大和西大寺が奈良2日目の訪問先でした。奈良駅前に宿泊したので、早めに出発して、まず興福寺に寄ってみました。興福寺は、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院です。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇っていました。南円堂は西国三十三所第9番札所となっています。「古都奈良の文化財」の一部として1998年に世界遺産に登録され、1999年から日本国の史跡整備保存事業として、発掘調査が進められていいます。平城京での創建1300年を期に中金堂が再建中であり、南大門の再建も計画されています。
手前の猿沢池では石像のようにゴイサギが立っていました。三重塔(国宝)へ行く途中に延命地蔵尊が立っています。三重塔から工事中の北円堂(国宝)に向かいました。南円堂の前から五重塔(国宝)を見ています。
目的の大和西大寺にある施設への訪問にはまだ時間があったので西ノ京に寄りました。昨年も立ち寄りましたが、ここには薬師寺と唐招提寺があります。薬師寺は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山です。天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。(718)平成10年よりユネスコ世界遺産に登録されています。
薬師寺では薬師如来に会ってきました。国宝の東塔は修理中できらびやかな西塔が立っています。西塔は昭和56年(1981)に復興されました。東塔と比較して、鮮やかな色になっていますが、それは奈良を表わす色使いでもあるそうです。塔の連子窓[れんじまど]に使われている色を「青[あお]」色、扉や柱に使われている色を「丹[に]」色と呼び、万葉集の一節に「あおによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり」と歌われている事からも当時の平城京の華やかさを表現する意味もあったのではないかと思われます。「青丹良し」とは奈良の枕ことばを意味するのです。
薬師寺には梅の木がたくさんありましたが、まだ少し早かったようで、白梅だけが少し咲いていました。
昨年は行けなかった唐招提寺まで歩きました。唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部(にたべ)親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。
「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。
金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。
現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える、貴重な伽藍となっています。金堂の中の廬舎那仏坐像や薬師如来立像、千手観音立像には圧倒されました。
奈良は高校3年で修学旅行以来なので50年ぶりということになりますが、薬師寺と唐招提寺、法隆寺が印象的だったことを覚えています。
次回はぜひ法隆寺へ立ち寄りたいと思っています。
目的の大和西大寺では、ランドマークそのものの西大寺に寄りました。西大寺は東大寺に対する西の大寺という意味だそうです。残念ながら、創立当時の建物がすべて失われて、江戸時代再建されたので、国宝に該当するようなものが残されていませんでした。
五重塔跡と本堂ですが、本堂も江戸時代に再建されたもののようです。
背景の空でわかるように2日目も寒い奈良でした。