11月10日 オンイエディ・エイリュル大学の海洋学部のムスタファ・サル学部長が、最近、海面と海底の調査をした結果によると、マルマラ海の粘質物の存在は現在、大事には至っていないが、脅威でありつづけているということです。
Hurriyet
サル学部長は調査のため、しばしばマルマラ海に潜水しています。粘質物の問題は終わったわけではなく、藻が異常に繁殖していることが懸念されると、サル学部長は言いました。
「最近の潜水では、粘質物は見られませんでした。しかし、大量の藻が8メートルから22~23メートルまで成長しています。藻の繁殖はよい前兆ではありません」とサル学部長は言い、この藻の繁殖が粘質物にならないことを祈ると付言しました。
「少量の粘質物が海底に積もっていますから、油断はなりません。さいわい、現時点では、マルマラ海に新しい粘質物の存在は見られません」と、サル氏は言いました。
「最近の潜水では、粘質物は見られませんでした。しかし、大量の藻が8メートルから22~23メートルまで成長しています。藻の繁殖はよい前兆ではありません」とサル学部長は言い、この藻の繁殖が粘質物にならないことを祈ると付言しました。
「少量の粘質物が海底に積もっていますから、油断はなりません。さいわい、現時点では、マルマラ海に新しい粘質物の存在は見られません」と、サル氏は言いました。
ヴァン地震の“日本の英雄”の母は息子の想い出を胸に
2011年、東部トルコの地震で亡くなった日本人の支援ボランティアの母親は、この10年間、息子の想い出とともに暮らしてきました。
Hurriyet
2011年10月23日、マグニテュード7.2の地震が起こったとき、宮崎淳(あつし)さんは、ヴァン県の地震犠牲者の救援のためにトルコに来ました。彼は「難民を助ける会」(AAR)の医者兼支援ワーカーとして、人々に支援の手を差し伸べました。
しかし、11月9日、マグニテュード5.6の地震がふたたびヴァンを襲いました。2度目の地震で宮崎さんのホテルは崩壊し、彼は瓦礫の下から救出され、緊急処置がとられましたが、病院で死亡しました。
淳さんの母親、宮崎ケイコさんは、日本の南東部大分県の自宅に、アナドル通信を迎え、息子の想い出について語りました。彼女の居間には淳さんの写真や、彼の記事を掲載した新聞が飾られていました。
トルコと日本の国旗を描いた大きな絵が、玄関にも、息子の想い出コーナーにも飾られていました。ケイコさんはまた、ヴァンの人々や学生から送られてきた手紙や、本や、詩も大切に保管されていました。家の一隅の壁には、エルドアン大統領からの弔文が飾られていました。
息子は困窮している人々を救いたいという“支援の心”を持っていたと、ケイコさんは言いました。「息子はアンカラからヴァンへ向かうとき、私に電話をくれました。それが最後の会話になりました」
しかし、11月9日、マグニテュード5.6の地震がふたたびヴァンを襲いました。2度目の地震で宮崎さんのホテルは崩壊し、彼は瓦礫の下から救出され、緊急処置がとられましたが、病院で死亡しました。
淳さんの母親、宮崎ケイコさんは、日本の南東部大分県の自宅に、アナドル通信を迎え、息子の想い出について語りました。彼女の居間には淳さんの写真や、彼の記事を掲載した新聞が飾られていました。
トルコと日本の国旗を描いた大きな絵が、玄関にも、息子の想い出コーナーにも飾られていました。ケイコさんはまた、ヴァンの人々や学生から送られてきた手紙や、本や、詩も大切に保管されていました。家の一隅の壁には、エルドアン大統領からの弔文が飾られていました。
息子は困窮している人々を救いたいという“支援の心”を持っていたと、ケイコさんは言いました。「息子はアンカラからヴァンへ向かうとき、私に電話をくれました。それが最後の会話になりました」
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