二週間ぶりに曙橋の鍼灸治療院に行きました。途中新宿御苑の紅葉を見に寄ってみました。
いつもの千駄ヶ谷門から、季節柄がら紅葉を見に来た入園者が結構多くいました。入り口手前の銀杏。まだ少し緑が残っていました。入場門手前のイチョウです。目指すは下の池のところカエデです。千駄ヶ谷門から入った桜園のところのもみじです。そのまま中の池方面に降りていきます。
外国の観光客らしき人が撮っていました。
池には降りずに手前の遊歩道を下の池方面に向かいます。ここまできたら梅園の赤いものが気になりました。
梅園から坂を下りて「下の池」のもっとも低いところです。この木もなかなかいいです。
ここらいよいよ目的の地点です。
桜の木の紅葉をいろいろな角度で撮ってみました。
いつもあまり通らないところに行ってみました。
の並木に出ます。いつも反対側から撮っています。
玉藻池にはいかずに花壇と銀杏のところに行きました。
皇帝ダリアです。
玉藻池です。大木戸門ところのヤツデの花です。
★ランドマーク新宿御苑:新宿御苑の敷地は、天正18年(1590)に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸城に入城した際、譜代の家臣であった内藤清成に授けた江戸屋敷の一部です。
東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶ広大な土地で、のちの甲州街道や青梅街道になる江戸から西にのびる街道と、鎌倉街道が交差する要所であったことから、この一帯の警護など軍事的な目的で家康が信頼できる家臣に与えたとされています。
内藤氏7代清枚は元禄4年(1691)に三万三千石の信州高遠城主となりました。内藤家の屋敷地はその石高に比べてあまりにも過分であったため、その後かなりの部分を幕府に返上しましたが、明治5年にはまだ十万坪以上が残されていました。 新宿御苑は、この内藤家の九万五千坪余と、当時すでに私有地化していたものの、もとは内藤家の屋敷地であった隣接地を合わせた十七万八千坪(58.3ha)の土地に誕生することとなりました。
このようなことから、新宿御苑のルーツは内藤家の江戸屋敷と言えます。(環境省のHPより)