「何か1つ」を見つける毎日(⌒‐⌒)

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さとおばちゃんのこと3、。引っ張られる。続き。

2020-08-19 21:45:39 | 岩手🎇
ゆかりのお父さんは教育委員会と言うお固い職場に勤めていたが、顔は、昔よくテレビとかに出ていた漫画家の加藤芳郎さんに似ていて、何だか笑えた。そして、見た目と同じくものすごく優しかった。ゆかりのお母さんは、近くの幼稚園の先生で、
こちらは、細面のきれいな人‥小柄なかただった。ゆかりは、明らかに母親似だったな。きれいな顔立ちしてたもん。二番目の妹は、父親似で愛嬌のある顔立ちだったし。

昼間、外でクタクタになるほど遊んで、夕方家に戻ると、もうさとおばちゃんは台所で夕飯の支度をしていた。大好きなとうもろこしをたくさん茹でてくれてた。
普段は滅多に会うことのないゆかりの父さんと母さんもいて、何だかはじめは照れくさかったが、あっという間に馴染んだ私は、まるで家族の一員かのように居間でテレビを見たり本を読んだり絵を書いたり、と自由気ままな時間を過ごした。ゆかりのお母さんは(一番下の子中心に)子の世話をし、晩御飯は、さとおばちゃんが作る、、と決まっているのようだった。私も含め計七人、、大きな飯台で食べる晩御飯は、それは、もう、本当に楽しく、美味しかった。

夜には畑の前で、自分のうちで採れたスイカを食べならが花火をし、家の中に、戻ると9時近くになっていた。

「そろそろ寝る時間だな」さとおばちゃんが言う。一番下の妹はすでに両親と共に寝室に行ってしまっていた。

二番目も眠そう。ゆかりは「まだまだ遊びたいが仕方ない、寝よう、、」と言う表情。そして「さつこちゃん、おやすみなさい。また明日。」と挨拶を交わした。

「サツコちゃん、寝る前に便所さ行って来たらいいんでねが。夜なが(中)に行ぎだぐならねようにな」さとおばちゃんがワタシに声をかけた。
あ、、確かに、、。
この大きな農家の家のトイレは中ではなく、外にあったのだ。昔の農家がみなそうなのかはわからないが、私が知っている田舎の家では大抵トイレがうちの中ではなく、外にあった。小さな小屋のような建物の真ん中に用を足す長方形の穴?がある。周りには農機具や、肥溜めから肥料となる糞尿を取り出すための柄杓、などが置いてあったり掛けてあったりした。どういうわけか、私は昔からトイレに異常な興味があり、例えば外食でレストランに行ったり、喫茶店に行ったりすると、必ずトイレに入る。便器が珍しかったり、インテリアが素敵だったりすると、それだけでもう、気分がダダ上がりである。古ければ古いほど、新しければ新しいほどまで、、この両極端のトイレに当たると非常に嬉しかったりする🚽。
話を戻すと、曽山のさとおばちゃんちの、家の外にあるトイレは、立派な小屋、であった。わたしは、昼間外遊びをしている時そのトイレ(いや、トイレというよりは「便所」とよんだほうが断然似合う。)に何回か入るのだが、本当に落ち着く空間だった。広さはだいたい、、六畳くらい。陽があまり差さないから、昼でも薄暗いのだ。基本、土足。

便所兼小屋を、上から見た図

薄暗い広い部屋で用を足すのが、結構好きだった。、、あくまでも、昼間なら、の話。

夜は破格の気味悪さが伴う。自宅なら、父母のどちらかを起こして付いてきてもらえるが、ゆかりの家ではどうだろう、、遠慮して多分、起こせない。
(ちなみに、私が泊まりに行った時から数年後、家の中にもトイレを作った🚽。)

またまた話を戻そう。さとおばちゃんに言われ、行かねば、、でも、一人で行くのか?と思ったのを、察したおばちゃんは、ちゃんと便所の入り口までついてきてくれた。優しいのだ、ほんと。
中には、多分40ワットくらいの暗めの裸電球がぶら下がっていたが、掛けてある雨がっぱが、人の影に見えたりして、ヒェ〜、、😖な世界なのだ。

とりあえず、急いで用をたし、急いで外に出るとちゃーんとさとおばちゃんが待っていてくれた。

家に入り今に行くと、もう誰もいなかった。みな、寝てしまったのだな。

「サツコちゃんも寝るべ。」さとおばちゃんがそう言って、私を、今夜寝る部屋まで連れて行ってくれた。それは、今まで遊びに来て、一度も入ったことのない部屋、、仏間だった。、、あれ、、ゆかりちゃんたちと同じ部屋じゃないのか。今まで親戚の家などに泊まりに行くと、子供は子供で皆同じ部屋に寝せられてワイワイガヤガヤ話しながらいつしか寝落ちしてしまうと言うパターンしかなかったので、仏間に一人、はいきなりの初めての経験だった。だいたいにして、わたしはその頃まだ両親と同じ部屋に寝ていて、一人で寝ること自体初めてで。だが、さとおばちゃんは、ごく普通に、「サツコちゃん、ゆっくり寝ろな。おやすみ」と言うとあっという間にいなくなってしまった。ゆかり達は寝たのか。おじさんおばさんは寝たのか。何もわからない。と言うか、この家がどういう間取りになっていて、私以外の人がどの部屋に寝ているのかすらわからないのだ。

でも、、とにかく、私は大人しく布団に入り、寝たのだ。昼間目一杯遊んだから、あっという間に眠りに落ちたと思う。

と、

どのくらいの時間が経ったのか、、。恐ろしいほどの静寂の中で私は目を覚ました。仰向けに寝ていたので天井しか見えない。

ああ、、足を引っ張ってる!誰かが、何かが。
目が覚めて気づいたのか、足を引っ張られて目が覚めたのか、どちらなのかは覚えていない。とにかく、足を引っ張られていたのだ。

怖いなんてものじゃない。仏間に一人で寝ていて、足を引っ張られて、怖くない人はいないだろうさ。多分私は脂汗を書いていただろう。

重苦しい時間が流れた。どうしていいかわからず、私はじっとしていた。叫んだり、泣いたりは、一切しなかった。ひたすら耐えたのだ。おかしなことに、確かに足を引っ張られているのに、体が下に移動している感覚はない。これが実に不思議なのだが。

そこから私は眠られなくなり、ただただ天井を見つめていた。体全体が一つの石になったような感覚だったので、もしかしたら、金縛り状態だったのかもしれない。

あの時、もし、さとおばちゃんの事を、声を出し呼んだら、すぐに来てくれただろうか。でも、隣の部屋に寝てるかどうかもわからないし、、何となく、呼んでも来ないだろう、と思ったのだ。

その晩は、結局、何回かその、「足引っ張り」が起こり、怖くて固まったまま天井を見つめ、いつの間にかうつらうつらし、また引っ張られ、、
気づくと朝になっていた。

台所の方で静かな音がする。さとおばちゃんが、朝ごはんを作り始めているのだと思った。朝になり改めて仏間を見回してみると、なんの変哲もない、ごく一般的な仏間だった。さとおばちゃんの亡くなった夫の写真が飾ってあった。
私は意外と冷静だったと思う。朝が来て安心したのもあるだろう。
そのうち、ゆかりも下二人も、おじもおばも起き出すような気配がした。私も着替えて居間に行った。

さとおばちゃんが部屋に入ってきた。
「あづぐねがったが?いっペ眠ったが?」
「あづぐねがったよ。ちゃんと寝だよ。」
「んだが。んだらいがった。朝ごはんいっぺけな。」(←そうか、それならよかった。朝ごはん、いっぱい食べてね、の意)
何故かと言うか、当然というか、夜中に足を引っ張られたことは、誰にも言えなかった。何となく「言ったらだめなことなんだ」と思ったのだ。

その日は午前中遊んだあと、昼のバスで家に帰った。帰り際、さとおばちゃんが「サツコちゃん、おもしぇがったが?まだ泊まりさ来いな。」と言った。だが、私は、「遊びには来るけど、もう、泊まらないと思うよ」と心で呟いた。
大きくなるにつれ、あまり曽山に遊びに行かなくなり、ゆかりと、と言うか曽山と疎遠になってしまった。

でも、未だに時々曽山で遊んだ時の事や、仏間で足を引っ張られた事を思い出すのだ。














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