さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『桂園一枝講義』口訳 39~43

2017年02月26日 | 桂園一枝講義口訳
39 三吉野の青ねが峰のしらくもはまがへもあへぬさくらなりけり
八九 み吉野の青根が嶺のしらくもはまがひもあへぬ桜なりけり 文化四年

□「あへぬ」、「あへず」物の折合ぬ事なり。合ず、合ざる事也。立合はれぬことなり。そこまでゆかずにしまふなり。まがひさうなことを「あへず」なり。
「神のいがきに這ふ蔦も秋にはあへずうつろひにけり」。秋に立合はれぬなり。「幣もとりあへず」、取りさうな所を取らぬ也。「流れもあへぬ紅葉」、流れんとしてちよいと引かゝつたる也。
「俗のかたなも取敢へず参りたり」は、一転して妙なり。
「青根峰」、青き峯なり。「松杉苔」何にも青きなり。青き所に白くかつきりと見ゆるは白雲じやが、と紛ふ事でもなき桜也。是「青根が峯」にさく故也。花と雲とを分明にわかつ也。
「青根」、山の頂上なり。又嶺といふ也。

○「あへぬ」、「あへず」は、物の折り合わない事である。「合わず」「合わざる」事である。立ち合われぬことである。そこまで行かずに終わってしまうのだ。見分けが付かなくなりそうなことを「あへず」といったのである。
「神の齋垣に這ふ蔦(葛の誤記)も秋にはあへずうつろひにけり」(と言うように齋垣に這ふ蔦も)秋には立合うことができないのである。「幣もとりあへず」取りそうな所を取らないのである。「流れもあへぬ紅葉」が流れようとして、ちょいと引っかかっているのだ。
「俗の刀(世間に流通したわかりきった構え)も取り敢えずすることにいたしましょう」(という体の作為)は、一転して妙手(ともなるもの)だ。
「青根峰」は、青い峯だ。松杉苔どれも青いのだ。青い所に白くくっきりと見えるのは白雲じゃが、(など)と見まちがいようもない桜である。これは青根が峯にさくためだ。花と雲とを分明にわかつのである。
「青根」は、山の頂上だ。(これは)又「嶺」とも言う。 △ここは、以前の誤訳を直した。

※掲出歌の「まがひ」「まがへ」の異同は、本文の通り。「古今集」より著名な三首の語句を引用。貫之「ちはやぶる神のいがきにはふくず(葛)も秋にはあへずうつろひにけり」、菅原朝臣「このたびはぬさもとりあへずたむけ山紅葉の錦神のまにまに」、はるみちのつらき「山河にかぜのかけたるしがらみはながれもあへぬもみぢなりけり」。

□「ち」に「み」を添ふれば「みち」也。通路、雲路、播磨路などの「ち」なり。此「ね」と同様なり。あまり短き故言ひがたく聞きがたし。それ故に「みち」、「みね」と云也。又「谷」にはいつでも「みたに」とはいはぬ也。「谷」は「み」を添へずとも分る故也。雅俗の事ではなき也。
「ね」に限りて「青根が嶺」「筑波根の嶺」と云也。「ね」に限りて重ね(ママ)るわけは、山はさきのとがりを以て一山とするなり。稲荷山は三になる故に三つの山、三の峯也。其山の一つは嶺を以て分つなり。たとへば一頭二頭といふ也。総体をひくるめて頭とさへいへば、その人一人の事なり。今も「比良のね」といへば比良の山といふ事のかはりなり。一頭といへは一人といふ事と同例なり。そこで「青ね」といへば青山といふ事なり。筑波根といへば筑波山といふ事なり。一頭の人のあたまは大きし(ママ)小さし(ママ)也。「谷」の「みたに」、「ち」の「みち」といふやうな事はなき道理なり。
「筑波根に布をさらす」と「万葉」にあるは、つくば山にあるなり。それを真淵、本居などはやはり嶺と見たる故訛れり。 
 
○「ち」に「み」を添えれば「みち」だ。通路、雲路、播磨路などの「ぢ」である。この「ね」と同様のものだ。あまり短いので言いにくく聞きにくい。それで「みち」「みね」と言うのだ。また谷に入っても「みたに」とは言わない。谷(という言葉)は、「み」を添えなくても分かるからだ。雅俗の事(による「み」の添加)ではないのである。
「ね」に限って青根が嶺、筑波根の嶺と言うのだ。「ね」に限って重ねるわけは、山は先の尖りを以て一山とするのだ。稲荷山は(尖りが)三つになるので、三つの山、三の峯である。その山の一つ(ひとつ)は、嶺で分つのである。たとえば一頭、二頭と言う。全体をひっくるめて頭とさえいえば、その人一人の事だ。今も「比良のね」と言えば「比良の山」と言う事の代わりである。一頭と言えば一人と言う事と同例である。そこで「青ね」と言えば「青山」と言う事だ。「筑波根」と言えば「筑波山」と言う事だ。「一頭の人のあたまは大きし(ママ)小さし(ママ)」、ということだ。谷の「みたに」、ちの「みち」と言うような事は、ない道理である。
「筑波根に布をさらす」と「万葉集」にあるのは、筑波山にあるのだ。それを加茂真淵や本居宣長などは、やはり嶺と見たために誤ったのである。
 
※語釈に目が行ってしまって、歌の方は何だかどうでも良くなってしまう。それぐらい景樹の語釈はおもしろい。なお、この「まがふ」という、類似のものの発見による古代的な修辞は、景樹が好んで用いたものである。 △「根」以前の誤記を正した。

40 林中桜
つね見ればくぬ木まじりのはゝそ原はるはさくらの林なりけり
九〇 常見ればくぬぎ交りの柞(ははそ)原春はさくらのはやしなりけり 文化三年

□「古今集」の花の始にさくらと先出だせり。歌を見れば花とよめり。花といへば諸木の花なれども八分は桜の事なり。一体は桜といふ題と花といふ題はちがふ筈なり。「古今」までは分れたり。其後は花といへばさくらなり。今「古今」の例にまかせて、まづ「林中桜」を出せり。「くぬ木」、「くに木」ともいふ也。「柞」も柴によきなり。「くぬぎ原」、「柞原」、その斗ど、いとある故に「原」と云。常はなにも見所なき「くぬぎ・柞」の青葉ぢやが、と也。桜が十分一あつても目だちて、すべて桜のやうに見ゆるなり。
 △これも以前の誤記を正した。

○「古今集」の花の始に「さくら」と先ず出している。歌を見ると、「花」と詠んでいる。「花」と言えば諸木の花(のこと)であるけれども、その八分は桜の事である。一体は「桜」という題と「花」という題は、ちがう筈だ。「古今」までは分れていた。その後は「花」と言えば「さくら」のことだ。今「古今」の例にまかせて、まず「林中ノ桜」(という題)を出してみた。「くぬ木」は、「くに木」とも言う。「柞」も柴によい。くぬぎ原、柞原(は)、その斗度(広さ)がとてもあるために「原」と言う。常は何も見所のない、くぬぎ、柞の青葉じゃが、というのである。桜が十分の一あっても目立って、すべて桜のように見えるのである。

※景樹に「写実」という考え方はなかったが、実景か実景でないかという意識はもちろんあった。それも相当に強く持っていた。その上で題詠には題詠の似つかわしさを求め、ひとつの素材にはひとつの素材に相応の本意ということを考えて歌を作ることを景樹はよしとした。この歌には写実的な味があり、そこが魅力である。景樹一世の秀吟の一つと思う。

41 田家桜
しづのをがかへす垣根の小山田にまけるがごとくちるさくらかな
九一 しづの男がかへす垣ねの小山田にまけるがごとく散桜かな 文化十二年

□さくらちる頃、即田をすく頃なり。田を鋤(※異体字。扁が耕の字と同じ)くは、蒔くためなり。そこへ蒔くごとく散るなり。

○さくら散る頃すなわち田をすく頃である。田を鋤(※異体字。扁が耕の字と同じ)くのは、(種を)蒔くためである。そこへ蒔くかのように(花びらが)散るのだ。

42 山花未開
打はへてかすみわたれるきのふけふさかぬもをしき山ざくらかな
九二 うちはへて霞みわたれるきのふけふさかぬもをしき山桜かな 文化二年

□以下花の題也。故に改めて花を出すなり。夫故「未開」を出だす也。待ちわぶるにつきて、此「未開」の題のある也。「菊花未開」「郭公未偏」など、皆心に待つ情に随ひてある題なり。「うちはへて」、どこもかも横にものをすつと渡す也。この「うつ」は強くするなり。「うちはへて」十分長閑なる気色なり。花よいかに何しにさかちぬのや(※さかぬのちや、の誤植か)、と也。此のどかな日になりたるに、まだ咲かぬも惜いことかな。花は散るをこそ惜しきことに思ひしに、さかぬも惜しき事がある、と也。是新き趣向なり。

○以下は、花の題だ。それで改めて花を持ち出した。それで「未開」(未だ開かず)を出すのだ。待ちわびる(ということ)にかこつけて、この「未開」という題があるのである。「菊花未開」(菊花未だ開かず)、「郭公未偏」(郭公未だ遍からず)など(の題は)みんな心待ちにする情(こころ)に随ってある題だ。「うちはへて」と言うのは、どこもかしこも横にものをすっと渡す(ことを言う)。この「うつ」は、(語勢を)強くするのである。
「うちはへて(この歌にみえるものは)」十分長閑な風情である。花よなにゆえ、どうして咲かぬのじゃ、というのである。のどかな日になっているのに、まだ咲かないのも惜しいことだなあ、花はその散ることを惜しいものと思っていたのに、咲かないという惜しさもある、というのだ。これは、新しい趣向である。

○43 尋山花
たつねはやみ山さくらは年々のわれをまちてもさかんとすらん 
九三 たづねばやみ山ざくらはとしどしのわれを待(まち)ても咲(さか)むとすらむ 文政六年

□いつも林丘寺の山の一本の花は格別ぢやが、といふやうな心あてのある花なり。「み山ね」を「みね」といへば、一こゑか二こゑになる故に、ちと大きくなるなり。「み山」も何となく大きくなりて聞ゆるなり。是〈ならはし〉によりて、かやうになる也。道理と〈ならはせ(ママ)〉とはちがふなり。これ故「深山」「太山」と書く事が後世始まれり。「万葉」にはなきことなり。「真山」「美山」など書くは、今では反て通ぜぬなり。「万葉」になき故それはならぬといふわけはなき事也。万葉が「枳」ではなきなり。今此「み山ざくら」も奥深き山のやうにつかふなり。端近くある山のは、世の春を知るなれども、「深山さくら」は知らぬ、と也。此方の行くを待つてゐるも知れぬといふになるなり。我を見てさかねばならんと思ふぢやあらう、というてもよきなり。

○(この歌に詠んであるものは)いつも林丘寺の山の一本の花は格別じゃが、というような心あてのある花だ。「み山ね」、「をみね(小峰)」と言えば一声(一音)が、二声(二音)になるために、ちょっと大きくなるのだ。「み山」も何となく大きくなって聞こえるのである。これは習慣によってこうなるのだ。道理と習慣づけとは違うのである。これ故「深山」「太山」と書く事が、後世始まった。「万葉」にはないことだ。「真山」「美山」などと書くのは、今ではかえって通じない。(でも、)「万葉」にないから、それはいけないという理由はない事である。(だからといって)「万葉」が枳(からたち、役に立たない木)であるというわけではない。今この「み山さくら」も奥深い山のように使っているのである。端近くにある山の(花の木)は、世の春を知っているようだけれども、深山ざくらは知らないというのである。こちらの行くのを待っているかもしれないということになるのである。自分の姿を見て、咲かねばならんと思うのじゃろうよ、と言っても良いのである。

※ このあと44-48のカテゴリーが和歌になっていたので、八月に直した。他にこのページの細部を直した。

槇さん、中川さん、菊地原さんをしのんで

2017年02月26日 | 現代短歌 文学 文化
一太郎ファイルの復刻。同人誌「砦」十号にのせた文章が出て来たから、無駄なところを削って載せてみたい。ここには、ばりばりの現役の方もいる一方で、すでに故人となられた方が多くある。特に折に触れては思い出す槇さん、中川さん、菊地原さんをしのんでここに掲載する。こうして歌の言葉は生きて残っていくともいえるのである。

 「砦」の一〇号は、「死・タナトス」がテーマである。日本の中世の思想家たちが喝破したように、「生きる」ということは、不断に死に近づくこと、つまり「死に続ける」ことである。だから、裏返して言うと、死について語ることは、すなわち生きている現在を語ることである。死を主題化して考えようとする時には、自分がどういう文化・社会に所属しているのか、その中にあって何を自分が願っているのかが、浮き彫りになってくる。

そうすると、死への考察から現在への考察に向かう回路は、このテーマを設定した段階で、初めから用意されていたことになるだろう。

万歳はすでに死語とぞ言ひながらためらはずして叫ぶバンザイ
    菊地原芙二子
右手高く挙ぐるはナチスの名残ゆゑドイツ青年Sは指立つるのみ

この頃は日本の民主主義のメッキがだいぶはがれてきて、彼我の差を思うことが多い。一人一人の市民としての意識の成熟の度合は、どう見ても西欧先進国の人々より日本人の方が低い。こういう認識を過激に言い放ってしまえば、次のようになる。

今、日本はファシズム国家――立ったまま夢を見たまま朽ちゆく死体
森本 平
滅びへ死へと向かう国にはお似合いの暴徒になることすらできぬ民
死んだ国ではみんなが死んでいるそうだ死んだら終わりあばよさよなら


天皇のために死ぬこと悪くなし ヤマンバギャルを戦場に送れ
  山下雅人
致死量の近未来の苦さかな「渋谷タウン」といふカクテルは


政財界のトップは、バブル崩壊後も失政と保身のための失策を重ね、国も企業も負債はすでに天文学的数字にまでふくらんでしまっている。その一方で、不況は人々の精神的な活力を奪ってしまっているようにみえる。加えて、本来もっとも先鋭なはずの若者や学生は、衆愚と化して消費的生活の安らかな継続を願うだけ……。ここには情熱がなく、怒りが不足している。こんな日本と日本人に対して、右の二人の作品は嘲笑を叩きつけているのだ。

高島裕は、同じ号の森本平歌集『個人的生活』の書評として次のような文章を書いた。

 「普段何気なく見過ごしている街の中の文字の断片が、作品という形でクローズアップされて並べられたとき、私たちの住む世界が、いかにおぞましく、腐蝕してしまっているかを思い知らされてしまう。安全や平和を訴える空疎なかけ声、あさましい欲望を誘い出すための甘いフレーズ、匿名の他者から金を巻き上げるための美辞麗句――私たちは、すぐに底が割れてしまうような浅く、腐蝕した言葉たちにまみれて生活している。それは、死という相補物を奪われた私たちの〈生存〉の貧しさ、おぞましさに通じている。」
(「死を奪還せよ!」)

高島裕もまた、短歌というジャンルにおいて文学の否定性を保持し続けている表現者の一人だ。

乗るバスが村に到れば浮かびくる死者たちの顔ほほ笑むばかり
   今井正和
札束にキスしたき今の心まで殺めえぬ吾が仮面のひと日

 今井作品。郷里の秩父に戻るバスの中で思っているのは、祖母や妹の在りし日の姿であろうか。この人の歌には、時々読み手の心をしんとさせるものがある。

父への憎悪を松盆栽に向けながら母は狂気を深めてゆきぬ  
              浅野まり子
母の死を語るは禁忌の稚き日われに神様は瞑りいましき

 浅野作品。短歌でなければ表現できなかった記憶の中の深い傷痕に触れたものだろう。
 
林檎焼く匂い充ちくる部屋にいてわが残り時間ふいにわらえり     
              布施 恵
わが裡のルミザンドロープ融けぬまま電飾の街の塵となりゆく
 ※「電飾」に「ひかり」と振り仮名。

 布施作品。一連は「聖書」のイメージをライトモチーフとしている。一首めの「ふいにわらえり」に不気味な感じをうけた。二首めのミザントロープは、人嫌いの意。

さりげなく死を「お迎へ」と言ひにけるホスピス君の清しき瞳よ
伊田登美子
老いづきて薄らに刷きし化粧なれ眉の片方を描き忘れたり

 伊田作品。二首めは、忘れるということの哀れさと悲しさが繊細に伝えられる佳品。

直筆の古き草稿とりいでて偲ぶ夜のこれ愉悦のごとし(辻征夫氏五首)
永田典子
料理屋のネオンを詠みて非凡なる処女作昭和二八年

 永田作品。辻征夫ほどさりげなく詩の中で死に触れたひともいなかった。彼の詩に出てくる思い出の街も人もみんな死者と言ってよいのである。
 
たくさんの欠落持ちて生きて来し空虚といへばそうもいえるが
        ※「空虚」に「あそび」と振り仮名。
霧生吉幸
ぬかるみを歩いてきたが見返ればどこにも付いていない足跡
中川菊司
辛うじて輪郭はまだ残ってる 髭剃るたびに見る朝の顔
丹念に磨いた空の向こう側を〈時〉はせわしく歩き続ける

 定年退職後の男の感慨には、どこかで共通する部分があるのかもしれない。懸命に生きてきた営みに区切りがついてしまった空しさ……。霧生作品も中川作品も、自分の人生の意味を問い返している。

 中川さんの「存在停止」の一連は、なかなか読みごたえがあっておもしろかった。もう少し引いてみたい。

夜明けからヘリコプターが鳴り響きぼくの死体が探されている
中川菊司
冬の蚊が畳に止まりそのまんま毛くずのように動かなくなる
「生まれてきてごめんなさい」川下へ行くほど川の水は汚れる

というような風変わりでユーモアに富んだ作品がある。

安らいだり或いはほほえんだりする名前つけられ新しき老人施設
       福留フク子

海に向かひ石投げあひし無心なる少年少女のいづかた知れず  
  鈴木八重

両作品とも、人生の無常にふれている。

もやひなす池の面輪のしれぬ世のしれぬひとりの面輪かたしき
  青柳千萼
快楽そを知れよ知らざる孤のいゑにあらぬ方より磁気あらしくる
 ※「快楽」に「けらく」と振り仮名。

ぱらいそはしらざるとてもゆきの塔あいのしづくはしれぬ世のそれ

四ページ五〇首の大作であるが、初読の際には理解できない歌がかなりあった。青柳作品は、中世和歌の読み方を参考にしつつ読むとわかるものがある。一首めの歌は、非在の恋人を思い寝するという設定の歌であり、二首めは、快楽というものを本当に知ったことがない主が住む「孤の家」に、「磁気嵐」のような誘いがかかるというのである。二首ともエロスの対象を失った相聞歌として読める。そういう歌を作る作者が、「『藤原定家』断章」という文章を今号に寄せているのもうなずけるものがある。定家の代表歌である「見渡せば」の歌にしても、「春の夜の」の歌にしても、あるべきものが非在であるところに究極の美を見ようとするものである。さて、もう一度一連を見直してみると、夢幻能のイメージが濃厚であり、楽器を奏する者は、みな死霊。美衣をまとって巷を歩む者は、遊女。三首めの雪のしずくは、あの世からの「あいのしずく」。これは「愛のしずく」と読めばいいのか。さらに、念の入ったことに、作者は自分自身のことを「我」と言わずに「汝」と言う韜晦癖があるようだ。見立てを見破るのが解読の鍵である。

廃屋のごとくなりたるマンションに解体作業の幌かけらるる  
   高橋まさを

高橋まさをさんは、八ページ百首の大作だ。

臓器移植専用クローン生るる日の道に蹴るべき礫ひとつなく
 ※「礫」に「いし」と振り仮名。
            田村哲三
十六種の表情操作の可能なるロボット・ベビーの性別告げず

ここには最近話題になった素材を扱った歌をあげてみた。一連は、場所があちこちに動くせいか、通して読んだ時の印象がやや散漫だが、掲出歌はなかなか健闘しているのではないだろうか。北海道在住のこの作者は、年鑑でみると昭和五年生まれである。

明日あれば又一日がある曇天の重さにゆれる透析の管
生田和恵
力なき眼のおくのつよき芯そこより右に私が立つ
  ※「眼」に「まなこ」と振り仮名。

 生田作品、読みすすんでゆくと、二十二首めと二十三首めで掲出歌に出会った。これだから、短歌はやめられない。これはいい歌だと思う。

日めくりをパタリと繰られ朝はきて君と掬ひし半熟卵 
 朋 千絵
キーロックする仕種さへ思ひ出す電話も鳴らぬ土曜の深夜

 相聞歌が主体となっている若々しい一連。

切りたての爪の不細工ながめつつ待つ五分前、青山一九時
    朋 千絵

 これは、一連の最初から引いた。

残り時間想ひ見上ぐる宙重しわたしは何をしたいのだろう
ブルーハワイすこしすすりて思ふかなあの時はこんなものだったかしら
槇 弥生子

 一連はそこはかとない倦怠感と、相聞的な情緒にあそぶ女性の内面のむなしさを表現している。

おしまいに。たまたま砂子屋書房の現代短歌文庫の『佐伯裕子歌集』をめくっていたら、樋口覚の解説の文章の次のような一節が目に飛び込んできた。

「戦前の、戦後のどんな死も、どれも等価である。軍人、歌人の死と生活者の死に、もちろん優劣の差はない。」

清田由井子『歌は志の之くところ』

2017年02月26日 | 現代短歌 文学 文化
清田由井子『歌は志の之くところ』(うたはしのゆくところ)

 私が深く信頼している歌人の一冊目の評論集である。しなやかで確かな言葉の運びに、読んでいると自然に引き込まれるところは、さすがである。
 
 それで清田さんの本をみていると、私がその昔「現代短歌・雁」に書いた文章が引かれていた。それは伊藤一彦の『空の炎―時代と定型』という本について触れた部分で、

「私もこの『空の炎』を読んだ際、筆者が抽出している中山明や早坂類の歌を論じた「自体精神と猫」には少なからず共鳴をいだいたことを覚えている。たしかに伊藤一彦には筆者のいうように「並々ならぬ青春の歌への浸透力」があり、その読みには「青春の時間へのありあまるほどの共感と痛みの感覚が存在する」のである。」     「凝視に賭ける」 
  ※引用にあたり文意の変わらない範囲で一部に手を加えた。

 とあった。このあと筆者は中山明の歌を論じていく。

叫ぶことすくなくなりし日々のためとほくにわたしを喚ぶ川がある
                    中山 明

たましひが青く澄むまで竿先にふるへる糸を矯めてゐにけり
    ※「矯」に「た」と振り仮名
 
これのよの無惨にかかはりゐるときもしかと天上の風を聴きをり

殉死者のごとくやさしくやはらかく未来は僕を待つてゐたのだ

 若者にしてはやさしすぎるような静かな歌い口である。くやしさすらもたぬようなあきらめ、けれど、これは逆説的に作者の強がりでもあり、静かなニヒリズムのせいであるのかもしれない。「天上大風」という有名な書がある。江戸後期の歌人で書家でもあった良寛の書である。天上、大風と二行に分けて書いてあり、飄々とした文字は無邪気でやさしく、どことなく憂愁をおびている。凧にするために書いたものだといわれているが天上の風の音が寂しくきこえてきそうな感じだ。文政年間、良寛のくらす越後では大へんな大風が吹いた。良寛の大風の歌も残されている。「しかと天上の風を聴きをり」、良寛についての連作の中の歌であり、良寛により心救われているようにも感じられる。(略) 
 

日常といふ窓ぎはをよぎりたる猫の幾匹をおもひゐたりき

くらやみの猫のごとくにしなやかに寄り添ふものをかなしみにけり

新しき職場にもある人脈の苦きえにしをかさねてゆかな

 〈日常〉への視線の向け方に期待感があり、歌と日常を一体にしてしかも抒情の質を保つ静かな語り口だ。 
                   「凝視に賭ける」

 この七首の抄出にあらわれている清田由井子の感覚は冴えわたっていると感じた。良寛について触れた文章も、よく知っていることでありながら、あらためて筆者の文章にこう書かれると味わいがある。文章が生きているのである。

このあとに続けて清田は志垣澄幸の歌集『水撃』の歌に触れてゆく。

熱きもの見てゐたりけり葦むらより出でし一羽が水撃ちて翔ぶ

 この一首から『水撃』のタイトルをつけているが、水鳥が翔びたつ前に羽ばたきをしながら水面を走る意味からきているのだという。そういう豊かな自然の中に生死の重さや、やさしさを静かに見つめている。(略)

ふたたびを生れて見ることあらざらむ森にひかりの遠くより及ぶ
                      志垣澄幸
やうやくに神の手およびきし齢野をめぐり樹々の凋落に遭ふ

日のいまだとどかぬ庭に寒椿身じろぎもせず花首落とす

海神がまた人を呑む昏さかな青きはまりて暗黒の潮

 力量をおしかくすように自らを沈めて歌いだす謙虚さは何にも増して作者の存在を主張する自愛の歌であり力量の歌である。(略)

足元をたしかむるごと踏みしめて歩みぬ峡の闇ふかし
志垣澄幸
積まれたる空瓶の山天地のなべての光まつはりて耀る
       ※゜天地」に「あめつち」と振り仮名。
風邪病みて休める汝の椅子の面に座骨のくぼみ二つ残れり

 身近にある現象をまるで天からの賜物のように受けとめてそれにそぞくやさしく充実した視点が何ともすばらしいのだ。発想の新奇でも大言壮語でもない。今という貴重な時間、そして作者の周囲の存在、そういう様々な現象を細やかに掬い上げてゆく。」 
                    「凝視に賭ける」
 短歌型式そのものが思想を醸し出すとしたら、短歌の思想というものは、ここで清田が言うようなものであるだろう。清田の言う「志」とは、そのように事物と人間、自他に向き合うなかで日々試されながら形成されてゆくもののことなのである。