午前一時半?に起床して以降、、穏便な感じがあったので、、「お互い穏便にやって行こう」と言う趣旨の文章を細かめに記そうと考えていた。
しかし、、連絡人の白い小型ワゴン車がいつもの時刻辺りに出ては行かなかった。
すると、、 例によっての『報復』とやらで、、
途端に電磁波を午前六時前辺りから厳しいものと男二人はしてきやがった。
御前達は、新司令倶楽部は、、男二人に妖怪は、、何かと言うと御袋と私を思いっきり殴り付けるのだ。
それで自分達の要求を通すのだろう?
けれども、、もうそうは行かないからな?
少なくとも、本年十一月上旬までは、、お互い穏便に、と訴えかけようと思っていたが、、
こんな事がどうせ続くのだから、なるべく早くに男二人を「生き」地獄に落としてやる、断固として。
二年前から、、 財務省の職員二名が自殺。 母が惨殺。 そして警察のキャリアが自殺。
と「一時」官邸の「一部」チームは、「確信犯で」罪の無い人達を次々と殺害をしている。
そして、、今度は私が惨殺される番だ。
「五人目の」・・殺害だ。
そうはいくか !!!
こんなこと戦後新憲法史上間違いなく一度もなかったことだ。
おそらく戦前明治憲法史上ですらなかったことであろう。
イエス様・・ 十二使徒・・
皆様は時の政権によって処刑をされていかれた。。
吉田松陰先生も、、 そうである。
(以上、妙に情緒的なことをいい歳をして述べているのではない。それだけ私が真剣だ、と言うことを述べたいのである。)
そもそも、、「一時」官邸の『一部』チームに過ぎないよな??
麻生元総理は、自殺した財務省職員の墓参りもされているんだってな?
現在・・ まだ苦しい電磁波は続いている。
暴力団だって到底しない様な理屈で、、裏社会の最底辺の男二人が、、勘違いでまた殴る蹴るをしている。
ここまでは、昼前までに準備した文章である。
やはりなるべく穏便に、と公開は止めていたのだが、、 しかし、、男二人はどこまで私を怒らせるのであろうか?
その後も、、決して弱くもない電磁波が『ずっと続いた』。
しかも、、見ていると長い時間、出入りすら行われていないのに、、その様な電磁波を男二人は与えるのである。
しかし、、非常に救いだったのは、、
妖怪が覚醒剤を貰っていないこと。
だから、、妖怪は妙なことをしないし、私も記事公開などを我慢をしていた。
ところが、、
【やはり覚醒剤を男二人は妖怪に与えるのである !!!】
途端に妖怪は悪さを、げたげた笑いながら、始めるのだ。
たぶん午前一時半起床以降、初めての睡眠となるが、、
午後四時前頃から午後七時半頃に「強制」起床させられるまで、、 『一体何回睡眠を分断されている』 であろうか !!?
実感として倒れる危険性が本当にあるのだ。
殺されるどころか、、「寝たきり」になるのだ!
『これでどうして私が穏便にしていられるだろうか??』
これだけ実力行使を「真剣に」言っているのに、こうしたことが何時までも続くのだから、、実力行使をせよ、と言われていると私は『真剣に』受け取る。
【何かと言うと、、「安全・安全」、、そればかりで母と私の安全・命は、何時までも微塵も配慮されない事件運用!!】
一日中寝不足の私に電磁波を打ち続けて、、それを『危ない』とわざわざ叩き起こし、
自分達の「安全」監視をさせたいと、、【すぐに覚醒剤を妖怪に与えて】 また殺し・拷問が始まる。。
男二人は自分達の安全は「最大限に」尊重し、母と私の安全は「全く」配慮しないのだ。
それで、、「安直に」すぐに覚醒剤を妖怪に与えることなどをするのだ。
その結果私が怒るなどして事件がどんどんヒートアップして行き、、 『しかし自分達は撤収はしたくない』、、 と来るのだ。
かく幼児以下のことを、母の没後七ヶ月、男二人は全く止めなかったのだ。
私には極限の怨念があるのだ。
母の為に、、御迷惑などと言わずに、、やはり闘争をするべきだった、、と言う怨念が。
この極論の無茶な連中に!!