねたみ」で構成されている社会だと言っていた。

なぜ、ねたむ気持ちが起きるのか。
それは、自尊心が著しく傷つけられたと思うから、ねたむんだと思う。
だから、自尊心のよりどころがシンプルな人ほど、ねたみも少ないんだと思う。

私は、昨日ある人から「ねたまれないように注意して」と言われ、非常に腹が立った。
その根拠が、あまりにも、その人の自意識過剰による発言だったからだ。

同じようなことを、以前も、似たような人から言われたことがある。
そして、その人と思い切りケンカをしなかったことを、いまでも後悔している。
初夢にまでつながった。

こういうとき、スターウォーズを思い出す。
恐怖で解放されるダークサイドのパワーと、
ねたみによるしがらみで自壊していく秩序のおぞましさ。

誰かが、本当の悪は純粋だと言っていた。

シモーヌ・ヴェイユが、もしもう少し長く生きていたら、
いったいどんな文章を書いただろう。

人事評価

2014-01-11 12:34:24 | Weblog
今週はハードだった。
中国は春節を控え、人事評価と昇給、転職の季節。

2013年より導入した日式能力主義評価制度は、
年始の私の予想どおりうまく機能しなかった。

結果、全体としては昨年の昇給よりも、ずっと多くのお金を払わなければならなくなった。
トップのほうは、2014年の春節後に、制度を修正すると言っている。
日本人のトップは手応え十分という顔をしているが、
中国人のトップは何ともやりにくそうにしている。

そして、中国人のスタッフたちは、
攻略法が読めた。上が点数をつける傾向さえわかれば、昇給率10%を確実にものにできる。
少々制度が変わっても、上の人間が同じならば大差ない、と。

上に政策あれば、下に対策あり。
中国人というのは、本当にスゴいと思う。

どのような制度であっても、運用しているのは人間なのだから、
最終的に攻略すべきは人間である。
誠に、そのとおりだと思う。

ということで、歴史書等を見ていて「トップは少しバカなくらいがいい」というのは、
こんな組織のことを言うのだろうと思った。

新しい制度は、必ずその前にあった歪みを修正するために導入され、
そして必ず、誰かが割を食う仕組みになっている。
成果主義の導入では、日本であっても中国であっても、そしてかつてのアメリカであっても同じ。
若い人のところに出る。

古くからいる人は「既得権益」を守るために、そのための「目標設定」を部下に対して行う。
ある人が永遠に自分を抜けないように操作することは、いともたやすい。
成果を多面的に評価し、上に引き上げて行くために作った制度が、
逆に、ある人の可能性を閉じ込めることになる。

そして、若い人のほうが、このジレンマに直面しやすい。
誰もが努力しているのだから、「がんばりました」は、
評価対象として最初の段階で目標欄に記入されていない限り、評価の対象とはならない。
例えば新人ならば、きちんとホウレンソウをできることがあなたの「成果」ですと言っても、
その先、自分が欲しい地位と評価までの長い道のりを思って、彼らは焦る。

何より、自分よりたった1~2年はやく入った先輩が、
能力の差はほとんどないのに、自分よりも1.3倍から1.5倍の給料をもらってる。
それを是正するための制度だと言っていたのだから、
私はこんなに頑張ったのだし、会社は自分のことを期待してくれて、
もしかして自分だけ飛び級できるのではないかと期待する。

でも、結果はそんなに甘くない。
幻滅して去って行く。

中国は、特に上海は、バブル崩壊後の日本に似ていると思う。
バブルに間に合って入社した人と、そうではない人の差が大きく、
人民元が高くなっていることによる空洞化や競争の激化が、若い人を直撃している。

ちなみに、私は、今の会社のバブル期が終了した後の入社組なので、
若い人と同じくらいに割を食っている。と、思っている。
そんなつもりはなかったのだが、同じ職位の中国人マネージャーからそう言われたので、
きっとそうなんだろうと思う。

魚心あれば水心だったか。
会社をふくめ、社会に対し、愛情をもつことは、非常に難しいと思う。

つまった

2014-01-08 00:02:47 | Weblog
お風呂の下水がつまった~!!!と思い、大家さんのところに行ったら、
うちだけじゃなくて、うちの並びは全滅。
明日は間に合わなかった、あさって修理に来るとのこと。

なんだ~。いつものあれか。
見えるところだけ何となくやって、裏側はちゃんと施工しない中国のアパート特有のトラブルか。

アパートの大家さんって、たいへん、と思う。

いま、会社で人事評価をやっていて、部下の中国人の評価をしているのだけど、
人を評価するのって、する側も、される側も、本当にたいへんだと思う。
そして、能力以上に上がってしまった最低賃金は、人を不幸にすると思う。

特に後進国の場合は、あえて中国を後進国と言うが、
先進国の値崩れしている労働力に比較され、割高感が増す。
その点、日本人は少し有利な気がするけれど、
中国人のほうが、明らかに能力が秀でている部分もあって、一概に国籍では判別できない。

これだけ労働力の国籍が問われない時代が来ると、
日本人はもっと英語をはじめとする外国語力を身につけ、
自分のスキルを世界に適合させる努力を自分自身で行うようにしないと、
これから先は生き残れないんだろうと思う。
枠組みの中で活かしてもらえた時代は、もう過去のものになりつつあるのだから。

そんな時代に、日本人が内向きになっているのは何とももったいないけど、
自虐史観から抜け出す為には、そういった鎖国時代もしょうがないかとは思う。

鎖国の時代にも、なんとなく漁に出たら、異国に流れ着いちゃった日本人はいただろうし、
そんな人はいつの時代にもいる。

先日、西安に行き、
寧波や福州あたりに漂着した遣唐使が西安までたどり着いた苦労も相当なものだし、
いざ日本に帰ると言ったときに、船まで用意してやった唐の人たちは、やはりすごいと思った。
いまと比較すると、日本人が滞在し勉強するお金の面倒を全部見てやったうえに、
帰国させる為に旅客機をオーダーメイドしてやったようなものだ。
唐の国内事情に左右され、なかなか西安までたどり着けなかったり、
帰国できなかった遣唐使がいたのも当然のことだ。

私は、帰ろうと思えばいつでも帰れる。
本当にありがたいことだと思う。

西安 2日目

2014-01-06 01:13:02 | Weblog
西安2日目は、陜西歴史博物館へ。

兵馬俑のエリートイケメンとか、唐三彩などがある。



ただし、唐三彩のエリートたちは、国民党と一緒に台湾へ行っているので、ここにはない。
その点、兵馬俑は新中国になってから発見されたので、エリートがちゃんと中国国内にある。

次に、空海が学んだ青龍寺の跡へ。



恵果空海記念堂に行ったら、中国人のお坊さんに「空海は、帰国したよ」と言われた。
知ってます。日本史の教科書に出てますから。
こういうところが、中国人って面白いんだよなあ。



で、昼食に肉まんを食べ、西安事件の資料館へ。



当時、張学良が住んでいたところ。
周恩来も蒋介石も、そして張学良も、何も語らずに亡くなった。
あのとき、ここで、張学良と周恩来はどんな話をしたのだろう。

張学良が寝ていたベットらしいんだけど、布団カバーは当時のじゃない。
でもきっと、真ん中の湯たんぽは、当時のだ。



その後、城壁大好きな私としては、とりあえず長安を守った東門へ。



相変わらず、でかい。



そして、東大街は、かすむ。



曇っていたせいだけじゃなくて、いま再開発でそこらじゅうを掘り返し、
地下鉄やらマンションやらを作っているから、きっとこうなる。

20年前に訪れた時、西安は西の玄関口と思った。
西安に来て、はじめて、シルクロードに行ってみたいと思った。

でもいまは、単なる一地方都市。

確かに、秦、漢、唐の都があったところで、いろいろと当時を再現しようとしているけど、
20年前のようなエキゾチックな感じは、だいぶ薄れたと思う。

西安 1日目

2014-01-06 00:40:20 | Weblog
この週末、西安に1泊2日で行って来た。
20年ぶりの西安だけど、そんな時間の長さなんて「へ」とも思わない兵馬俑が、
相変わらず整然と並んでいた。

 

なんとなく、イケメンから前のほうに並ばされているように思うのは、気のせいだろうか。
そして、本当のエリートイケメンたちは、外貨を稼ぎに外国へ行ったり、
博物館に飾られたりしているのだろう。

中国人も一杯来ていた。



で、よく歩いてお腹がすいたので、昼食。

 

小麦文化だ。

その後、始皇帝稜に。
あれ、20年前は頂上まで登れたような気がするんだけどなあ。



いろいろと整備されていた。
兵馬俑と始皇帝稜で入場料は120元。なかなかいい値段だ。

次に、華清池へ。

温泉が出るとのことで、玄宗皇帝と楊貴妃のお風呂もあり、
各種のお風呂が楽しめる、いまでいう健康ランドのようなところ。唐代の。

風呂の跡を見るのに、入場料が80元だが、
ここは、西安事件のあった場所なので、致し方ないと思う。



ちゃんと銃痕も残っている。

そして、20年前も「ここが西安事件の舞台か~」と感動した記憶があり、
今回もまた感慨もひとしおだったので、私は成長しないというか、
趣味が変わらないというか、何度でも楽しめる幸せな性格なのだなあと、自分を再認識。

そしてその後、大雁塔へ。



三蔵法師さんが持ち帰った経典が収められていたけど、
当然のことながら、いまはもうハリボテ。

考えてみれば長安の都は、安禄山の乱で徹底的に破壊されたけど、
その前もさんざん焼き払われている。
これだけ何度も燃やされた都は、世界中に他にないんじゃないかと思う。

そして、唐が滅びた後は、都になっていない。かれこれ1000年だ。
いや~、歴史が長い。

夕飯は、ホテル近くの回民街へ。



回族の人が作ってくれた、麺。
羊の肉を上にぶっかけて食べる。



上海で食べる手打ち麺より、だんぜん上手い。さすが本場。

そして「なんでこうなっちゃうの~」というライトアップをされた鐘楼を眺められる
ホテルで就寝。



なかなか歴史のある街はいい。

南京東路のApple Store

2014-01-03 23:39:25 | Weblog
MacBookProちゃんが、変な音を出した。
中で小さな部品が、カラカラと動いている。

いや~な気持ちになり、もうすぐ保証期間の1年が過ぎることから、
すごい勇気を出して、上海のアップルストアに行くことにした。

そのへんのアップル代理店だと、中のパーツを抜かれるとか、
かえって具合が悪くなったとか、いろいろなウワサを聞くので、
南京東路の正規店に行くことにした。

昨晩、アップルのWebサイトから予約を入れた。
ほとんど日本語の画面で、無事に本日19時からのGenius Barの予約が取れた。
どうやら世界中どこのアップルストアでも、ネット上からほとんど母国語だけで
予約が入れられるようになっているようだ。すごい。
日本で買ったMacだけど、そんなこと関係ないようだ。

お店に行って「予約してます」と言ったら、カウンターの席を勧められた。
そして、待つこと15分ぐらい。
「あなたの名前はこれですか?」と、iPad上に表示された日本語の漢字で書かれた名前を見せられた。
どうやら私の名前に使われている日本の漢字が読めないようだけど、愛想がいい。

店員「この名前は・・・、どこの国の人? 日本? 韓国?」と。
私が「日本だよ」と答えたら、「え、きみも日本人なの。中国語上手いね」と。
で、続いて、非常にナイスな対応をしてもらった。

店「Proのツールはあっちだから、席をうつってくれる?・・・で、どこが調子悪いの?」
私「中で、カタカタと音がするの」
店 振ってみて、にっこり笑い「わかった。いまドライバーを持ってくるから待ってて」
器用な手つきで、本体裏側のネジをすべて外し、パカリと開けた。

店「ほら。これだよ」と言って、
 タッチパネル裏側に直径5ミリくらいのネジが落ちているのを見せてくれた。
店「一番簡単なトラブルで良かったね。このネジをしめたら大丈夫なはず」と、
 すべて見ている前で、ちゃんと説明しながらやってくれた。



で、いろいろと動作確認とかやりながら、話しかけられたのは、以下のようなこと。

店「日本には、世界的に有名なパソコンメーカーがたくさんあるね。松下とか、東芝とか」
私「でも、私は一番アップルが好きだよ」
店「そっか。このProは中国で作っているけど、バッテリーやメモリといった大切な部分は
 全部日本製だよ。日本のものづくりはすごいね。尊敬するよ」
私「じゃあ、私のProは、私たちの国の合作だね」
店「で、ライセンスはアメリカだね(笑)」

店「日本には、ほかにもたくさんすごいメーカーがあるね。
 僕は、バイクを買うなら日本製って決めてるんだ。モーターが全然違うもん。
 それに、僕たちの世代はみんな日本のアニメや映画で育ってるから、みんな日本が好きだよ。
 うちの奥さんなんて、日本に行きたい!ってすごいもん。
 それに、前にテレビで登山家の話をやってたけど、日本人は本当にストイックで、
 物を作ったり、何かを成し遂げたり、スゴい人がたくさんいるね」

すごく、日本びいきな店員さんだった。

「北海道に行くなら、いつの季節がいいかなあ。冬は寒いから無理?」とか、
「岩井俊二のラブレターは、本当に感動した」とか、
「日本の子供用のアニメは、子供用と言ってもあなどれないね。
 すごく人生の示唆に富んでて、大人が見ても感心するよね」など、
次から次へと日本の話が出て来た。

最後、Proのシステムチェックをしているときに、
「これ、まだ新しいでしょう」と言われたので、「1年くらいだよ」と答えたら、
「1年? やっぱり日本人は物を大切に使う人たちなんだなあ。新品みたいにきれいだ。
 それにキーボードが日本語だね。新鮮だ~!」と。
モニタもキーボード部分もきれいに拭いて返してくれた。
きちんと「ありがとう」とお礼を言って、お店を後にした。

これが、政治家同士の仲は史上最悪なくらいに冷え込んでいる中国上海であったこと。

柏手

2014-01-01 14:24:40 | Weblog
やはり、正月に日本にいないと、精神的に楽だ。
毎年、除夜の鐘を聞くたびに、何の為に生きているのだろうと思っていたけど、
昨夜は空爆のような爆竹の音とともに2014年が明け、
ああ、日本人でよかった、静謐な正月のほうが、正月らしいぜ、と思いながら、
ぐっすりと眠りに落ちた。

初夢の内容は、決してめでたいものではなく、
迷いと心細さをあらわすようなものだったけれど、
これが実状であるならば、それはそれで受け止めるだけだ。

今日は、本当は仕事が残っているのだけど、元旦ぐらいはやめようと思い、
朝から読書をしている。『自ら歴史を貶める日本人』の続きだ。

先日来、どうして中国にいるのか自問している。
私は、中国に親近感はあるけれど、親中派ではないと思う。

中国に住んでいる人の中には、島ぐらいあげちゃえ、と言う人もいるし、
日本人が悪いことをしたのだからしょうがない、と言う人もいるけど、
私は、島はあげるようなもんじゃないし、日本人はそんなに悪くなかったと思っている。
だから、中国人の友人にもハッキリそう言っている。
友人以外の人に言うのは危ないので、いまのところは言っていないが。

そして、中国人が一番不思議がるのは、なぜ私が休みの日も喜んで仕事をするのか、ということ。
自分でも不思議だし、日本にいた頃よりも、残業や休日出勤が苦でないのはなぜだろう、と
考えていた。

最近、気がついたのは、私は自分の仕事が「日本の国益につながる」と、
自分なりに、確信できるようになってきたからだと思っている。

私は、民間の小さな企業で働く一従業員に違いないけど、
お客さんである日本企業と中国企業の為にしっかり仕事をしようと思っていて、
社内では心を保って、いい悪いをしっかり考え、
長い目で見たときにどうなのかを問いつつしっかり生きることが、
なんとなく、回り回って国益につながっていると実感できている。

だから、いまは中国にいるんだと思う。
これが日本でも実感できるくらいに、自分の生き方がクリアになれば、
私は自然と国に帰るだろう。私が一番好きなのは日本なのだから。

ここ数日、すごく聞きたくなった歌があり、iTunesで購入した。
小比類巻かほるの「トワイライト・アヴェニュー」という歌で、
20年くらい前、入院中の母ところからの帰り道に、
電車の中で、思わずぼろぼろと泣きながら聞いた。
歌詞の一節に、
「最初チャンスを与えてくれたの 誰? ずっとハートにとどめたい your mind」
という言葉があって、これは母と私の歌だと思った。

人は、1人だと弱い。
だから家族を必要とするのだし、海外に住むと、祖国に思いを馳せるのだろう。
もし、その家族が、祖国が、完璧に美しくなかったとしても、それでいいんだ。
中国だろうが日本だろうが、そんなもんだ。
だって、私と同じ人間が、ただの人間が、悶えながら生きたのが歴史なのだから。
過去の人が特別に立派なわけでも、劣悪なわけでもない。
みんなが、一生懸命に生きた結果が、私には「そう見ることもできる」というだけだ。

これから上海の古寺に友人と初詣に行く。神社はないから。
柏手打ったら、顰蹙買うよなあ・・・。