九州は雨の予想でしたが、雨は夜のみで朝方にはあがりました。そこで少し早めに宿を出て、近くある櫛田神社に寄ってみました。由緒では、櫛田神社は、博多の総鎮守として、「お櫛田さん」の愛称で広く市民から親しまれている神社です。祭神は大幡主命(櫛田宮)・天照皇大神(大神宮)・素盞嗚尊(祇園宮)となっています。この櫛田神社は伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものだと考えられ、天正15年(1587年)の豊臣秀吉が博多復興にあたり、現在の社殿の建立寄進がなされました。神社に奉納される博多祇園山笠は、博多の夏の風物詩として全国的にも有名です。境内には「櫛田の銀杏」が葉を繁らせ、その根元には2点の蒙古碇石があるということです。
あまり期待していませんでしたが、いきなり山笠が現れました。これは、通例祭り期間中にしか見ることができないはずの博多祇園山笠の飾り山を、歴史を伝えるために唯一常設されているものだそうです。また、
入り口付近には「櫛田の銀杏」とよばれ、県の天然記念物に指定されている樹齢約1000年の銀杏の木がありました。
楼門には博多総鎮守と書かれていました。
今回の出張でぜひ行きたいところがあったので、早々と次に向かいました。太宰府天満宮です。昨年北野天満宮、防府天満宮を訪れており、これで、日本の三天満宮といわれるものをすべて見ることができたからです。
梅の花が咲き、暖かだったこともあり境内は賑わっていました。梅の木はたくさんありますが、有名なのは「飛梅」です。
これは菅原道真が藤原時平との政争に敗れて遠く大宰府へ左遷されることとなった時、屋敷内の庭木のうち日頃からとりわけ愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しんだそうで、そのときに梅の木について詠んだのが「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春な忘るな」だそうです。
そして伝説では、道真を慕う庭木たちのうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみに暮れて見る見るうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったという。しかして梅と松は、道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛んだ。ところが松は途中で力尽きて、今の兵庫県神戸市須磨区板宿町近くの後世「飛松岡」と呼ばれる丘に降り立ち、この地に根を下ろした。一方、ひとり残った梅だけは見事その日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったといわれているもので、境内で最も早く咲くそうです。ほかにもたくさんの梅の木がありましたが、こそこそと動いている花があったので、のぞいてみると、ゆらいしていたのはメジロでした。
ここの巨木・老木は樹齢 1000~1500年、樹高39m、幹回り12m、根回り20mという国指定天然記念物の楠です。本日の出張地の久留米で昼食を食べ表に出たら、猫が呼び込み?をしていました。