鍼灸治療に曙橋に通っていますが、今日は途中で新宿御苑で花見をしました。暖かな日和で公園内には多くの花見客が訪れていました。新宿御苑の歴史が始まるのは、徳川家康が江戸に入った翌年の天正19年(1591)にさかのぼります。譜代の家臣内藤家2代目の清成は、多年の功労と江戸城西門警固の功績を認められ、現在の新宿に屋敷地を拝領しました。家康は、清成に馬を走らせて回れるだけの土地を授けると言い、その結果、東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保にまでおよぶ広大な土地を賜ったと伝えられています。これが新宿御苑のルーツです。石高3万石余りの大名としてはもとより、江戸の中でも非常に大規模な賜邸であったことから、その所在の地名が「内藤町」と命名されました。
その後、7代内藤清枚(きよかず)の時に、領地を信濃に移され、3万3千石の高遠城主となりました。この時上屋敷を神田小川町に賜り、御苑の地は下屋敷となり、いつのころからか「四谷荘」とよばれるようになりました。
高遠藩主内藤家の下屋敷は、のどかな田園風景そのままの庭園で、華麗な建造物などはありませんでしたが、地域の住民とともに楽しむ憩いの庭として親しまれていたようです。なかでも玉川園(現在の玉藻池)は、江戸の名園のひとつに数えられていました。
元禄11年(1698)に、幕府は内藤氏の広大な下屋敷の一部を返還させて、町屋とともに馬継ぎの施設を設けて宿駅としました。これが甲州街道最初の宿駅で、内藤家の屋敷跡に新設された宿駅のため「内藤新宿」と呼ばれるようになりました。
前の職場の時、昼に御苑の周りを散歩していましたが、桜の咲く前に、このモクレンがいい色で咲きます。この木蓮は御苑の従業員の社宅の庭に咲いているものです。ちょっと満開を過ぎてしまいました。
いつもここから入ります。千駄ヶ谷門です。今日は酒類の持ち込みをさせないために検問がありました。入ったすぐのところの桜です。満開でした。千駄ヶ谷休憩所の脇に赤白の花がありました。花桃源平でよいのでしょうか。
中の池のところのコブシです。下の池から水仙のところのしだれ柳を見ています。この前は咲いているのは水仙だけでしたが、水仙の周りはしだれ桜で大勢の人が写真に収めていました。バラ園の周りにそびえているのはプラタナスの並木です。そびえる姿が荘厳でした。今日は台湾閣に入れたようで多くの人が池を眺めていました。なかなか写すのが難しい鯉ですが、今日は日差しもよく、鯉も近づいてくれたので写すことができました。赤い花はハナカイドウ言うらしいです。その下にカラスがいました。砂利道の方に飛び出してきました。千駄ヶ谷門の出口に向かいましたが、少し離れたところにピンクの桜が咲いていました。桜にもいろいろな品種があり、それぞれ名前がついていると思いますが調べる時間がないので、花の紹介のみで申し訳ありません。
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます