ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

再訪・亀戸天神藤まつり

2016年04月23日 21時20分19秒 | 季節の花

天候に誘われてリハビリがてら再度亀戸天神に寄ってみました。土曜日で天候もよく花も見頃ということで、境内は満員のお客さんでした。杖をついては歩けないので、東の入り口から入ったところだけ撮ってきました。この位置に移動するにも待って撮りました。4月20日にも来ていますがその時は閑散としていました。

この辺は見頃になっていました。

歌川豊国の碑がありますが、出店が出ているので正面からは撮れませんでした。

境内を巡るのはあきらめて、旧中川の河川敷のところに行くことにしました。北十間川通り沿いに旧中川まで、中川河川を荒川まで出てとこから木下川橋まで行き、折り返して帰ってきました。9kmほどでした。スーパーで買い物して歩いたのは2000歩ていどでした。

旧中川ではコサギが獲物を探していました。

歩道に咲いているつつじも満開でした。

 

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花・向島百花園

2016年04月21日 20時43分47秒 | 季節の花

リハビリの帰り道、東白髭公園を通っていると濃い紫の花が見えました。

牡丹でした。この花壇にはこんな花や

アヤメが咲いていました。

それで、久しぶりに向島百花園に寄ってみようと思いました。

案内書きが

★ランドマーク向島百花園東京都公園協会のPHより「江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。
 
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。

百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
 
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けました。」

 

入り口65歳以上は70円でした。

最初に目に入ったのは紫蘭でした。いまいろいろなところに咲いていますが、結構好きな花です。

そして次は今の時期で代表的な花牡丹ですが、

こちらは色の混じった珍しいものでした。

藤棚もありました。

こちらはひめうつぎと書いてありました。

こちらの花はコデマリ

さわやか色の石楠花

つつじもあちこちに咲いています。

長く咲いている紫のツユクサです。

八重桜はスカイツリーを背景にできました。

こちらは御成座敷の前の牡丹です。

帰りがけに振り返ってみると隅田川七福神の福禄寿尊でした。

向島百花園が隅田川七福神の起源になっているようです。

七福神めぐり

「江戸の昔から、谷中と並んで向島の隅田川七福神は有名で、年の初めは恒例行事「隅田川七福神めぐり」のお客様で大変賑わいます。百花園には園創設者の佐藤鞠塢が大切に信仰していた「福禄寿」が祀られています。」とのことです。

七福神の説明は

「七福神とは、福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神です。
一般的には左から「恵比須、大黒天、弁才天、毘沙門天、布袋尊、寿老人、福禄寿」の七人の神様を、七福神と呼んでいます。」としてそれぞれの神について説明したものが多くありますが、ここの説明はわかりやすいです。七つは「寿命」「有福」「人望」「清廉」「恵愛」「威光」「大量」を表すものと書かれています。

ただどの神が該当するのか難しいですね。一般的にはこんなふうに書いてあります。

恵比寿 ・・・・・・ 商売繁盛、除災招福、五穀豊穣、大魚守護の神様
大黒天 ・・・・・・ 五穀豊穣、子孫愛育、出世開運、商売繁盛の神様
弁才天 ・・・・・・ 恋愛成就、学徳成就、諸芸上達、福徳施与の神様
毘沙門天 ・・・・・ 武道成就、降魔厄除、家内安全、夫婦和合の神様
布袋尊 ・・・・・・ 千客万来、家運隆盛、家庭円満、商売繁盛の神様
寿老人 ・・・・・・ 幸福長寿、家庭円満、延命長寿、福徳智慧の神様
福禄寿・・・・・・・ 財運招福、延命長寿、立身出世、招徳人望の神様

七つに代表的な神を当てはめると「寿命は寿老人」「有福は大黒天」「人望は福禄寿」「清廉は恵比寿」「恵愛は弁才天」「威光は毘沙門天」「大量は布袋尊」にでもなりましょうか。

 

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亀戸天神藤まつり

2016年04月20日 16時48分07秒 | 季節の花

先週の土曜日4月16日から亀戸天神の藤まつりが始まっています。リハビリを兼ねて天神さんを散策しました。藤はまだまばらですが木によってはかなり咲いていました。

亀戸の藤は浮世絵でも取り上げられています。

歌川広重の江戸百景です。

境内を一周して藤の花を撮ってみました。

最初の太鼓橋です。

平日でしたが天気がよく観光客も結構出ていました。

この藤はピンクかかっていました。

藤の花の紫とクスノキの新緑です。

心字池を住まいにしている一羽のアオサギです。

人気者になっていました。

亀の上に乗っているようです。

亀を押さえつけていました。

藤棚が未だ少しさびしいようです。

こちらの房はなかなかでした。

花だけでなく新緑とスカイツリーも良いかと思います。

こちらの白はハナミズキです。

境内に入る前に撮りました。

いつものビューポイントはまだ花が寂しいです。

★ランドマーク亀戸天神藤まつり神社のHPから「4月の下旬から、境内に100株以上ある藤の花が一斉に咲き始めます。心字池に写る姿と淡い香りが多くの人々に愛され‘東京一の藤の名所’として賑わいを見せます。一方、夜の境内は静寂の中に灯りにてらしだされた花房が、心字池のかすかな波に揺れて写る様は幽玄(ゆうげん)の世界そのものです。東京一と言われる藤の見事さだけでなく、100以上の露店で賑わう下町の情緒も肌で味わって下さい !」

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大川端公園、石浜神社

2016年04月18日 20時29分54秒 | 歴史の小道

東京都リハビリテーション病院に外来でリハビリに自転車で行ってきました。11時30分ころにリハビリが終了したので、少し周辺を散策してみました。まず病院の裏手に出て、隅田川が水門で荒川に続く場所に寄ってみました。

右手が水門につながっています。見えてる橋は川の手通りに架かる橋です。そこに行ってみます。

下流を見ると水神大橋や東京スカイツリーが見えます。

川の手通りの橋のところの河川は千住大川端公園になっており、皐月が満開でした。

先ほどいたところを逆に見ています。1800年代の古地図があります。御殿場というところにリハビリ病院は建っています。船ワタシと書いてあるところが白髭橋、神明宮イナリと書いてあるところが石浜神社になっているようです。

汐入のスーパー堤防を下流に向かっていくと

水神大橋のところに、リハビリ病院が見えます。

白髭橋とツリーです。

ユリカモメ(都鳥)です。

川と反対側に神社が見えたので寄ってみました。

石浜神社です。

左は大鳥居:第一鳥居(参道入口手前)は、安永8年(1780)、麁香様の開帳の年に建立。笠木(横柱の上部のもの)のカマボコ型様式は、神明造りには珍しいものです。

第二鳥居は、寛延2年(1749)の建立。柱に刻まれている山川、高木は橋場の名主の名。様式で額束(がくづか:横柱の中央にある短い支柱)のある型は、神明造りでは珍しいとされます。

拝殿

★ランドマーク石浜神社荒川区の紹介では「神亀元年(724)、聖武天皇の命によって創建されたと伝えられます。以来1280年余の歴史があります。

源頼朝・千葉氏・宇都宮氏らの崇拝を受けたと言われます。参道にある第一鳥居(参道入り口手前)は、安永8年(1779)に、第二鳥居(参道の奥)は、寛延2年(1749)に建立されました。神明造りと言われる建築様式で、それぞれ区の有形文化財に登録されています。

 また、境内には、平安時代の歌物語として知られる「伊勢物語」の東下りの段の一節「むさしの国と下総国とのさかひにいと大きなる河あり・・・名にしおはゞいざことゝはん都鳥わか思ふ人はありやなしやと」が刻まれた歌碑があります。

平成28年は、神幸祭です。」となっています。

最近池波正太郎の鬼平犯科帳ゆかりの場所を見て回っていますが、「剣客商売」の秋山大二郎の道場は石浜神明宮と真崎稲荷社の西側の丘の一角にあることになっています。

源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、蒙古襲来の折、鎌倉将軍家のお取次ぎによる必勝祈念の為の官幣のご奉納など大社として発展。江戸近世には社運さらに栄え、なかでも「夏越の大祓」は、江戸随一と称されたそうです。

大工祖神は麁香様(あらかさま)のこと。本碑は鹿香神社に寄せる職方信仰の象徴です。安政4年(1857)真先稲荷5回目の開帳の年に建立。

庚申塚

富士遙拝所脇に3塔あり、いずれも元禄の前後、江戸の庚申塔ブームに近い頃の塚だそうです。

 

富士遙拝所:宝暦8年(1758)の建立。当時普及を見た富士信仰・講の記念の一つです。

広重 名所江戸百景 真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図

江戸後期、招来稲荷社繁栄の頃の狐に関する伝えは、この祠にちなむものだそうです。

 

 

少し行った白髭橋のところに案内がありました。広重 東都名所図絵隅田川渡しの図

隅田川の両岸は多くの錦絵で描かれています。

こちらは手前の三囲神社から待乳山聖天・今戸橋を見ている雪化粧風景です。広重 銀世界東十二景
隅田川両川岸一目の月

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鬼平情景散策

2016年04月17日 21時44分43秒 | 近郊散策

リハビリあまり歩けないので、近場を自転車で散策しました。

鬼平情景散策がまだ残っているので行ってみました。長谷川平蔵の旧邸の所では幟が立っていました。だいぶ痛んでいました。何時からたてているのでしょうか。

【高札14】長谷川平蔵の旧邸(墨田区緑4-12-7)
「鬼平」こと平蔵が27歳のときまで暮らしていた屋敷のあった場所です。実父の宣雄が目黒行人坂の下手人を捕らえた手柄により京都町奉行に出世し、長谷川家はこの地を去りました。

こちらは小さな公園の片隅にありました。

【高札13】相模の彦十の家(墨田区亀沢4-14-6)
彦十は本所松井町の「岡場所」に巣食う香具師あがりの無類者。若かりし平蔵が、放蕩無類の暮らしを送っていた頃からの取り巻きの1人です。密偵に転じると、その働きは目を見張るものがありました。

次の場所に行くのがちょっと大変でした。途中にこんな所がありました。いつのまにか江東区に入っていました。

立札の下はタンポポでした。

昔の二つ目通り「清澄通り」を渡ると角にありました。

【高札16】茶店笹や(墨田区千歳3-5-8)
弥勒寺の門前にあり、平蔵が放蕩無類の日々を送り「本所の銕」と呼ばれていた頃をよく知るお熊婆さんのお店。火盗改の長官になってからは出先のような役割を担い、多くの作品に登場します。

次もなかなか見つかりませんでした。

というのもマンションの玄関にありました。

【高札15】煙草屋・壺屋(墨田区両国4-4-5)
大盗・蓑火の喜之助の下で修行した盗賊・大滝の五郎蔵は捕縛された後、密偵となり、義父・舟形の宗平とこの店を始めました。後に夫婦となった女密偵のおまさも同居。多くの作品に登場します。

両国まで来てしまったので、ここも見て見ました。吉良邸跡です。

一般社団法人 墨田区観光協会のPHより「吉良邸跡(本所松坂町公園):吉良上野介義央の屋敷は広大で、東西733間(約134m)、南北は34間(約63m)あり、坪数2,550坪(約8,400㎡)と諸書に記されています。吉良上野介が近藤登之介の屋敷跡を拝領したのが元禄14年(1701)9月3日、義士の討入りがあって没収されたのが同16年(1703)2月4日ですから、実際に住んだのは1年半に満たない短期間でした。本所松坂町公園は昭和9年に地元両国三丁目町会有志が発起人となって邸内の「吉良の首洗いの井戸」を中心に土地を購入、同年3月の東京都に寄付されました。」とあります。

次に向かったのは東京都慰霊堂のある横網町公園です。

東京都慰霊堂は、大正12年(1923)9月1日に発生した、関東大震災による遭難者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の大きかった被服廠跡(現在東京都横網町公園)に昭和5年に建てられました。慰霊堂の設計は、築地本願寺や湯島聖堂を手がけた伊東忠太氏(1867~1954)によるものです。

当初は「震災記念堂」と名付けられましたが、昭和20年3月10日の東京大空襲などによる犠牲者(約105,000人)の御遺骨も併せてこの霊堂に奉安し、昭和26年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改め、現在約163,000体の御遺骨が安置されています。

横網公園の日本庭園です。:慰霊堂の北側約700坪(約2300㎡)の地域は、林泉式日本庭園としています。これは震災時、清澄庭園や安田庭園など都内の庭園が、人命の保護に役立ったことを教訓として計画されたものです。当初の設計は造庭家 平山勝蔵氏(1899~1990)で、後に東京農大教授となられ水禽窟の研究で有名です。

日本庭園から見た東京スカイツリーです。

団地に戻ると牡丹が咲いていました。

写真を撮っていない鬼平情景の高札はあと二カ所になりました。

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