あーっ、、鎌倉の歴史的建造物、、。今回取り上げたのは、鶴岡八幡宮でございます。わたくし、こんなにも有名な神社がどこにあるのか数年前まで知りませんでした。住んでいる山形県の、庄内地方にある鶴岡市にある神社だと思ってました。ある時、神社が好きな私は、車で鶴岡八幡宮にちょっと行ってみるか!と想い軽い気持ちでネット検索したら、あれ、、。鎌倉にある神社だと書いてあるじゃないですか。、、うわあ、、恥ずかしい。わたしゃ知らなかったよお〜😭。
というわけで、今回はこの鶴岡八幡宮について少し調べてみました。観光で行く身としては、絶対に外せない場所の一つだと思ってます。歴史は長く、約八百五十年近くも前に開かれた模様です。現在の場所に建つ前は、由比ヶ浜のあたりにあったようです。建てたのは、頼朝のご先祖様に当たる源頼義(ご先祖様まで似た名前か、、😮💨)この方は信心深かったようです。もともと京都にあった石清水八幡宮(の八幡神)をあつく信仰していたので鎌倉に勸請し、お祀りしたそうです。この頼義は武勇の誉れに満ちたかただったらしく、平安時代に平忠常の乱を抑えたり、あの有名な「前九年の役」で安倍氏を討ったりと、色々メジャーな戦で、戦った方らしいです。
ので、この方が信仰していた八幡宮がお祀りしている神様三神の中にも武神がおります。それが、応神天皇→第十五代天皇。そして、このかたのお母さんも三神の一人として祀られております。そう、神功皇后です。神功皇后の旦那さんは、あの、ヤマトタケルノミコトの子供。孫は仁徳天皇。壮大すぎてよくわからない(@_@;)。神功皇后も勇ましい皇后だったようです。そして、あと一人の神様は神道神である比売神さま。
最強のトライアングルですな。この神社を鎌倉の現在の地に移し建てたのが源頼朝。そして、もともとの鶴岡八幡宮を建てたのが頼朝の祖先である源義朝だということがわかった。←今日の学び鉛筆✐。頼朝も、この鶴岡八幡宮を篤く信仰していたようですなあ。
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