とりあえず、また鎌倉政権の話に戻ります。頼朝には実は、意外と非情な一面もあったんだよー。という話を前々回しましたが、とりあえず、頭が良くやり手であったことには間違いなく、様々な手柄により征夷大将軍に任命され、間違いなく名実ともに鎌倉政権のトップになりました。部下や身内に戦を頼んで、その間せっせと地盤作りに励んでいた頼朝ですから、組織は完璧に近い出来だったかと思います。治安維持のために今で言う警察官みたいな役目の「守護人」、主に土地の管理と年貢の徴収係などを受け持つ「地頭」なるものを全国に配置し、さらには守護のリーダーを各地に一人設け「御家人」と呼びました。よくできた組織だぜい。
発足当時、まだ摂関家や国司、院制度は残っていたので、幕府と朝廷の二人三脚という感じで政治が行われておりました。、、一方幕府と御家人も「奉公するから御恩をちょうだい」の、いわゆるギブアンドテイクの関係を保ち、何となくうまくいってました。、、って、なかなか北条政子までたどり着かんなあ、、。仕方ないか。順番てもんがあるから、、。
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