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PKKが東部で道路封鎖。ミニバスの運転手を殺害

2015年08月17日 | 国内
8月18日 東部エルズルム県で、PKKが不法に設けている検問所を避けて通ろうとしたミニバスの運転手を、PKKの戦闘員が殺害しました。

 Hurriyet

8月17日午前7時頃、PKKの戦闘員たちが、エルズルムのデーイルメンリデレ地区とアクシャル地区間の道路を占拠し、北東部アルダハン県からイスタンブルへ向かうミニバスを止めようとしました。

ミニバスの運転手ガリップ・ベクタシュさん(35)は、急造の検問所を設けているPKKの戦闘員たちに気づき、車をバックさせて逃げようとしましたが、PKKは発砲してきました。ベクタシュさんは背中を撃たれ、乗客の中の2人が運転手にかわってミニバスを運転し、PKKから逃れました。

ミニバスの乗客たちは通りかかりの車を止め、ベクタシュさんをアルダハンのギョレ地区の国立病院に運びましたが、ベクタシュさんは病院でなくなりました。ベクタシュさんは既婚、2人の子供がいます。エルズルム県とアルダハン県の治安要員が現場に駆けつけました。PKK戦闘員を捕らえるために、シェンカヤとギョレ間の道路が通行止めになりました。

・・・ミニバスの運転手さんとそのご家族、ほんとうにお気の毒。ことばもありません。


北西部大地震から16年、遺族の悲しみは消えない

8月17日は、一瞬で1万8000人の命を奪ったトルコ北西部大地震の16周年になります。1999年から、遺族の悲しみはいまもつづいています。

 Hurriyet

8月17日午前3時7分、マグニチュード7.5の地震が起こった時間に、コジャエリ県ギョルチュ町のカワクル海岸で、海に花が投げられました。ギョルチュクの共同墓地では、人々の祈りの声が響きました。

父親や兄弟、姪たち9人の親族を失ったギュルハニム・エリシュさんは、まだ地震の後遺症から立ち直れないと言いました。「私たちはあの日を忘れられません。私の悲しみは終わルどころか、毎日、深まってゆきます。私は寝室のドアを閉めて眠れません。3階より高いビルには、いまも入れません」とエリシュさんは言いました。

ニルギン・バシュトプチュさんは4人の家族を含む30人の親戚を失いました。ギョルチュクには地震断層が走っているのに、最近、5階建てのビルの建築を許可した行政を、バシュトプチュさんは批判しました。

ギョルチュクは1999年の地震の震源地でした。トルコの近代史上、最悪の自然災害のひとつといえるこの地震で、5万人が負傷し、1万8000人が亡くなりました。

ギョルチュクのメフメト・エリベシュ町長は、町内にいくつかある古い建物が心配だと言いました。「町長として、私は地震を心配しています。古い建物が心配です。すべての建物の強度テストをするべきでしょう。町はテストの実施を待っています」


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