次に菅直人の発言がクローズアップされたのは、阪神大震災の直後頃だった。住宅公団の後進であった都市公団とNEDO新エネルギ-事業団を廃止せよという主張が報道されたときだった。
これが今の新民主党で菅と,私が小沢に推薦したはずの政調会長トヨタ労連直島が「億ション」で旧自社さ民主党の菅の主張に政策を完全に取り替えた「行財政改革税金を無駄遣いしない」マニフェストのルーツである。
また菅が震度5耐震の原子炉をごまかした原発担当部署であった科学技術庁を分割して責任をごまかしたことが爆発騒動の時に、tpp担当を保安院のスポークスマンにして「メルトダウンはしていない」と言わせ続けたことでわかったのである。
また菅は、震度5耐震のまま関西は地震が来ないからと戦時基準で高速道路や新幹線や吊り橋や学校や役所や住宅を作って、阪神大震災の責任を問われた国土庁と経済企画庁と建設省と運輸省が省庁改変で火事場の焼け太りをさせた。
菅はこのころ他にも、金融で刑事責任を問われるべき大蔵省金融局を組織変更で助けていた。特におかしかったのが金融庁である。98年野党三党再生法と菅の裏切りは次の機会にするが、金融庁ができたときに、私が印象に残っているのは、ワイドショーのリポーターが大蔵省から金融庁への引っ越しを取材して「引っ越しで段ボール箱がどんどん運び出されて証拠が消えていく」と必死で訴えていたことであった、
当時私は公団から規定で支給された建て替え移転費用90万円で研究生になって、地震とエネルギー転換に対応した団地建て替えモデルを研究し、nedoのやってた太陽電池開発と公団住宅の建て替えを組み合わせようとしていたので、菅の公団の民営化の主張は、5年間やってきた研究の否定だったのでよく覚えている。菅は私の研究費を台無しにした一人でもある。
そのあとも菅は私のやることを必ず妨害するように登場した。つまり菅はいつもまっとうな対策を妨害して、嘘の理由でインチキ戦争研究所を助ける方向の主張をして、テレビで取り上げられてきた。
その理由が大政翼賛東大戦争研究所の戦後の耐震基準の証拠隠しの広告塔だったからだと今は分かってきた。それが「行財政改革」である。
これが今の新民主党で菅と,私が小沢に推薦したはずの政調会長トヨタ労連直島が「億ション」で旧自社さ民主党の菅の主張に政策を完全に取り替えた「行財政改革税金を無駄遣いしない」マニフェストのルーツである。
また菅が震度5耐震の原子炉をごまかした原発担当部署であった科学技術庁を分割して責任をごまかしたことが爆発騒動の時に、tpp担当を保安院のスポークスマンにして「メルトダウンはしていない」と言わせ続けたことでわかったのである。
また菅は、震度5耐震のまま関西は地震が来ないからと戦時基準で高速道路や新幹線や吊り橋や学校や役所や住宅を作って、阪神大震災の責任を問われた国土庁と経済企画庁と建設省と運輸省が省庁改変で火事場の焼け太りをさせた。
菅はこのころ他にも、金融で刑事責任を問われるべき大蔵省金融局を組織変更で助けていた。特におかしかったのが金融庁である。98年野党三党再生法と菅の裏切りは次の機会にするが、金融庁ができたときに、私が印象に残っているのは、ワイドショーのリポーターが大蔵省から金融庁への引っ越しを取材して「引っ越しで段ボール箱がどんどん運び出されて証拠が消えていく」と必死で訴えていたことであった、
当時私は公団から規定で支給された建て替え移転費用90万円で研究生になって、地震とエネルギー転換に対応した団地建て替えモデルを研究し、nedoのやってた太陽電池開発と公団住宅の建て替えを組み合わせようとしていたので、菅の公団の民営化の主張は、5年間やってきた研究の否定だったのでよく覚えている。菅は私の研究費を台無しにした一人でもある。
そのあとも菅は私のやることを必ず妨害するように登場した。つまり菅はいつもまっとうな対策を妨害して、嘘の理由でインチキ戦争研究所を助ける方向の主張をして、テレビで取り上げられてきた。
その理由が大政翼賛東大戦争研究所の戦後の耐震基準の証拠隠しの広告塔だったからだと今は分かってきた。それが「行財政改革」である。
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