さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

蒼井杏歌集『瀬戸際レモン』 改稿

2017年02月11日 | 現代短歌
この人は身体性のようなものを言葉の底に置きながら歌の言葉を操れる人で、こういうのは天性のものだから、多少の失敗をしても本能的に軌道修正をして、何と言ったらいいのか、「歌」としか呼ぶほかはないものの場所に戻ってくることができる。

だから、この『瀬戸際レモン』の歌が私はどちらかというと苦手なのだけれども、それは私がこういう歌を読むには年を取ってしまったということもあるし、また、「未来」の今年の二月号が手元にあって、歌集に載っている歌よりも作者がいま作っている歌の方が私にはおもしろく感じられるので、むしろそっちの話をしたいせいもある。これは好みの問題だから、仕方がない。何首か引いてみることにしたい。

はしさきで高野豆腐をくぼませる すくわれなかったこれはたましい

ああこれは、いやなわたしだプルタブをしゅぱっと引けば手首にちって

このひとはもういないのだと思いつつあとがき読めば縦書きは、雨。

 こういう読み手を不意打ちして、攻めて来るような歌がある。一首目の「すくわれなかったこれはたましい」は倒置だけれども、四・三、三・四のぎくしゃくした感じをうまく利用しているところが巧みである。「すくわれなかった」と言ってみせて、高野豆腐ごとき〈ケ〉の素材に自らの「たましい」の問題を重ね合わせてみせる。
 
 それから二首目の「ああこれは、いやなわたしだ」が五・七調なのに注意したい。若手の歌にありがちな三句切れではない。そうして三句目の「プルタブを」で声を低くしておいて、四句目の「しゅぱっ」という擬音語を呼び込むあたり、短歌のリズムにうまく乗っていて心地よい。この歌も自意識の屈折具合とその自己対象化の手ぶりが堂に入っていて、痛快である。こういう言葉に肉があるということが本能的にわかっている人には、ずっと歌人でいてほしい。次の歌集が早く見たい作者である。