さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

桂園一枝講義口訳 33-35

2017年02月04日 | 桂園一枝講義口訳
33-35

33 すゞな咲きたる野に畑打さして上る雲雀を仰きみたる所のかた
おもしろくさへづる春の夕ひばり身をばこゝろにまかせはてつつ

八三 すゞな咲たる野に、畑打つ賤の、うちさして、あがる雲雀をあふぎ見たる所のかた

おもしろくさへづる春の夕雲雀身をば心にまかせはてつつ 享和二年

□五十年前半切の画、密画で東洋の画かと覚えたり。二人計鋤鍬を下に置きて上を見たる画也。書く所なくて細く真画程に書きたりし事ありし。
百姓になりてよむなり。
雲雀はおもしろく身を心に任せて居る。此方どもは身を心には任せぬなり。農事のひまなき事をいふなり。「中空日記」に小山がこれをとりてよみたり。

○五十年前(に見た)半切の画(の)密画で、東洋の画だったかと覚えている。二人ばかり鋤と鍬を下に置いて上を見ている画である。(その画賛を求められて)書く所がなくて細く「真画」(※「ましかく」と読むか)ほどに書いたことがあった。
百姓(の気持)になってよむのである。
雲雀はおもしろく身を心に任せて居る(が、)こちらの方は(好きなように)身を心に任せては居られないのである。農事が忙しい事を言うのだ。「中空日記」に小山がこの歌(の言葉)を取って詠んだ。

※これも自然に気持が流露している歌だ。二句めの四・三調のあと、下句が「身をば/こゝろに」「まかせ/はてつつ」と三・四、三・四調の繰り返しで揺さぶるような調べを持つ。

※「中空日記」の小山というのは、児山紀成のこと。「こたびの旅にもともなうべきを、おのれかへりくるまでのかはりにとて、残しおきけるなり、さればみなかくことさらに思ふ也けり、のりしげ(歌)
 大森の浦にあそべる鴨すらもおもふ心に身をばまかせつ 
此まゝにしたがひ侍らば、などかこつめり」とある。

34 題知らず

ひばり上る野辺に雉子もこゑたてつ子ゆゑになかぬものなかりけり

八四 ひばりあがる野辺にきゞすも声たてつ子ゆゑになかぬ物なかり鳧 文化十四年

□「述懐」「懐旧」の上でもよし。どうなりとも見るべきうたなり。
「雲雀あがる」、「万葉」にある詞なり。
のどかなる雲雀、雉子なれどもいづれも子をおもふなり。
麦生に子を生みおきて天にあがりて見て居ると見ゆるなり。人が行けばおりて来るなり。

○述懐でも懐旧の上でもよい。どのようにでも見るべき歌だ。
「雲雀あがる」は「万葉」にある詞だ。
のどかな雲雀や雉子であるけれども、どちらも子を思うのである。
麦が生えているところに子を生んでおいて天に上がって見て居るように見えるのである。人が行けば降りて来るのだ。

※子を思う親の情というのは、日本の古典文学の永遠のテーマと言うべきもので、これは茂吉が「景樹は義太夫のさわりのようだ」と言ってきらったところだと思うが、私はそんなに気にならない。十分に純朴な歌だと思う。また、景樹が熟読した「源氏」や、その引歌にもこれにまつわるものは多々ある。

35 
世中へよふ人おほしよふことりなくなる山はのとけきものを

八五 世中へ呼ぶ人おほし呼子鳥なくなる山はのどけきものを 文化十二年

□朝山出雲守常清によみてやりたり。今は狂気して引籠れり。可惜。六十四番の一番に出たる人なり。此人御殿につとめる時分に出處の事につきていひつかはしたる歌なり。出るまじき時に出る心持になりたる故に、その時諫めてとゝ(ゞ)めし事なり。三年立ちて又出る時そとふみをやりたり。
此世中の歌と一緒に、「巻向の檜原のともずりに胸を燃やすであらう」とよみたる歌もありしなり。

○朝山出雲守常清に詠んで送ってやった(歌)。(この人は)今は狂気となって引き籠っているが、惜しむべきことだ。六十四番(門人たちの歌合わせに景樹が判をしたもの)の一番に出た人である。この人が御殿に勤めていた時に進退にかかわる話があった時に言ってやった歌だ。出なくていい時に出る心持になっていたので、その時に諫めてそれをとどめた事であった。三年たって又出る時にそっと手紙をやった。この「世中」の歌と一緒に「巻向の檜原のともずりに胸を燃やすであろう」と詠んだ歌もあったのだ。

□「呼子鳥」三鳥の一なり(このあと小字で「いなおほせとりもゝちどり」と注記あり)。近世の事なり。今知れぬなり。目の先にあるべし。名がかはりたりとみゆる也。雀や烏ではあるまいけれども、何分名がかはりたるなるべし。色々にして見ても合はぬゆゑに伝授にしてしまひたるなり。何分「呼子鳥」といふからは呼ぶやうに聞こゆるなるべし。喚子鳥(ルビ、よぶこどり)、くわんこどり、かつほうほうと鳴子鳩てあらうかと云へども、「八重山をおきてとふなる呼子鳥」とあれば鳩ではあるまじ。又「桜によぶこ鳥の来て鳴きければ」とあり。

○呼子鳥は、(古今伝授の)三鳥の一つである。(このあと小字で「いなおほせどり、ももちどり」と注記あり。)(三鳥の一つになった事自体が)近世の事である。今は(どの鳥か)わからないのである。(たぶん)目の前にいる鳥(のどれか)なのだろう。名が、関わっていると見えるのだ。雀や烏ではあるまいけれども、とにかく呼び名が替わったということなのであろう。色々の(鳥の名前)にしてみても合わないものだから、伝授にしてしまったのである。とにかく呼子鳥と言うからには、(鳴き声が)呼ぶように聞こえるのであろう。喚子鳥(よぶこどり)は、くわんこどり(郭公のこと)、また「ほうほう」と鳴く子鳩(のこと)であろうかと言うけれども、「八重山をおきてとふなる呼子鳥」と(古歌に)あるので、鳩ではあるまい。また「桜によぶこ鳥が来て鳴いたので」ともある。

※ 『赤人集』に「あしひきの-やへやまこえて-よぶこどり-なくやながくる-やどならなくに」がある。

※『後撰集』列樹に、「わかやどの花にななきそ喚子鳥よぶかひ有りて君もこなくに」とある。 
▲訂正 これは以前「古今集」と誤記。

□又三月になれば別段におもしろくなると見ゆるなり。「萬葉」に「声なつかしき時にはなりぬ」とあり。「猿にしておけ、呼子鳥猿ぢや」など云ふやうなめつそうな事を云出せり。近比「古今明解」に梟といへり。いよいよめつそうなり。

○また三月になると、とりわけ(声が)おもしろくなると見えるのである。『萬葉』に「声なつかしき時にはなりぬ」とある。(ほかに)「猿にしておけ、呼子鳥は猿じゃ」などというようなとんでもない事を言い出している(者がある)。近頃『古今和歌集朗解』(宮下正岑、文政七年刊)に梟だと言った。いよいよとんでもない。

※『万葉集』一四五一、大伴坂上郎女「よのつねに-きくは(けば)くるしき-よぶこどり-こゑなつかしき-ときにはなりぬ」。括弧内は今の「国歌大観」の訓。

※世中と山とを対比させて、世中へ「呼ぶ」、つまり求婚する(ように何かをもとめる)人をなぐさめた歌。そんなにむきになって世間の認知をもとめるものではないよ、というようなところか。一緒にやった歌というのは、「世の中はあなしの檜原友ずりにもゆるおもひのいつか絶ゆべき」と、「人の行みちは八ちまたふみかへて山へと入らん時は此時」の二首。ともに文化十二年二月。「ともずり」は、「頼政集」に「おく山の杉のともずる我なれや我が恋ゆゑに身をこがすなり」とあるように、木や竹が互いに擦れ合うさまを言い表したもので相聞的なニュアンスを持つ。「友ずり」は宛字。この年景樹四十八歳。人の軽挙をいさめたりなぐさめたりするのが適任の齢だ。