さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

前田透『短歌と表現』

2017年02月24日 | 現代短歌 文学 文化
 前田透に『短歌と表現』という文集があって、そのなかに「現代短歌鑑賞」という評論がある。1978年当時の短歌誌に掲載された作品を素材として、当時の代表的な歌人九人について六百字程度で論評したものである。とりあげられているのは近藤芳美、山田あき、宮柊二、加藤克巳、山本友一、葛原妙子、森岡貞香、上田三四二、佐佐木幸綱の九人で、みごとに一人一人の作者の作品の特徴を捉えた批評の言葉には、讃嘆の思いを抱く。

 森岡貞香についての文章から引いてみよう。

「雁行しつつ鳴きしかなよわき雷のとほく雲の中をとほりゆく  森岡貞香

 作者の歌について、危うさの魅力というような評が聞かれるが、危うさとは何だろう。自己の確固たる言語秩序を固守して譲らぬこと作者のごときは稀れである。韻律主義の立場からはこの歌のような、また

 茶房の日覆ひあがりて日は顔を打つ さみしきは何とか言はむ
                    (「短歌現代」7)

のようなものは、たしかに短歌韻律が自壊する瞬間に賭けたものである、と見られようが、作者の内部を進行する律はとどめようがなく、それが短歌語のタクトに従わぬとしても、作者としてはどうすることもできぬであろう。そういう、いわば極限状況で歌っているのが森岡貞香である。

掲出の歌は鮮明でまぎれがない。この瞬間にこそ作者の魂が映像し、この瞬間をおいてはない、というタイミングを捉えている。そういった方法を確立した作歌者として、はっきりした軌跡をえがいているのがこの作者であると思う。「よわき雷のとほく」は「雁行しつつ」とタブって一首に奥行を与え「雲の中とほりゆく」は雷と雁とに重なりあって美しい哀感をかもしている。」
                     (前田 透) ※読みやすいように改行した。

 こういうものをみると、すぐに何でも書いてしまえるインターネットの環境が、決して文章修行や批評の質の向上にとって良いものであるとは限らないということがわかる。移り変わりの激しい、忙しい時代であるからこそ、いま自分の目の前に居る人達の、その前の代の人たちへの敬意を取り戻して、虚心に書かれたものを読むことが大切だと私は思う。