何度か近くに来ていましたが、法善寺に行き着きませんでした。今回は抜弁天を経由してからようやく到着しました。大江戸線の東新宿駅から切絵図にある久保寺門坂でしょうかここを登って広小路のような交差点の先に抜弁天・厳島神社がありました。
左側から入ってみました。
今でも通り抜けられるようになっています。
★ランドマーク抜弁天:今はもう地名のようになってしまいましたが、その昔は源義家が祈願した厳島神社がありました。この近くを旧鎌倉街道が通っていたために源義家の伝説があるのだといわれています。
境内が南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜くための弁天社、いわゆる抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天、山の手七福神の一つに数えられました。神社付近一帯は、江戸時代の犬小屋跡です。
五代将軍徳川綱吉は天和2年(1682)に世継の徳松を亡くした悲しみから、貞享2年(1685)以降、数回にわたり生類憐れみの令を出しました。元禄8年(1695)には中野に一六万坪、大久保に二万五千坪の犬小屋を設けて野犬を収容しました。同年十月には四万二千匹に達したといわれています。(新宿観光振興協会HPより)手水場の流れの所にカワニナが生息しています。ホタルが見られるのでしょうか。拝殿
反対側の鳥居です。脇に由緒書きがありました。
七福神の案内もあり、次に行く法善寺がよくわかりました。
まねき通りというところを歩いて
法善寺に着きました。
★ランドマーク法善寺:日蓮宗の寺院で、正式名を「春時山光晴法善寺」といいます。山の手七福神のひとつ『寿老人』をまつるほか、本堂には保存状態も良好な極彩色の『七面明神像』(新宿区指定有形文化財)が安置されています。
七面明神とは、山梨県身延山の北にそびえる七面山に住む女神のこと。これは、日蓮宗総本山身延山久遠寺の鎮守です。法善寺の『七面明神像』は、唐風の衣裳に宝冠をかぶり、左手に火炎如意宝珠、右手に鍵を持ちます。鍵は正法を開いて人々を救うことを意味し、宝珠は仏に献上して成仏を約束された品といわれています。中正院日護上人の作と伝えられ、万治年間(1658~60)に駿河国から移され、江戸で最初にまつられた七面明神とされています。
七面明神像
本堂春時山と書かれています。ひなびた感じがいいのですが江戸名所図会に載るほどのお寺さんではちょっと寂しい観がありました。寿老人はこの中にあるようです。
こちらの菩薩は善行菩薩さんです。
★菩薩:『舎利弗阿毘曇論』では「菩薩とは他の教えによらないで自力で悟る人,三十二相を成就している人,将来仏の十力,四無所畏などを成就する人,将来大慈を成就して転法輪をなす人」と定義されている。江戸名所図会にも紹介されています。江戸名所図会より
境内には七面大明神が読めます。歌碑でしょうか。
何かの台石のようです。白の百日紅が咲いていました。ここから西向天神社に向かいました。途中に木槿が咲いていました。
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