4月の下旬にリハビリサイクリングを兼ねて江戸名所図会めぐりとして南蔵院と熊野神社を散策しました。江戸名所図会より
手前を流れているのが中川左手前が南蔵院、奥が熊野祠です。
現在の地図でも同じようになっています。まずは南蔵院周辺をアップします。
立石方面から奥戸街道を走ってきました。本奥戸橋のところにペスタロッチ広場がありました。学生時代に教職の免許のため教育について少し学んだのでペスタロッチは知っていました。懐かしいと思い周辺を見るとこんな石碑が建っていました。
「人間の知・徳・体の諸能力の調和的発展の基礎は家庭及び万人就学の小学校での基礎陶治にあり、その方法は直観・自発活動・作業と学習の結合に基づく ペスタロッチ」と書かれていました。この広場には子育地蔵尊と馬頭観音が祀ってあります。
道標・道しるべはこれです。
ここから中川沿いを上流に向かいます。南蔵院です。山門
中に入ってみます。社殿です。
★ランドマーク南蔵院:五方山立石寺と号し、熊野神社の別当寺として長保年間(999-1004)に創建したと伝えられています。境内からは、明治時代に破却されたものの古墳が出土しており、古くから栄えた一角にあります。南葛八十八ヶ所霊場37番、荒綾八十八ヶ所霊場4番、新四国四箇領八十八ヵ所霊場17番になっているそうです。
南葛八十八ヶ所霊場37番
子育水子地蔵尊は新しくなったようです。
鐘楼
新編武蔵風土記稿に「鐘楼、延享3年鋳造の鐘をかく」と書かれていた延享3年(1746)在銘の旧梵鐘は、この前の戦争に供出してしまい、現在の梵鐘は当寺と無関係のものでだそうです。
南蔵院から出て少し上流にとげぬき地蔵尊がありました。
南蔵院は中川の堤防からずっと低くなっています。
カミソリ堤防で守られています。
これは地下水のくみ上げで地盤沈下した結果です。今は地下水のくみ上げをやめたので地盤沈下は止まっているようです。
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