ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

法善寺・水掛不動尊、法善寺横丁

2014年12月09日 23時16分48秒 | 訪問地周辺散策

宿は阿波座のスーパーホテルなので、河内山本の帰りに難波で降りて法善寺に寄ってみました。地下鉄のなんば駅の14番出口を出たところですぐに参道と書かれたところに出ました。何度も来ていますが、初めてです。突き当りが法善寺です。午後4時過ぎでしたが、結構参拝客がいました。こちらは金毘羅さんです。3年前はここに拝殿がありましたが、撤去されてしまいました。それと、ここには野良猫さんがたくさんいましたが、今回は見当たりませんでした。ネコを捨てるなという看板も出ていたので、処分されてしまったのでしょうか。

水掛不動さんは相変わらず苔むしています。最初に見たときはびっくりしましたが、もう5回目になるので、見慣れました。通り抜けたところに墓標がありました。ここを左手に曲がり、もう一度左手に曲がると法善寺横丁です。

大阪観光情報によると「東西両端にある門にそれぞれ掲げられた「法善寺横丁」の文字は、西は藤山寛美、東は3代目桂春団治によるもの。長さ80m、幅3mの2本の路地が東西に伸びる横丁内には、老舗の割烹やバー、お好み焼き、串カツ店などがずらり、風情ある石畳に行き交う足音がコツコツと鳴り響く。もともとこの地は浄土宗天龍山法善寺の境内で、参拝客相手の露店がいつしか横丁に発展したもの。太平洋戦争の空襲で寺も横丁も焼失したが、戦後、盛り場として復活。織田作之助の小説「夫婦善哉」の舞台として知られ、歌謡曲「月の法善寺横丁」にも歌われた。戦火をくぐり抜けた不動尊は、願いを込める人たちがかけた水で、全身に緑の苔がびっしり。旧中座の2回にわたる火災を乗り越え、復活を遂げた法善寺横丁は、かつての風情を残しつつ、浪速の人情も守りつつ、今も活気溢れる街だ。」と書かれていました。中ほどに月の法善寺横丁の歌碑があります。戎橋と道頓堀川を見て宿に向かいました。駅に向かうときこんな横丁を発見しました。

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河内山本、山本八幡宮・八阪神社

2014年12月09日 22時12分24秒 | 訪問地周辺散策

12月9日は八尾市の河内山本にある施設を訪問しました。今回で3回目ですが、少し周辺を散策してみました。近鉄駅の北口から玉串川(たまくしがわ)沿いは桜の名所らしですがこんな木が伸びていました。駅の北口に面している神社は山本八幡宮です。享保元年(1716年)、石清水八幡宮より神霊を勧請し、山本新田の鎮守として分祀された。ということで、社殿は1956年に改築されものようです。今は神社の玉串川との間に道路ができていますが、これは、1994年から1997年にかけて施設に大幅な改修が行われたことによるようです。(それ以前は川岸ぎりぎりまで神社境内だった。) そのため正面にあった太鼓橋は撤去されたとのことです。

ここは前回も寄っています。

今回は少し離れた八阪神社に寄ってみました。

本殿

隣にお稲荷さんがありました。もう一カ所、西光寺を目指しましたが、行く着くことができず、引き返して、駅の南口にある施設の近くの喫茶店で一休みをして、訪問しました。こちらは山本のネコさんです

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