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back to the愛してやまない80年代よ、Y田下宿から始まった1

2020-04-23 00:02:19 | Y田下宿から始まった😼
最近、コロナ自粛で出歩かないので、部屋で音楽聴いたり、本読んだり、YouTubeみたり、がすごく増えた。
で、最近は八十年前後に流行った歌の動画をいっぺー見て👀、聴いて👂歌って🎤、な日々だ。そして、すっかり忘れかけてた(とにかくただ楽しかった)あの頃の出来事を次々思い出し始めたのだ。
1980年代前半、私は大学生活を送っていた。振り返れば、夢のような時間だった。あの華やかな八十年代にちょうど大学生活を送れた事を、今更ながら幸せに思う。薬大だったので、実習や講義、試験がびっしりで、なかなか大変だったけど、まあ、それも今ならば、いい思い出だ。(時が経つとだいたいみないい思いでに変わるわな。)
初めて親元を離れ暮らし始めた。解放感と嬉しさと、、。それしかなかった。、、わーいわーい!な気分。母親は、私がホームシックにかかってるんじゃないかと心配し、毎日のように下宿に電話を掛けてきたが、いえいえ、わしゃ一ミリも寂しくありませんでしたのよ。
残念なことに、一年目はアパートではなく下宿生活だった。これも親が、独り暮らしは寂しかろうと、下宿に決めたのだ。が、この下宿がすごかった。超レトロ(つまりものすごく古い)な建物で、あとで聞いたら、建物の古さだけでなく、いろんな意味で有名な下宿だったのよ、、。名前は、Y田下宿。大家のおばさんが、これまたすごくて、女ゴルバチョフみたいな風貌で、手がグローブみたいにでかかった✋。、、実際彼女は厳しかった(;´A`)。下宿は二棟に分かれていて、一棟目(以下、Y田1と略す)に大家さんと予備校生二人、私が住んでたもう一棟(以下Y田2と略す)には、予備校生三人と大学生二人、、。大家さんも含め、全員女♀️。Y田1は水洗トイレ🚽だが、こちらY田2は、なんと懐かしや、ぼっちゃん式(汲み取り式🚺)よ(´゚ω゚`)。で、Y田1は大家さんが掃除してくれるんだけど、わしらのほうは、五人ローテーションで掃除するわけです、トイレ、廊下、など。トイレ掃除に当たると正直凹んでた、、🙍。風呂は1と2、それぞれにあるのですが、こちらY田2は五人だから毎日は入れなかったのだ。詳しい事は忘れたが、確か週三回とか、、。時間も決まってて、それを逃すともう、あきらめろと(;´A`)。下宿だから、自宅に住んでた時みたいに、風呂上がりにバスタオル一枚でアイス🍦片手に、あー、こりゃこりゃ、とかも絶対できないわけです。Y田2の風呂は時々故障する事があり、そん時はY田1の風呂に入れてもらうのですが、タイル敷のなかなか風情のあるレトロな風呂でした♨️。
Y田1にいた浪人生二人は、秋田県1の進学校から来ていた方たちで、目指す大学も確か津田塾とか奈良女子大学とか、何かすごいとこだった。しかも、二人とも美人さん💝(さすが秋田!)。後に知る事になるのだが、同じ秀才でも、この二人のタイプは、正反対、まるで違ってた。私は、この二人をかなり興味深く見つめてた気がするなあ。
一方Y田2の方は、と言うと、これがまた(自分も含め)超個性派揃い。同郷の人間が一人いたが、この子は地元の国立大を目指していた。素朴で暖かな人だった。下宿人のなかで一番話したのは彼女だったかもしれない。

さて、、そのY田下宿だが、結論を先に言えば私は、一年でその下宿を追い出されてしまったのだ。なぜ追い出されたか、は追々話してゆくとして、、。

Y田下宿に入居したはいいが、入居してあっという間に私は失望した。
下宿って(まあ、下宿により差はあるんでしょうが)守らねばならぬ事、規制が結構厳しいんですね。門限あるし食事時間、入浴時間などが細かく決められている。ぐうたらな私には、いやあ、ムリムリ(ヾノ・ω・`)って感じの事ばかり。初めのうちは、何とか守っていたのですが、もちませんでした、、(;^_^A。
、、Y田2は、下に二人上に三人だったのですが、上の真ん中の部屋でした。広さは六畳。部屋にテレビがなかったので(もともとあまり見ない方だったから、特に不便は感じなかった)、暇さえあれば音楽聴いてました。レコードプレーヤーもなかったのでひたすらカセットテープで聴いていました。入居して初めの頃、何を聴いていたか。、、
甲斐バンドとチューリップ、ビートルズ。実家から持ってきたのが多分この三つだけだったのです。
甲斐バンドは高校の時から、ビートルズとチューリップは中学の時から好きでした。
下宿の壁は薄く、しかも真ん中の部屋なので、両方の部屋に気を使わねばなりません。しかも、片方のかたは予備校生だから、一生懸命勉強するわけじゃないですか。そんな人の横で、甲斐バンドの、ポップコーンをほおばって、とか、きんぽうげ、とかをガンガンかけるわけにいかないじゃないですか。一方反対隣の1つ学年が上の大学生は、絵に書いたような美しい方で、わたしは彼女をエレガント、と勝手に呼んでました。クラシック好きでロックとかは聴かないかたのようで、、いづれにしても、遠慮してしまうわけです、、。が、その遠慮も最初だけだった。もちろん、ばかでかい音量では聴かないが、普通に音出して聴くようになっていった。特にクレームは来なかった、Y田大家以外からは。

カセット聴かない時はもっぱらラジオ聞いてた。
ラジオなあ、、今は滅多に聴かなくなったが、あの頃はNHKFMをホントに毎日聞いてたな。新しい歌の情報も、ラジオから仕入れて気がするな。、、
で、ある時、いつものように甲斐よしひろさんの、サウンドストリート、を聴いてた時に「えっ!なんだなんだ!この曲!すてきじゃないか!!」と思える曲が立て続けに流れてきた。何せ遠い日の事だから、記憶が少し違ってるかもしれないが、確か、甲斐さんが「これからこの人たちは必ず活躍するよ、すごくいい曲だよ、俺、大好き」みたいな人たちの曲を集めて流してたんだ。、、わたしは、その放送を確か録音したはずや、、。、、では、誰を流したのか。答え→佐野元春さん、HOUND DOG、他。他もものすごく良かったと思ったのだが、思い出せない。佐野元春さんと、HOUND DOGがキョーレツ過ぎたのだ。佐野元春さんは、アンジェリーナ、HOUND DOGは、嵐の金曜日。をかけたんだな
2曲とも今聴いても、胸がドキドキする。今も大好きだ。
佐野元春さんの都会的なかっこよさ、
大友康平さんの歌のうまさよ、、。
ああ、、。

手が疲れたため、今日はここまでにします。ちなみに、アンジェリーナは、今日も聴いたで。



















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3 コメント

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Unknown (junne-junko)
2020-04-24 03:30:28
薬大…かぁ、現役入学でしょう、頭、良かったんですねぇ〜。羨ましい限りです。

三軒長屋の様な下宿の様子、よく解りますよ。中学時代のクラスメイトの何人かが住んでいました。私の時代でも下町には数カ所残っていましたし、古典落語にも良く出てきますので、違和感無く普通の事だと思っていました。
しかし実際に住んでみると、
「ああ、ここは私の居る処ではない」……
と云う気持ちに襲われました。友達の事を思い出せば、贅沢な悩みでしたけれども。
それにしてもY田下宿、ポッチャン式でしたかぁ。今にしてみれば、笑える思い出…なのかな❓
「可愛子には旅をさせろ」
の心境だったかも!? やがては巣立つのだから。
いい経験をしたのでは❓
話しの続きを期待して待ってます。
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Unknown (わたし)
2020-04-24 21:01:46
@junne-junko junneさん、最近すっかり夜は部屋にこもり、80年代の曲聞いて(70年代もあり)すっかりあの頃に旅してます。音楽に詳しいjunneさん奈良わかるかとおもいますが、あの頃は洋楽も邦楽も、何もかも、何でもありって感じでしたよね。ムーディーブルース、佐野元春、柳ジョージ、チェッカーズ、TOTO.、何でもかんでも大好きでした💕。それにしても、わたしの、今まで生きてきた中で間違いなく一番楽しかったであろう大学時代は、あの、Y田下宿から始まりました。長い時間が流れ、記憶も薄れ、もしかしたら気づかぬうちに自分の都合のいいように思い出が少し塗り替えられているかもしれませんが、とにかくはちゃめちゃで変なことばかりしていた楽しき頃を思い出し、書いてみたいと思います、いつもコメントをありがとうございます。
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Unknown (わたし)
2020-04-24 21:03:33
なら、が、奈良に、、( ・ั﹏・ั)すみません
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