大阪に出張でした。大阪へは年間10回ほど出張します。今回は甲子園や塚口、帝塚山、八尾と2日間で4カ所という強行軍でした。12日は少し早めに甲子園に着き、甲子園球場の周りを散策しました。甲子園は、1922年に武庫川の支流である枝川と申川(さるがわ)が改修工事によって廃川となり、その河川敷跡を阪神電鉄が兵庫県から買収し、大正13年には枝川と申川の分岐点に野球場が建設されました。その年が十干、十二支のそれぞれ最初の「甲(きのえ)」「子(ね)」の年であったことから、この付近一帯を「甲子園」と命名されたそうです。
球場に隣接している甲子園素盞鳴(スサノオ)神社です。必勝祈願に球児たちが訪れるそうです。こちらは最初の訪問地の近くの県立鳴尾高校です。なぜこの写真かというと、昔野球少年だったころ、巨人軍に藤尾茂という捕手がいましたが、この選手の出身校です。鳴尾というイメージから鳴門海峡の四国ではと思っていました。そのほかでは土屋正孝という内野手の松本深志高校もよく覚えています。
宿に行く途中で難波に立ち寄りました。我々の年代では「月の法善寺横丁」という藤島桓夫が歌ったものが懐かしく思え、どうしても寄りたくなります。法善寺の水掛不動尊最初見たときはびっくりしましたが
今回は角度を変えて撮ってみました。
法善寺の山号は天龍山で、本尊は阿弥陀如来です。そのほか水掛不動(西向不動尊)や金毘羅堂などがあります。当寺院は千日念仏を行ったことから俗に千日寺と呼ばれ、千日前は当寺院の門前に由来するものです。
隣のお初大神には提灯に囲まれてネコが暖かそうに鎮座していました。
昼間の道頓堀はちょっと興ざめです。
今日13日は河内山本を訪問しましたが、近くに山本八幡宮がありました。山本八幡は、享保元年(1716年)、石清水八幡宮より神霊を勧請し、山本新田の鎮守として分祀されました。1956年に社殿が改築され、現在に至っています。本殿は社殿の中に収まっています。