平清盛は保元の乱、平治の乱と勝ち進みまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでげす。
後白河上皇が自分で選んだ跡継ぎの二条天皇は短命でしたが、頑張り屋さんでした。院政を敷き、力をちらつかせる後白河上皇に反発もしました。実力も兼ね備えていたはずなのに、病が、、(;_;)。そして、いよいよ病が重くなりもうだめだという時に息子の順仁を跡継ぎにしますが、この時順仁はまだ0歳、、。赤ちゃんや😞。でも、とにかく0歳でもなんでも、順仁は即位して六条天皇となりました。後白河上皇は気が気でありません😟。何故でしょう?それは、六条天皇派の力が強くなり自分の立場が危うく事を恐れたからです。
後白河上皇が自分で選んだ跡継ぎの二条天皇は短命でしたが、頑張り屋さんでした。院政を敷き、力をちらつかせる後白河上皇に反発もしました。実力も兼ね備えていたはずなのに、病が、、(;_;)。そして、いよいよ病が重くなりもうだめだという時に息子の順仁を跡継ぎにしますが、この時順仁はまだ0歳、、。赤ちゃんや😞。でも、とにかく0歳でもなんでも、順仁は即位して六条天皇となりました。後白河上皇は気が気でありません😟。何故でしょう?それは、六条天皇派の力が強くなり自分の立場が危うく事を恐れたからです。
色々心配が尽きない後白河上皇、、。ソリャソーダ。で「どうすっかな、、🤔、、あ、そうだ💡」こういう時に素晴らしく頭が働く後白河上皇。「自分の子供を皇太子にしておけば安泰じゃないか。」ややこしいですが、つまり、自分の孫の跡継ぎに息子を指名した、という事です。当然ながら0歳よりは年上の息子。「憲仁。5歳🖐。」こちらが皇太子となりました。これなら安心じゃろ。そして更に、何だかんだと理由をつけ、六条天皇を退位させ、憲仁を天皇にしたのです。これが高倉天皇でございます。
ちなみに、若くして亡くなった二条天皇同様六条天皇もご病気で若くして亡くなりました。
高倉天皇のもとに嫁いだのは、実力者、平の清盛くんの娘、徳子。たいら清盛にすれば「これで俺もいよいよ名実ともに、、ヒッヒッヒ、、( ̄ー ̄)」
といったところでしょう。だが、、清盛は、いかんせん、強くなりすぎました。出る杭は打たれる。敵多し。といったところか。、、。そして、清盛くんをよく思わない人の中に、他ならぬ後白河上皇もおりました。「何だかなあ、、最近の清盛くんは権力が増してきて、何か不安だなあ、、😮💨」←後白河上皇、心の呟き。
といったところでしょう。だが、、清盛は、いかんせん、強くなりすぎました。出る杭は打たれる。敵多し。といったところか。、、。そして、清盛くんをよく思わない人の中に、他ならぬ後白河上皇もおりました。「何だかなあ、、最近の清盛くんは権力が増してきて、何か不安だなあ、、😮💨」←後白河上皇、心の呟き。
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