江戸名所図会には隅田川東岸向島にある社寺仏閣が多く掲載されています。古地図でみるとこのようになっています。
由緒書きです。
★ランドマーク秋葉神社:昔この地を五百崎の千代世の森と云い千代世稲荷大明神がまつられていた。草創は正応2年(1289)と伝える。江戸時代の始め善財という霊僧この森に庵を結び精修数年の後、秋葉大神の神影を彫みこれを社殿に納めて消え去った。元禄の始め修験者葉栄が神感得てこの社に参り祈願の利益をうけ、当時請地村の長百姓岩田与右衛門を通じ寺社奉行に願出て上州沼田城主本多正永の報賛にて、元禄15年(1702)秋葉稲荷両社と称して社殿を造営し又千葉山満願寺を興して別当となった。
爾来鎮火の霊験・産業縁結びの神徳により諸大名はじめ士庶人の信仰を受け、享保2年(1717)に神祇管領より正一位の宗源宣旨を受けるに至った。明治元年神佛分離令の施行により、秋葉神社と称し別当満願寺を廃した。大正12年の震災に社殿倒壊し、昭和5年復興したが、昭和20年戦災にかかり昭和41年氏子崇敬者の奉賛により現社殿を再建した。
拝殿です。
江戸名所図会ではこのように描かれています。わたしの彩(いろ)「江戸名所図会」大人の塗り絵より キャプション:社頭に青松、丹楓(たんぷう)おほし。晩秋の頃、池水に映じて錦をあらふがごとく、奇観たり。
「江戸名所図会」には、この向島の秋葉神社は、「境内林泉、幽邃にして四時遊覧の地なり。門前酒屋・料理屋多く、おのおの生簀を構えて鯉魚を飼う」と書かれています。古地図によると、池の手前は大七と武蔵屋という料理家のようです。
古い石灯籠がありました。
★秋葉神社石灯籠:本殿に向かって一番近くにある石燈籠一対は、松平甲斐守吉里の室、源頼子が寛保元年(1741)奉献したものです。吉里は将軍綱吉の籠臣柳沢吉保の子です。
この石燈籠の右横にある一基は、前橋城主酒井雅楽頭忠挙が宝永6年(1709)に奉献したもので、その手前にある一対の石燈籠は、関東郡代伊奈忠宥が宝暦8年(1718)に奉献しました。
鳥居に近い石燈籠一対は、上州沼田城主で老中も勤めた伯耆守本多正永が宝永元年(1704)に奉献したものです。なお、この一対は〈墨田区登録文化財〉に登録されています。
当社は安藤広重の『名所江戸百景』に紅葉の名所として描かれ、『江戸名所図絵』には「秋葉大権現社、弘福寺より三丁あまり東の方請地村にあり、遠州秋葉権現を勧請し(略)境内林泉幽邃にして四時遊観の地なり」とも書かれています。一方鎮火の神として将軍家や諸大名の崇敬があつかったといいます。
平成5年(1993)3月 墨田区
丸い石は力石です。
江戸名所百景で紅葉の名所と書かれた名残か、楓の木がありました。
広重 名所江戸百景より
。広重の絵を真似たのでしょうか紅葉が植えてありました。
狛犬の顔が欠けていました。
秋葉大神碑
高い常夜灯が補修して残っています。
御神木はイチョウのようです。
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